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おいぼれオヤジとおんぼろパンダ


風雨に晒されて色あせたパンダの皮をむくと、強化プラスチック製の本体がむき出しになる。背中部分の蓋を留めるネジは錆びついており、表面に浮いている錆だけ軽くぼろ布でふき取ってからスパナを引っ掛ける。気を抜くと錆びごとスパナがはずれそうになるため、慎重に力を込めてネジを緩めて蓋を開ける。
開けた部分を覗き込んで、俺はつぶやいた。

「あー、こりゃなかなかの状態だなあ」

声が聞こえたのか、後ろで様子を眺めていた田中社長が声をかけてくる。

「どうかね、菊池さん。やっぱりもうだめかね」

ちらりと振り向くと、すっかり禿げ上がった頭をなでながらいかにも残念そうな様子だ。俺は中をハンディライトで照らしてあちこちの状態をチェックする。

「まあ電気系統はなんとかするにしても、ギア周りが怪しいかもしれんな」
「厳しいかね」
「どうだろうな。もうちょっと詳しく見てみないとなんとも言えんな」

この屋上遊園地の遊具を担当している、いや、いたと言うべきか?設備会社の田中社長から電話で依頼を受けたのが3日前。依頼内容は「子供用乗馬式ジャイアントパンダ型電気自動車の修理」だった。

「なんだいそりゃ?」

電話口で尋ねる。正直聞いてもピンとこなかった。
俺はいわゆる「街の電器屋さん」を30年ちかくやっていたのだが、家電量販店やネット通販に押されて近年はもっぱら古い家電の修理を請け負って生活していた。頼まれれば品物、メーカー問わずなんでも修理する。
やってみて気づいたがモノを売るよりそちらのほうがよっぽど性に合っていたのか、いつのまにか「なんでも修理屋さん」として日々さまざまなモノが持ち込まれるようになった。
そんな俺でもその「ジャイアントパンダなんとか」は初耳の品物だった。
田中社長が説明する。

「ほら、うちのとこ屋上遊園地の設備を請け負っていただろ?菊池さんも見たことないかね、お金を入れるとメロディを鳴らして動くパンダとかの乗り物だよ」
「ああ、はいはい。そういや息子が小さい時分には乗せてやったような気がするよ」

聞くと、屋上遊園地の閉園が決まって徐々に設備一式の撤去を進めている中、倉庫からくたびれた状態で見つかったらしい。

「実はね、うちが最初に手掛けたのがその子供用乗馬式ジャイアントパンダ型電気自動車だったんだよ」
「呼び名が長いよ田中社長、呼び方はパンダカーとかでいいから」
「こりゃすまない。でね、実はうちももう会社を畳もうと思っててね。最後の仕事としてそのパンダカーを動かしたいと思ってるんだよ」
「社長のとこで修理すればいいじゃないか」
「もう従業員は軒並みいなくなってるんだよ。撤去作業もほとんど外注で進めてて、でもこれだけはよく知っている人間に頼みたくってねえ」
「それで俺んとこに電話してきたってわけかい」

とはいえ俺も同様に引退を考えており、新規の修理受付はもうやめているところだったのだが、古い付き合いの田中社長にどうしてもと頼み込まれ、結局引き受けることにしたのだった。


今日はその屋上遊園地まで来て、現物を検分することにしていた。
自己満足みたいなものだし完全に直らなくても構わないから、という田中社長の話を受けて、できるところはその場でやってしまおうと考えていた。

部品を一つ一つ丹念にチェックし、怪しそうな箇所に手をつけていく。
ちぎれた配線をつなぎなおし、事前に型式を調べておいたバッテリーと交換し、ギア部分の錆を落として油をさしてやる。
田中社長を見ると、手洗い場からバケツでお湯を汲んできて、布きれでパンダの皮の汚れを拭いていた。

作業の合間に周りに目をやると、まだ営業はしているものの撤去作業は徐々に進んでおり、木馬のいないメリーゴーラウンドにゴンドラのない観覧車が物悲しく佇んでいた。

「いかにも夢のあとって感じだなぁ」
「そうだねぇ。初めてここを手掛けた時はそりゃあ嬉しかったよ。小さくても遊園地っていう夢の詰まったおもちゃ箱を作る仕事だったからね。まわりの評判もよくてね、ほんとは撤去作業は完全閉園してからの予定だったんだけど、少しでも続けてほしいって要望があって撤去作業が完了するまで一部だけでも営業を続けてるんだよ」

