夜空を見上げて

夜空を彩る極彩色の大輪の花。あふれかえる音と光の野外劇。
煌めく炎色反応が私と胸に抱いた娘の顔を照らし出す。娘はまるでそれを掴もうとするようにちいさな手を伸ばす。
私は娘を抱いたまま、ぽろぽろと涙をこぼしていた。



娘が生まれたのを機に、私たち夫婦はちょっと無理して臨海地区に建つマンションをローンで購入した。目の前の海と山が同時に眺望できるのが売りの角部屋で、夫の職場からほど近く、育休中の私の職場からもちょうどいい距離だった。

だけど希望にあふれていたはずの新居は、いまや私にとって牢獄のように感じられていた。

マンションを買った直後に夫は部署が異動となり、通勤に2時間以上かかる職場となってしまった。朝早く出て夜遅く帰ってくる生活。ときおり夜勤も入ってしまうため、常に疲れが溜まっているように見えた。残念ながらテレワークもできない業種だったので、まだ小さい娘の世話は私がするしかなかった。激しい夜泣きに悩まされ、しかしそれでも疲れからか目覚めない夫にはなかなか頼れずに、私のストレスは限界に近づいていた。

なんで泣き止まないのかしら。私は寝不足でぼんやりしたまま、ベビーベッドの中で喚き続ける娘の口にゆっくりと手を伸ばす。

その時、どぉん、と外から音が響いてきた。一回だけではない。どぉん、どぉんと繰り返し音が響いてくる。
この音はもしかして。
私はぐずったままの娘を抱き上げ、ベランダのカーテンを開ける。

目の前に、大輪の輝く花が咲いていた。

夜空に輝くそれは、季節外れの打ち上げ花火。打ちあがった一つが消える前にまた一つ、さらに一つ。
私はベランダに出る。
よく見るとベランダの正面だけではなく、遠くの山の向こう側、さらに先の海辺、見える範囲だけでもあちこちから花火が打ち上げられている。

隣でも仲がよさそうな老夫婦がベランダに出てきており、手摺りにもたれながら夜空を見上げている。
こちらが見ているのに気づくと、軽く会釈をしてきたので、こちらもぺこりと頭を下げる。抱いている娘を見て、奥さんの方が軽く手を振ってくれた。

となりにも人が住んでいたのね。当たり前の事実にいまさらながら私は思い至る。マンション全体がざわざわとしている。おそらくマンション中の住人がベランダに出てきているのだろう。
きっとこのマンションだけでなく、街中いたるところで人々が夜空を見上げている。

スマホの通知が鳴る。見ると鳥取の母親からだった。
メッセージには実家の窓から見上げた構図の写真が添付されており、私の地元でも花火が打ち上げられているようだった。


メッセージを返そうとしている途中でさらに通知が鳴り響く。一つのメッセージを開いている間に次々と通知が飛び込んでくる。
札幌に住んでいる中学時代の同級生。鹿児島に嫁いだ高校時代の友人。新潟に帰った大学サークルの先輩。勤務先の会社の同僚達。
仕事中のはずの夫からもメッセージが届いた。


どれもみな花火の写真が添えられている。誰もが夜空を見上げていた。
それを私に伝えてくれた。
私は不思議そうに花火を見つめる娘を、ぎゅっと抱きしめた。彼女の瞳は初めて見る光景を映しこんでキラキラと輝いていた。



仕事から帰ってきた夫が興奮気味に話してくれた。
いつもなら仕事疲れでぐったりとして無口なのだが、今日はいつもより顔に精気がある。

その日、日本の各地で一斉に花火が打ち上げられた。
たった5分間の光の祭典。

始まりはある地方の花火業者。花火大会の中止に伴い在庫となってしまった花火をボランティアで打ち上げる計画を立てた。噂をきいた他の業者から話が広まり、スポンサーもつき、その動きは全国へと広まっていった。
人が集まらないように場所も告知されず時間も秘密だったが、打ち上げるタイミングだけは揃えて行われた。


その日その時、日本中の人たちが、
違う場所から同じように夜空を見上げていた。


天気や空の明るさはそれぞれ違っても、タイムスタンプはまったく同じ花火の写真が一斉にSNSを埋め尽くした。
花火の画像や動画が添付されたメッセージがあちこちで飛び交い、同じように花火の画像が返ってきて驚く。

誰もが皆自分の場所から夜空を見上げ、その感動を遠くにいる愛する誰かと共有しようとしたのだ。

それは私にも届いていた。返すことはできなかったけど、私は確かに受け取ったのだ。


ベビーベッドで安らかに寝息を立てる娘の頬を夫と一緒にそっとなでる。
夫は近くの会社に転職することをさっき私に相談してきた。
しばらくは大変になるかもしれないけど、僕も一緒に娘を育てたいんだ、と彼は言ってくれた。


わたしは一人じゃない。そして、きっとあなたもそうであることを願って。

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