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日々の思考と記録

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毒にも薬にもならないけれど、身体に染み込むように、思ったこと、考えたことを自分の言葉で書きます。拙くたって、伝わらなくたって、真摯に書く。
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2018年10月の記事一覧

だれの名残があるのだろう?

だれの名残があるのだろう?

 台風が通過して、雨戸を開けたらなにごともなかったかのような朝がそこにあった。眠りをさまたげる雨音を鳴らした雨雲の影も、家を揺らした突風の吐息もなかった。

 不思議だなと思って、外に出たら、ちゃんとそこには名残があった。
 枝や葉っぱが道路にちらかって、見慣れない木のかけらが横たわっている。
 全部を夏の湿気も吹きとばした空気はどことなく澄んでいて、呼吸がしやすい。

 物事はつながっていて、過

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役割ではなく、「あなた」へ感謝を送る

役割ではなく、「あなた」へ感謝を送る

 利他的であることは尊敬できるのですが、それだけじゃ足りないのかもしれない。昨日そんなことを思いました。
 まず、自分をなぐさめる手段を持たないまま利他に走ると、それが承認欲求を満たす手段になってしまいます。

 他者のために行動すると、感謝をされる場面が出てきます。感謝をされることで悪い気分になる人はいないでしょう。
 けれど、良い気分になるがゆえに、だんだん感謝されるような振る舞いをするように

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種を蒔くだけの人になる

種を蒔くだけの人になる

「本田さんが言っていたことを密かにできるようになりたいと思っていたんです」

 そんな台詞を言ってもらって、とても嬉しかった。
 自分自身はそんなつもりなくても、自分の言葉が根づいて生きていたことが喜ばしい。

 もっと種を蒔けばいいんだ。無責任に、無作為に。
 種を蒔いたら水をやって、雑草抜いて、花と実がなるまで手入れをし続ける。それって本当に必要だろうか? それは逆に種の生命力を奪うことになる

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はねかえる表情

はねかえる表情

 たまに顔を見て、笑われることがある。
 変顔をしている時ならばまだ嬉しいけれど、意外にも真顔の時に口元をゆるませるのだ。なんだろう、僕の顔はそんなにおかしいだろうか?

 しかも、それは1人に限った話ではなくて、複数の人が僕の顔を見て笑う。
「だって、笑っちゃうんだもん」
 理由を尋ねても、だいたい腑に落ちない返答があるだけだ。

 今日もまた僕の顔を見て、笑う人がいた。
 その人はひとしきり笑

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本当は必要にならない方がいい

本当は必要にならない方がいい

 世の中には色んな知識や理論、スキルが満ち溢れています。明文化された基準を満たすことで「ある」と見なされるもの、習熟の形で身につけていくもの。
 その仕入れ方からさまざまです。

 僕は心理学を学び、ヨガを実践して、ファシリテーションをかじっています。それは必要に駆られて身につけてきたことです。
 もちろん「やりたい、学びたい」と思ったらからやっているのですが、そこに興味を持つ体験があるからこそ引

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道端の邂逅

道端の邂逅

 駅に向かって歩いていたら、ふと青虫を見つけました。

 道路のど真ん中を我が物顔で這っていた。僕はその青虫を追い越してから、もう一度戻ってマジマジと見ました。

 周りはコンクリートだらけでどこからやってきたのかもわかりません。次なる葉っぱを探して、必死に移動しているのでしょうか?

