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私の家族はダイバーシティ
人に私の家族構成について話をすると「大変そう」とよく言われる。そう、私の家族は理想とされる家族の縮図。ダイバーシティなのである。
家族を紹介します私の家族は4人。
私は51歳。12年前に大動脈解離になり、その後遺症で下半身麻痺になり、以来、車いすを使用しています。株式会社ミライロの社員として働いていて、一応、一家の大黒柱をやらしてもらってます。
長女は28歳。ちょっとおっちょこちょいだけど最
山本五十六の教えと信じる力、それが岸田家の大事
私は車いすユーザーになってできなくなったことがいくつかある。その中の1つがガソリンを入れることなのです。
自動車と給油機の間が狭くて近づけない、タッチパネルやカード挿入口に手が届かないなどの理由で、セルフサービスのガソリンスタンドには行かない。給油はもっぱらフルサービスを24時間受けられる通勤途中の高速道路サービスエリアです。
でも、いつかは出かけたついでに近所のガソリンスタンドで気軽に給油で
ママにできることはまだあるかい?〜赤べこの思いを伝えたい〜
娘と息子が旅に出た。
(娘、奈美のnoteにサポートしてくださった皆様、ありがとうございます)
実は年に何度か、こうやって姉弟水入らずで気ままな旅をしています。どこに行きたい?と聞かれると決まって「温泉」と答える息子、良太。今回は滋賀県の温泉へ行くことにしたようです。
そして、娘のおかげで赤べこになった母べこは、旅先から送られてくる娘べこと息子べこの優しい笑顔の写真を見ながら、溢れんばかりの
まゆ毛とオシャレと私
「岸田さんって、オシャレですね」と、時々お褒めの言葉をいただけると、嬉しいという感情と同時に自信と元気が沸いてきます。昔から私は洋服が大好きでした。しかし、歩いていた頃にできていたオシャレと、今のそれは少し違います。
行動を変えると、気持ちが変わる
大動脈解離後の入院生活はリハビリを含めると約2年近く。当時の私は歩けなくなった現実を受け入れることができず、落ち込んで泣いてばかり。朝から晩までず
必要なのは、特別な存在にしないための「特別な支援」
今年5月、ニューヨークへ行ってきた。そこで感じた「心地よい無関心」はとても嬉しく感じた。
そこには、障害者は多様性の中の1人であって、特別な存在でも弱者でもない。困っている人がいれば助けよう、そんなシンプルな考え方があったから。
ではなぜアメリカにあるその「心地よさ」を日本で感じることができないのか、その理由を探ってみると、アメリカの特別支援教育のあり方にたどり着いた。
アメリカでは障害の
プラス思考になる方法
この写真は私の目線の高さ、110cmから見上げた大学病院入り口の景色です。
今でも数ヶ月に一度、大学病院で心臓の検診を受けています。
診察が終わったらいつもこの場所に来て、あの頃と同じ景色を見て、その時の私の気持ちを思い出しています。
今から11年前、私は突然歩けなくなりました。
病室にいた頃の私は自分に何ができるのかわかりませんでした。
何ができるのかわからない、だから何をしたらいいのか
頼りの娘から「死んでもいいよ」と言われた日
岸田ひろ実と申します。
車いすに乗って暮らしています。
もしかしたら「あ、かわいそうだな」「大変そうだな」「何かしてあげないといけないかな」と、そんなふうに思われた人もいるかもしれません。
11年前まで、私は普通に歩いていました。
歩いていたときの私も、きっとそういうふうに思っていたと思います。
「かわいそうだな」とか、「不幸せそうだな」とか、マイナスのイメージがありました。
でも私は、
前澤友作さんに会ったら、来週も会うことになった|書かせて!前澤さーん
小さな頃から、スケールがでっけぇものに、ただならぬ興味がある。
興味っつーか、もはや、恐れがある。
東京ドーム。富士山。シロナガスクジラ。コストコのピザ。
今、この瞬間。
私の目の前に座っていた前澤友作さんも。
脳内の同じカテゴリに、ぶち込まれた。
私が友人から借りパクしたシティーハンターのDVDを返すか返さないか迷い続けていた2年の間に、123億円でバスキアの絵を落札し、月へ行くことを決め
【続】一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた
出頭命令が届いた。
ブラデリスニューヨーク(下着の店)からだ。
今日までの、私とブラジャーの顛末は、こちらをご覧あれ。
というわけで、私、もっぱら乳を育んでおりまして。
もはや、育むっつー言葉すら、生ぬるいわけで。
なんだろうな。
固めてる、かな。
感覚的には、土木建築。
更地に、城を建ててんのよ。
周りの人たちには、悟られずに。
こっそりと。
なんつーか、もう、奇策の域っつーか。