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山道のシカ

がくん、と車体が揺れる音がすると、助手席に座っている新人の卓也がびくりと体をこわばらせた。
配属したての新人は最初は横乗り、つまり補助としてベテランドライバーの車に乗り込んでコツを覚えるのがトラック業界の慣例だ。俺はチッ、と舌打ちをして言ってやる。

「いちいち気にすんな。シカかなんかだよ」

輸送ルートの中でも山中の曲がりくねった道を抜けるこの区間は昔から動物との接触が多い。
特に今日のように夜中に走っていると、餌を求めて道路にふらふらと出てくるシカやタヌキを轢いてしまうことはよくある。直接ぶつかったりしなくても、同じルートを通った別のトラックが轢いちまった死骸を慌てて避ける、なんてことはざらだ。
まあタヌキぐらいならいいんだけどな。シカとなるとあいつら角が生えているからうっかり変なところで跨いだりしちまうと車体の下の部分が傷ついちまうから注意が必要だ。せんだっても同僚の一人がうっかり大きめのシカの死骸をよけきれずに排気マフラーをダメにしちまった。
運行管理者の苦虫を嚙み潰したような顔を思い出してうんざりする。

時刻は深夜2時。
東名を降りたところで運悪く事故渋滞に巻き込まれ、予定していた休憩もすべてすっ飛ばして先を急いでいるところだ。
俺はいらいらしながら煙草に火をつける。
今回の荷主は口うるさいので有名で、分単位の異様に細かい到着時間を指定してきやがる。そのくせ自分とこの荷さばきがもたもたしているもんだから、こっちが先乗りして時間通りについても決まってこちらが待つハメになる。とはいえ客は客だ。大口顧客だから運行担当者も嫌とは言えず、仮に到着が少しでも遅れようもんなら鬼の首を取ったように文句をつけてくるはずだ。遅れるわけにはいかない。

今夜は微妙な蒸し暑さだ。エアコンをつけるまでもないが、煙草の灰が散らばるから窓も開けられない。
服越しにじわじわと締められるような不快さがよけいに苛立ちを募らせる。

ふと横を見ると卓也が青い顔をしている。

「なに震えてやがる。調子でも悪いのか」

卓也はおずおずとこちらに言ってくる。

「すいません、小便したくなってしまいました。どこかにコンビニに寄ってもらえませんか」
「ああ?お前急いでるンだぞ」
「すいません、我慢できそうにないです」
「そこのペットボトルか携帯トイレにしろよ」

冗談で言ってみたが、通じなかったのか卓也ははい、と小さくつぶやいてごそごそとペットボトルの蓋を開けようとする。

「まてコラ、冗談だよ。冗談もわかんねえのか。つってもここらにコンビニなんて一軒もねえぞ。適当な道路脇に止めるからそこでしろよ」

さっきびくりとしてたのは漏れそうだったからか。早く言えってんだ。車の中で漏らされでもしたらかなわねえ。
そういう時に限って適当なスペースが見つからない。右に左に揺らされているからか卓也の顔はいよいよ青くなってくる。
峠を過ぎたあたりでどうにか1台分のスペースを道路わきに見つけた。慌ててトラックを寄せる。あんまり手入れがされていないのか寄せる際にザリザリと立ち木をこすってしまった。ついてねえ。
もはや顔面蒼白の状態だった卓也は停車してパーキングブレーキをかけるやいなや、ドアを開けて飛び出した。

「用が済んだらペットボトル茶ででもいいから手を洗っとけよ。汚れた手で乗ったらぶっとばすからな」

草むらに入って用を足す卓也に言い放つ。これでさらに時間が押してしまう。卓也が戻ってくるのを待ってトラックを再び発進させる。道路に戻る際に、トラックががくん、と揺れた。
何か踏んだかもしれない、とは思ったが、時間も押していたのでそのまま山道を下り始めた。
もうぎりぎりの時間だ。ドラレコがあるからこれ以上スピードは出せないが、左右にうねる山道を限界の速度で走り続ける。
卓也はまだ青い顔をしていた。

「おいどうした。今度は車に酔ったとかじゃねえだろうな」
「さっき道に戻るとき、なにか踏みませんでしたか」
「ああ?確かにちょっと揺れたような気がしたが、シカかなんかだろ」

お前のせいで時間が押しているのに、余計なこと気にしやがって。
卓也が言う。

「でも、シカって服は着ないですよね…」

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