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Random Walk

288
執筆したショートストーリーをまとめています。
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2020年5月の記事一覧

夜空を見上げて

夜空を彩る極彩色の大輪の花。あふれかえる音と光の野外劇。
煌めく炎色反応が私と胸に抱いた娘の顔を照らし出す。娘はまるでそれを掴もうとするようにちいさな手を伸ばす。
私は娘を抱いたまま、ぽろぽろと涙をこぼしていた。

娘が生まれたのを機に、私たち夫婦はちょっと無理して臨海地区に建つマンションをローンで購入した。目の前の海と山が同時に眺望できるのが売りの角部屋で、夫の職場からほど近く、育休中の私の職場

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山道のシカ

山道のシカ

がくん、と車体が揺れる音がすると、助手席に座っている新人の卓也がびくりと体をこわばらせた。
配属したての新人は最初は横乗り、つまり補助としてベテランドライバーの車に乗り込んでコツを覚えるのがトラック業界の慣例だ。俺はチッ、と舌打ちをして言ってやる。

「いちいち気にすんな。シカかなんかだよ」

輸送ルートの中でも山中の曲がりくねった道を抜けるこの区間は昔から動物との接触が多い。
特に今日のように夜

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部屋の鍵がない

部屋の鍵がない

ちょっと待って。

私は嫌な予感に包まれながらもう一度ゆっくりと鞄を探る。スマートフォン、お財布、スケジュール帳、化粧ポーチ、ヘアバンド、ハンドタオル、カードケース、筆記具。
待て待てもう一回。
スマートフォン、お財布、スケジュール帳、化粧ポーチ、ヘアバンド、ハンドタオル、カードケース、筆記具。
ジワリと汗がにじんでくる。焦る心をなだめすかすように深呼吸を一息。
落ち着け落ち着け。別のところかもし

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令和時代のサキュバス事情

令和時代のサキュバス事情

夜中にふと目が覚めると、体の上に悪魔っぽい女の子がまたがっていた。

「あ、目が覚めましたね。お聞きするんですけど、あなたは男性ですか、女性ですか、それ以外ですか?」

驚いて目を丸くしている僕に構うことなく、彼女は唐突に質問をしてくる。

「ええと、男性ですけど…」
「なるほど、性自認は男性であると。では恋愛対象、性的対象でもいいですけど、男性ですか、女性ですか、それ以外ですか?」
「いやちょっ

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喫茶フラーグで問答を

喫茶フラーグで問答を

お気に入りの喫茶店がある。初老のマスターが一人でやっている店で、家と会社のちょうど真ん中、路地を少し入ったところにひっそりと建っており、
表にちんまりと「喫茶フラーグ」と書かれた看板が置かれている。

外回りの営業の仕事をしている私は、ここで仕事帰りに一杯のコーヒーを嗜み、一息つくのが密かな楽しみなのだ。
おしゃれなカフェももちろんいいのだけれど、そういった店はなんだか周りの華やかなおしゃべりが気

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霧笛とクジラ

霧笛とクジラ

霧の日にはクジラが鳴く。

あたりはすべて白い霧に覆われ、世界の輪郭までぼやけてしまう。

ここはどこなのだろう。

誰かいないのか。

呼びかけるように、悲しく、低く、鳴き声を響かせる。

霧に覆われた町に、遠くから霧笛の音が響く。
僕はその音を、クジラの鳴き声だと思っていた。

僕の父親は遠洋漁業の漁師をしていた。
それゆえに家を長く空けることが多く、母親も収入を補うためにパートで働いていたか

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Flower language

Flower language

私の彼は変なことに詳しい。
それが役に立つ知識ならまあ許せるのだけど、彼の披露する知識は大概、それで?と言いたくなるような変なものばかりなのである。
以前友達に愚痴ったところ、なにも知らないよりいいんじゃない、ととりなされたけれど、日々そういったムダ知識を詰め込まれるほうの身にもなっていただきたい。

