JW84.7 いざ、開拓へ
【阿蘇開拓編】エピソード7 いざ、開拓へ
紀元前585年、皇紀76年(神武天皇76)夏、筑紫(ちくし)の奥阿蘇(おくあそ)に赴いた、健磐龍命(たけいわたつ・のみこと)(以下、たつお)。
日子八井(ひこやい・のみこと)(以下、ヒコヤ)の娘、阿蘇津媛(あそつひめ)(以下、あっちゃん)を嫁に向かえ、阿蘇(あそ)の地に向かうこととなった。
たつお「それでは、阿蘇山(あそざん)に向かうっちゃが!」
あっちゃん「うちも行くっちゃ!」
ヒコヤ「草部に到着して、すぐ向かう必要はないと思うぞ。まずは、ゆっくりしていけ。」
そのとき、ヒコヤの息子、天彦命(あまつひこ・のみこと)(以下、あまっち)が語り出した。
あまっち「じゃが(そうだ)。まずは、我(われ)を祀った神社を紹介してやるっちゃ。その名も三郎神社(さぶろうじんじゃ)やじ。」
ヒコヤ「我を祀った草部吉見神社(くさかべよしみ・じんじゃ)から南に1㎞ほどの場所にある神社じゃ。」
たつお「な・・・なして、三郎なんや?」
あまっち「実はな・・・我の別名には、新彦(にいひこ)だけでなく、草三郎(くささぶろう)も有るんやじ!」
たつお「ん? 太郎は? 次郎は?」
ヒコヤ「そんな野暮な質問は、受け付けぬことになっておる。」
たつお「えぇぇ!!」
あまっち「では、三郎神社のことも紹介できたし、そろそろ、出発の時やな?」
たつお「はっ? 強引に引き止めておいて・・・。」
ヒコヤ「されど、汝(いまし)の使命は、阿蘇の開拓ぞ。大王(おおきみ)の遺志を果たすのじゃ! 奥阿蘇は、我らがうまく経営するゆえ、心配致すなっ。」
たつお「い・・・いやっ。ゆっくりしていけち、言ってたような・・・。」
こうして、たつおは、ついに阿蘇に向かうこととなったのであった。
たつお「で・・・では、行ってくるっちゃ!」
あっちゃん「行って参ります。」
ヒコヤ「気を付けてな!」
そこに、ある男、もとい、ある鬼がやって来た。
鬼八(きはち)である。
鬼八(きはち)「エピソード35.6以来の登場やじ。」
たつお「汝(いまし)は何者や?!」
ヒコヤ「復活して『たつお』の家来になった鬼八(きはち)じゃな?」
鬼八(きはち)「じゃが(そうです)!」
たつお「えっ?! この鬼を家来に?!」
鬼八(きはち)「改心したんやじ! よろしくっちゃが!」
こうして、たつおは、嫁のあっちゃんと家来の鬼八を連れて、阿蘇へと旅立った。
あっちゃん「旦那様? 私たちが、これから旅する場所やけど、二千年後は『健磐龍命と阿蘇津媛命のハネムーンルート』と呼ばれちょるんよ。」
たつお「な・・・なんち! ハネムーン? それにしては、邪魔者が一匹・・・。」
鬼八(きはち)「安心してくんない! わしは、何も見ちょらんし、何も聞いちょらん。」
たつお「何をや? どういう意味っちゃ!」
あっちゃん「まあまあ、お二人とも・・・。それよりも解説やじ。」
たつお「う・・・うむ。我らは、阿蘇山の北部を目指したんや! 二千年後の阿蘇市(あそし)一の宮町(いちのみやちょう)の手野(ての)っちゃ。」
鬼八(きはち)「なして、そこに向かっちょるんです?」
たつお「拠点に最適な場所やったとか? と・・・とにかく、人々からロマンを奪ってはならぬ!」
あっちゃん「では、ハネムーンルートの解説に参りましょう! まずは、祭場(まつりば)っちゃ。ここは、うちと旦那様が夫婦で祭りをおこなったことから、付いた地名やじ! 今は、祭場阿蘇神社(まつりばあそ・じんじゃ)が建ってるっちゃ。」
たつお「国津神(くにつかみ)を祀(まつ)ったんやじ。」
鬼八(きはち)「土着の神様っちゅうことやな。」
あっちゃん「それだけじゃないっちゃ。旦那様も祀られちょるんよ!」
たつお「その後、我々は更に北上し『峰(みね)の宿(しゅく)』で一夜を過ごしたっちゃ。」
鬼八(きはち)「わしは何も見ちょらんし、何も聞いちょらん。」
たつお「そ・・・それから、我らは、汗で汚れた布を洗ったんや。そこで付いた地名が、洗川(そそかわ)やじ。」
鬼八(きはち)「それを記念して建てられたのが、上洗川神社(かみそそかわじんじゃ)やじ。高森町(たかもりちょう)の上色見(かみしきみ)にある神社っちゃ。」
あっちゃん「ちなみに、上色見の地名も、洗った布が色に染まったので、色見(しきみ)と名付けた伝承に基づく地名っちゃ。」
たつお「この神社では『衣(ころも)すすぎ』という神事がおこなわれてるっちゃ。阿蘇大宮司の代替わりの時に催(もよお)される神事やじ。」
鬼八(きはち)「更に、境内には湧き水が有るじ! この水で洗濯したんでしょうな。ちなみに、毎日500トンの水量が出ているそうやじ。」
あっちゃん「そして、その布を乾かしたところが、掛干(かけぼし)っちゃ。二千年後は、下洗川(しもそそかわ)地区になっちょるよ! 当然、ここにも神社が建てられ、掛干神社(かけぼしじんじゃ)になってるっちゃ。掛干天神社(かけぼしてんじんじゃ)とも言うっちゃが。」
たつお「じゃが(そうだ)。高森町民バスの「洗川停留所」から国道265号線を少し南下し、右折した下洗川集落の奥に有るじ。『衣すすぎ』の神事では、大宮司が、ここで衣を干しておるんや。」
こうして、一行は解説を交えながら、阿蘇山の北部、二千年後で言う、手野に辿り着いたのであった。
つづく
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