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ジャパンウォーズ(JW)第一部 神武東征〜欠史八代

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ジャパンのウォーズについて、改めて書いて参ります。いろいろ新しい情報が入ったので、書き直そうと思ったわけです。写真も載せて参ります。
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2022年1月の記事一覧

JW82 大后がいっぱい

JW82 大后がいっぱい

【綏靖天皇編】エピソード10 大后がいっぱい

紀元前580年、皇紀81年(綏靖天皇2)1月、大王(おおきみ)となった綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)の大后(おおきさき)が立てられた。

そして、大后候補は三名もいるのであった。

最初に名乗りを上げたのは、ヌンちゃんの母親である、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)(以下、タタラ)の

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JW83 神八井耳の神社

JW83 神八井耳の神社

【綏靖天皇編】エピソード11 神八井耳の神社

第二代大王(おおきみ)となった、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)の大后(おおきさき)が決定された。

そして、その二年後、すなわち、紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、前回の予告通り、兄の神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死を迎えようとしていた。

カンヤ「よ

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JW84 言向け和し

JW84 言向け和し

【綏靖天皇編】エピソード12 言向け和し

紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死を迎えようとしていた。

それを聞き、弟の綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)が訪れる。

そのとき、大倭武速持(やまと・の・たけはやもち)(以下、モチ)と磯城太真稚彦(しき・の・ふとまわかひこ)

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JW84.1 日子八井は主人公

JW84.1 日子八井は主人公

【阿蘇開拓編】エピソード1 日子八井は主人公

紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死去した。

皇族や大臣の死を薨去(こうきょ)ともいう。

さてそれより、時は十年ほど前に遡(さかのぼ)る。

すなわち、紀元前592年、皇紀69年(神武天皇69)のある日、それは起こった。

日子八井命(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)が宮中に呼

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JW84.2 大蛇が住む池

JW84.2 大蛇が住む池

【阿蘇開拓編】エピソード2 大蛇が住む池

紀元前592年、皇紀69年(神武天皇69)秋、日子八井命(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)は神武天皇(じんむてんのう)こと狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)の命令で、筑紫(ちくし:今の九州)に赴いたのであった。

当然、高千穂(たかちほ)に立ち寄ったはずであり、高千穂では、三毛入野命(みけいりの・のみこと)(以下、ミケ)の息子たちが出迎えてくれた

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JW84.3 野の花と風薫る郷

JW84.3 野の花と風薫る郷

【阿蘇開拓編】エピソード3 野の花と風薫る郷

紀元前592年、皇紀69年(神武天皇69)8月、日子八井命(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)は神武天皇(じんむてんのう)こと狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)の命令で、筑紫(ちくし:今の九州)に赴いた。

三毛入野命(みけいりの・のみこと)の八人の息子たち(タカチホズ)も旅に加わり、奥阿蘇の大蛇を退治したのであった。

ヒコヤ「大蛇の住処であ

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JW84.4 牛さんは異邦人?

JW84.4 牛さんは異邦人?

【阿蘇開拓編】エピソード4 牛さんは異邦人?

紀元前592年、皇紀69年(神武天皇69)8月、日子八井命(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)は神武天皇(じんむてんのう)こと狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)の命令で、筑紫(ちくし:今の九州)に赴いた。

三毛入野命(みけいりの・のみこと)の八人の息子たち(タカチホズ)も旅に加わり、草部(くさかべ)の地に到着。

そこで、木本(きもと)さんを

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JW84.5 健磐龍登場

JW84.5 健磐龍登場

【阿蘇開拓編】エピソード5 健磐龍登場

紀元前585年、皇紀76年(神武天皇76)2月1日、日子八井命(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)の要請というオリジナル設定により、健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)(以下、たつお)が、橿原宮(かしはら・のみや)に呼び出された。

呼んだのは、言うまでもないが、祖父の神武天皇(じんむてんのう)こと狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)である。

サノ「・

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JW84.6 草部に到着せり

JW84.6 草部に到着せり

【阿蘇開拓編】エピソード6 草部に到着せり

紀元前585年、皇紀76年(神武天皇76)夏、健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)(以下、たつお)は筑紫(ちくし)に赴いていた。

筑紫とは、現在の九州のことである。

向かう先は、日子八井(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)が住まう、奥阿蘇(おくあそ)の草部(くさかべ)である。

そして、大伯父、三毛入野(みけいりの)の八人の息子たち(タカチホズ)は

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JW84.7 いざ、開拓へ

JW84.7 いざ、開拓へ

【阿蘇開拓編】エピソード7 いざ、開拓へ

紀元前585年、皇紀76年(神武天皇76)夏、筑紫(ちくし)の奥阿蘇(おくあそ)に赴いた、健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)(以下、たつお)。

日子八井(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)の娘、阿蘇津媛(あそつひめ)(以下、あっちゃん)を嫁に向かえ、阿蘇(あそ)の地に向かうこととなった。

たつお「それでは、阿蘇山(あそざん)に向かうっちゃが!」

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JW84.8 湖を解放せよ

JW84.8 湖を解放せよ

【阿蘇開拓編】エピソード8 湖を解放せよ

ついに阿蘇山(あそざん)北部の手野(ての)に辿り着いた健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)(以下、たつお)一行。

妻の阿蘇津媛(あそつひめ)(以下、あっちゃん)と家来の鬼八(きはち)と共に、解説・・・もとい開拓をおこなうのであった。

たつお「まずは、阿蘇山についての解説やな。」

あっちゃん「阿蘇山の周囲にある盆地は、二千年後、北側が阿蘇谷(あそだに)

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JW84.9 阿蘇の国から

JW84.9 阿蘇の国から

【阿蘇開拓編】エピソード9 阿蘇の国から

宮の地を定める為、手野(ての)の地から、勢いよく矢を放った健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)(以下、たつお)。

その姿を妻の阿蘇津媛(あそつひめ)(以下、あっちゃん)と家来の鬼八(きはち)が見守るのであった。

たつお「矢が落ちたじ! ここが阿蘇市(あそし)一の宮町(いちのみやちょう)の宮地(みやじ)になるんや! そして、矢が落ちた地には神社が創建され

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JW85 そして父になる

JW85 そして父になる

【綏靖天皇編】エピソード13 そして父になる

紀元前578年、皇紀83年(綏靖天皇4)4月、神八井耳命(かんやいみみ・のみこと)(以下、カンヤ)が死去した。

皇族や大臣の死を薨去(こうきょ)ともいう。

ここで、三人の家来が解説を始めた。

一人目は、椎根津彦(しいねつひこ)の孫で、志麻津見(しまつみ)の息子、大倭武速持(やまと・の・たけはやもち)(以下、モチ)。

次に、弟磯城(おとしき)の

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JW85.1 鬼八は二度死ぬ

JW85.1 鬼八は二度死ぬ

【阿蘇開拓編】エピソード10 鬼八は二度死ぬ

紀元前577年、皇紀84年(綏靖天皇5)。

一人の男の子が産声を上げた。

磯城津彦玉手看尊(しきつひこたまてみ・のみこと)(以下、タマテ)である。

父親は第二代天皇、綏靖天皇(すいぜいてんのう)こと神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ・のみこと)(以下、ヌンちゃん)である。

皇子(みこ)の名前についての解説の最中、奥阿蘇(おくあそ)から天彦命(あま

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