見出し画像

エニェディ・イルディコー『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』私の妻…を疑う私の物語

2021年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。エニェディはこれまで私が見た中長編作品5つ全て(『私の20世紀』『Magic Hunter』『Tamas and Juli』『シモン・マグス』『心と体と』)がオールタイムベストに入るほど大好きな監督なんだが、そんな彼女が短いスパンで、しかも初の原作ありの時代劇に挑戦するとあって不安がいっぱいだった。そして、『私の20世紀』以来30年ぶりにカンヌ映画祭に(しかもコンペに)返り咲いた本作品は、終盤に上映され、賛否の見分けがつかないほど微妙な評価を受けたまま、授賞式のニュースにかき消されてしまった。それでも微かな希望は持ち続けていた。私はエニェディを信じていた。

本作品は1946年にハンガリー人作家フシュト・ミラーン(Füst Milán)によって描かれた小説『The Story of My Wife: The Reminiscences of Captain Störr』を原作としている。映画では"7つのレッスンにおけるジェイコブ・ストーのじたばた"という副題が付けられており、実際に7つの章に分けられている。主人公であるオランダ人の貨物船船長ジェイコブ・ストー(本来ならヤコブ・シュトール?)は原因不明の腹痛と食欲不振に襲われ、結婚は健康に良いと聞いたことから"カフェに一番最初に入ってきた人と結婚する"と宣言し、実際に入ってきた女性リジーと結婚する。そんな出会いだったのにも関わらず、当初の結婚生活は幸福なもので、ジェイコブも家に帰るのを心待ちにしていたが、やがて陸に残したリジーが自分の居ない間に浮気してるんじゃないかと不安になる、というのが150分くらい続く。リジーは浮気してる(勘)→やっぱり俺のことが好きなんだ(勘)→やっぱり浮気してる(勘)…を延々と繰り返すだけなのだ。ジェイコブ目線で浮気してんのかしてないのか分からないリジーの姿を描いているので、必然的にリジーは表面的に描かれているのだが、スタートからしてイカれてるのに、ジェイコブがそこまでリジーに執着する意味も分からず描かれず、二人を含めた全員が薄っぺらな印象を受ける。加えて、舞台も俳優陣も1920年の欧州なのに、全編ぎこちない英語で貫かれている("本来なら"と書いたのはこのこと)。一応、オランダ人とフランス人がパリとハンブルクに暮らす話なので、共通言語として英語があるんだが、セリフもいやに文学的というか文語体なので、余計に堅苦しくぎこちない。

エニェディはサボー・イシュトヴァーンになろうとしているのか。彼もハンガリーを飛び出して退屈なバカみたいに長い文芸映画で世界的に認知された監督だが、ハンガリー時代のほうが遥かに魅力的な作品を撮っていた。エニェディの魅力である"どこへ行き着くか分からないマジカルな物語"や"セリフ少なに魅せきる画の力"などが徹底的に失われてしまい、ひたすら退屈な170分が待っているだけだった。彼女の作品は、毎回ミステリアスでちょっとキモいおじさんと無垢な若い女性が中心になり、ふとすれば気持ち悪くもなってしまうような設定をマジカルな展開や画によって救ってきたわけだが、本作品ではそのマジカルさが全て失われた結果、純真無垢な女性をひたすら疑うキモいおじさんが誕生してしまっていた。一部界隈では失敗した『マーティン・エデン』と呼ばれているようだが、同作すら失敗作と思ってる私からしても同じ様に思う。どっちも水夫が陸に上がる話だし。

遂に私がエニェディの作品を駄作だと言う日が来てしまった。心はズタボロ、本当に辛い。

・作品データ

原題:A feleségem története
上映時間:169分
監督:Enyedi Ildikó
製作:2021年(フランス, ドイツ, イタリア, ハンガリー)

・評価:40点

・エニェディ・イルディコー その他の作品

エニェディ・イルディコー『私の20世紀』20世紀、それは"映画の世紀"だ
エニェディ・イルディコー『Magic Hunter』少女が大人の世界を受け入れるとき
エニェディ・イルディコー『Tamas and Juli』移り気なタマシュと一途なユリ
エニェディ・イルディコー『シモン・マグス』世紀末の美しき魔法、奇跡の存在
エニェディ・イルディコー『心と体と』”私はあなたが死ぬほど好きです”の破壊力たるや
エニェディ・イルディコー『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』私の妻…を疑う私の物語

・カンヌ映画祭2021 その他の作品

1. ナダヴ・ラピド『アヘドの膝』イスラエル、深淵を覗くとき深淵もまた…
2. レオス・カラックス『アネット』人形アネットと空虚なお伽噺
3. ポール・ヴァーホーヴェン『ベネデッタ』彼女は聖女なのか?奇跡は本物なのか?
4. ミア・ハンセン=ラヴ『ベルイマン島にて』ようこそ、ベルイマン・アイランドへ!
5. ナビル・アユチ『Casablanca Beats』モロッコ、不満と魂をリリックに乗せて
6. ユホ・クオスマネン『コンパートメント No.6』フィンランド、一期一会の寝台列車
7. カトリーヌ・コルシニ『分裂』フランス、分断を誘っているのは誰?
8. 濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』絶望から忍耐、忍耐から希望
9. フランソワ・オゾン『すべてうまくいきますように』さらば我が父、さらば我が娘
10. ショーン・ペン『フラッグ・デイ 父を想う日』アメリカ、6月14日に生まれて
11. ブリュノ・デュモン『フランス』フランスのフランス、或いは俗物の聖人
12. ウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ』名物編集長追悼号より抜粋
13. アスガー・ファルハディ『英雄の証明』SNS不在のSNS時代批評…?
14. マハマト=サレ・ハルーン『Lingui, The Sacred Bonds』チャド、聖なる連帯
15. アピチャッポン・ウィーラセタクン『MEMORIA メモリア』コロンビア、土地と自然の時間と記憶
16. ジャスティン・カーゼル『ニトラム / NITRAM』オーストラリア、冷たく空虚な悪について
17. ジャック・オーディアール『パリ13区』コミュニティを描かないフランスの団地映画
18. キリル・セレブレニコフ『インフル病みのペトロフ家』エカテリンブルク版"ユリシーズ"的ファンタズマゴリア
19. ショーン・ベイカー『Red Rocket』トランピアンの元ポルノ男優、故郷に帰る
20. Joachim Lafosse『The Restless』動き続ける父の肖像
21. エニェディ・イルディコー『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』私の妻…を疑う私の物語
22. ナンニ・モレッティ『3つの鍵』イタリア、ある三家族の年代記
23. ジュリア・デュクルノー『TITANE / チタン』チタンがもたらす予期せぬ奇跡
24. ヨアキム・トリアー『わたしは最悪。』ノルウェー、正論と実生活の線引はどこ?

よろしければサポートお願いします!新しく海外版DVDを買う資金にさせていただきます!