 結局、時間がなかったのもあって、僕はそのまま1枚だけ写真を撮ってその場を後にしたのだけど、帰り道に青虫のことを

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肝をつかもうとして、霞をつかむ

肝をつかもうとして、霞をつかむ

 昨日、遊びの中でディズニーのミッキーを描こうとして、全然描けない自分がいた。それはネズミにすらも似ていなかった。その時は爆笑で済んだけれど、じわじわと悔しさを覚える自分がいた。

 それとは別件で、先日グラレコのれんしゅう会を開催した時にも同じような話題があった。その時はコアラを描こうとしていて、「どうすればコアラっぽく見えるか」と描きながら話し合っていた。
 しばしば似顔絵で、芸能人の特徴を誇

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いっしょに

いっしょに

「また一緒に遊ぼうねー!」

 ちょっとぶりに甥っ子と会って、追いかけっこをして遊んでいたら、帰りしなに手を振りながら大きな声でそう言われた。

 なんだか気恥ずかしくて「僕が遊んでやったんだぞ」と悪ぶってみたけれど、じわじわと胸の内が温かくなっていった。

「一緒に」という言葉はいいなぁ。
 上下でもなく、離れているのでもなく、並んでいる感じ。

 一緒に、やろうよ。
 一緒に、遊びに行こうよ。

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「なんでも問題にしちゃう」問題

「なんでも問題にしちゃう」問題

 やろうと思いながらもなかなかできない問題。
 そうやって、些細なことを「〇〇問題」とおどけて言うのが気づけば癖になっていた。

 問題として取り扱うと、それはどうしても解決しなければいけなくなってしまう。しかし、本当にそうだろうか?
 なにもかも問題として取り扱う姿勢の方こそ問題なのかもしれない。

 起こるできごとに対して、ひたすら悪い解釈をしていく。
 それは一面的なものにすぎず、可能性だけ

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体は心を表す

体は心を表す

 いよいよ気温がぐっと下がってきた。夜は窓を開けて寝られなくなってくる。そんな世間話をしていたら、ある人が言った。
「私、芯まで冷えて、初めて寒いことに気づくんだよね」

 その人は細身でいかにも冷え性といった身体をしている。
 僕が知るかぎり、その人は我慢の人だった。

 いろんなことに辛抱を重ねて生きてきた。だから、ほとんど弱音を吐かないし、苦労を厭わない人だ。けれど、我慢をするためには感性は

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なぜグラレコをやるのか

なぜグラレコをやるのか

 グラレコの筋トレを100日間やってみました。右も左もわからないまま、とりあえず思いつくことをやってみたところ、ようやく「なぜ僕はグラレコをやるのか」がわかってきましたので、今後振り返る時のチェックポイントとしても記しておきます。

 実績のあるスポーツ選手が技術論を語る映像や本において、全然参考にならないことがあります。
 僕は中学時代に卓球を始めました。構えやラケットの振り方などの基礎から技術

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抜け落ちる動機付け

抜け落ちる動機付け

「『なぜそれをやるのか』の部分がよく抜けるよね」

 自分でも自覚があったのだけど、その指摘をされて。
 僕は他人に理由や動機を伝えるのをしばしば忘れてしまう。説明すること自体が得意かと言われると首をひねってしまうのだけど、それ以前に説明する行為を忘れてしまう。

 それはなぜかと自問してみた。
 僕はなにをやっているのかわからないまま、物事に取り組むことがそれほど苦じゃないのだ。

 明確な目的

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恥ずかしさの終着点

恥ずかしさの終着点

 ちょっと前に録画しておいたプロフェッショナル仕事の流儀のかこさとしさんの回を見た。その中で「自分を恥じた」という表現があった。

 なんでもないフレーズなんだけど、妙に気になってしまった。
 そういえば、僕は自分を恥じるという経験をしたことがない。

 いや、学生時代に1度だけあった。自分のとんでもない偏見に気づいた瞬間に本当に消えてしまいたいくらい自分を恥じた覚えがある。

 けれど、記憶にあ

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記憶の残滓となろう

記憶の残滓となろう

 年に1回は顔付き合わせて話す友人がいます。期せずして生まれたサイクルが今年で3年目。去年は友人から声がかかったので、今年は僕の方から声をかけました。

 会おうと思えばいつでも会えるのに、わざわざ会おうとはしない。仲が悪いわけではなくて、ベタベタするのがお互いに好きでもないから、これくらいがちょうどいい。

「友達」「友人」という言葉は、関係性をひとくくりにしてしまいます。だけど、友達だから一緒

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