とはいえ休みの日にも関わらず、屋上に子どもの姿は皆無だった。昔を懐かしむかのようにぽつぽつと年配の夫婦などが歩いているばかり。
田中社長が横で汚れを拭きながら寂しげに言う。

「せっかくやってても子供がいなんじゃ寂しいもんだねえ」

滴り落ちる汗を首元のタオルで拭きながら俺が答える。

「今どきの子どもはこういうところに興味ないかもなあ。っと。これでどうだ?」

一通りまずそうなところには手を入れた。ためしに座って投入口にコインを入れてみる。するとパンダは多少動きがぎこちないものの、メロディを奏でながらゆっくりと動き出した。

「おお、動いたね!」

田中社長が嬉しそうに言う。

「うん、ハンドルの動きも思ったよりスムーズだ。なんだこいつ、意外としっかり動くじゃないか」
「せっかく拭いたし皮もかぶせてみようか」

二人でいそいそとパンダの皮をかぶせてから、田中社長にも乗ってもらう。
にこにこしながら田中社長はパンダカーを運転しはじめた。

「いいねえ、楽しいねえ」
「社長、子どもじゃないんだから」

呆れたように俺が言った時、遠くから「あれ乗りたい!」という子どもの声が聞こえた。振り向くと、初老の女性と手をつないだ5歳くらいの男の子がこちらに駆け寄ってきている。
田中社長が満面の笑みで声をかける。

「坊や、乗ってみるかい?」
「うん!乗る!」

男の子は田中社長と入れ替わりにパンダにまたがると、社長から受け取ったコインを入れて楽しそうに運転し始めた。
女性はこちらにすいません、と声をかけてくる。

「いいんですよ、今ちょうど修理が終わったところなんで」
「私も昔息子にせがまれて乗りましたよ。あの子は孫なんですが、今日はつい懐かしくて」

別の用事で孫を連れて階下のデパートにきたところ、懐かしさにひかれて屋上遊園地を見に来たそうだ。

ほとんどの遊具が悲しげに沈黙する中、パンダカーは子どもを乗せて楽しそうにメロディを奏でている。
まさか修理した直後に子どもに乗ってもらえるとは思わなかった。
田中社長がパンダに乗った子どもを見つめながら、こちらに話しかけてくる。

「菊池さん、これは直してよかったですねぇ」

俺は目元をぬぐうのに忙しく、まともに返事ができなかった。
男の子は俺達が見守るなか、飽きることなく遊園地の中をパンダとともに探検していた。


田中社長から再び電話があったのは、あの遊園地が完全閉園となってから数日後のことだった。すっかり片付いてすかすかになった仕事場で電話を受ける。

「菊池さん、あのパンダカー、引き取り手が見つかったんですよ」

いかにも嬉しそうに話しだす。

「修理のあとパンダカーに乗った男の子と連れの女性の方がいたでしょ。あの方、幼稚園の園長さんだったらしくて、うちの幼稚園にぜひほしいといってくださったんですよ。メンテナンスについては私個人で引き受けようかと思ってます」
「そうですか。そりゃあなによりだ。修理の手ほどきは任せてください」
「ええ、ぜひよろしくお願いします」

電話を切ってから浮かんできたのは、男の子の笑顔とどこか誇らしげなパンダの表情だった。

そうか。おまえ、行き場が見つかったんだな。俺も直したかいがあったよ。

改めて仕事場を見回してみて思う。
ここに持ち込まれてきた家電は、ただのモノじゃなく、使う持ち主の想いがそこに宿っていた。考えてみれば俺はそれが嬉しくて、ここまで修理業を続けてきたのだと気がついた。

このおいぼれの手先と頭がまだ動くうちは、もう少しだけ。

俺は長年使い込んだ道具箱を棚からひっぱり出し、商売道具のメンテナンスから始めることにした。

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