それゆえにその時の私のリアクションは大体「へー」ではなく、「へ?」である。このニュアンスの違いが

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狐の嫁入り

狐の嫁入り

「ねえ、たっくん、狐の嫁入りって知ってる?」

そう教えてもらったのはいつのことだろうか。
一人っ子だった僕は、お隣に住んでいるちょっと年上の燈子さんが姉代わりだった。物心つくまでは本当に自分の実の姉だと思っていたかもしれない。

お隣の天野家と僕の笹塚家は母親同士が幼馴染であり、僕と燈子さんは本当に姉弟のように育てられた。

「私たちは両家で一姫二太郎だからね」というのが母親同士の合言葉のように

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爪切り恐怖症

爪切り恐怖症

彼女は爪切りが怖いのだそうだ。

曰く、「自分の体の一部を自分で切るなんて、とてもできません」とのこと。大学のゼミ仲間での飲み会だった。居酒屋の座敷席。たまたま席が隣になったので、居酒屋の少し薄いカクテルを傾けながら自然とお互いのことを話していた。彼女とちゃんと話したのはその日が初めて。教室でもいつも男女限らず誰かに囲まれているような、屈託のない子だと思っていた。

「でも、髪の毛だって自分の体の

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コインランドリースケープ

コインランドリースケープ

コインランドリ―の風景が好きだ。

学生のころは一人で近くにある古びたコインランドリーに行っていた。
お金もないのでたまにしか使わなかったけど、行くときはたいがい夜遅くだった。切れかけでチカチカする蛍光灯の薄暗い感じとか、ゴンゴンとうるさい乾燥機の音の隙間を縫って、遠くから聞こえてくるパトカーの音を聞いていると、都会にいるんだなという実感がした。
ときおり洗濯物を回収しに来たラフな格好のおじさんと

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「歩行者」免許証

「歩行者」免許証

転勤により今日から都内で暮らすことになった私は、荷物の片付けの気分転換もかねてあたりを散策していた。ちょっと広めの通りの角を曲がったところで、警官に呼び止められた。

「歩行者免許証はお持ちですか?」

私は慌ててかぶりを振る。しまった、やってしまった。

「免許は持っているんですが、今ちょっと携帯していないです」
「困りますね。ここは歩行してはいけない場所ですよ」
「ここ、歩行禁止エリアだったん

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おいぼれオヤジとおんぼろパンダ

おいぼれオヤジとおんぼろパンダ

風雨に晒されて色あせたパンダの皮をむくと、強化プラスチック製の本体がむき出しになる。背中部分の蓋を留めるネジは錆びついており、表面に浮いている錆だけ軽くぼろ布でふき取ってからスパナを引っ掛ける。気を抜くと錆びごとスパナがはずれそうになるため、慎重に力を込めてネジを緩めて蓋を開ける。
開けた部分を覗き込んで、俺はつぶやいた。

「あー、こりゃなかなかの状態だなあ」

声が聞こえたのか、後ろで様子を眺

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部屋とシャチと私

部屋とシャチと私

ぱちりと目をあけると、目の前にあったのは赤みがかった暗い空洞だった。

「んん…??」

ぱちぱちとまぶたを上下させる。眼鏡が無いのでよくみえない。
ごそごそと手探りで枕元を探り、ピンクのフレームの眼鏡を手に取る。
くっきりした視界でよくよく見ると、それは何かの口だった。
視界の隅にギザギザの歯が並んでいるのが見える。

「え、え、なにこれ?」

布団のはしっこを掴んだまま混乱した声が自分の喉から

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ザリガニ放談

ザリガニ放談

「ザリガニの話していい?」
「またずいぶん唐突だな。まあいいけど」
「ていうかザリガニ知ってる?」
「馬鹿にしてんのか。知ってるよ。よく田舎の小学校で飼ってるだろ」
「あれねー、だいたい『いきものがかり』が世話さぼるんだよね」
「とりあえず平仮名はやめよう。なんか某アーティストみたいだから」
「ああはいはい。生き物係が世話さぼるじゃない?」
「そうだな、夏休みとかで放置しちゃって死んじゃうんだよな

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