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ケンヨウの階層

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自分自身に関わる文章を書きとめていきます。仕事のこと、生活のこと、いま夢中なことなど僕自身についてです。
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#音楽

[ちょっとしたエッセイ]反比例する夜に

[ちょっとしたエッセイ]反比例する夜に

 普段なら、寝る前にスマホを眺めていると急な眠気が襲ってくるのだが、この日は違った。見れば見るほどに、目が冴えてゆく。「あ、きたな」が僕の感想で、数カ月に一度やってくる眠れない夜が到来。こうなると、もうダメで、ひたすらに目を瞑って静かにするか、諦めて、眠くなるまで時が過ぎるのを待つしかない。
 幾分か時が過ぎたと思い、時計に目をやると午前3時。布団に入ってからすでに2時間が経過した。眠くない。眠れ

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[ちょっとしたエッセイ]そよ風に誘われて

[ちょっとしたエッセイ]そよ風に誘われて

 4月があっという間に過ぎてしまった。という感想を持ちながら、5月2日、ゴールデンウィーク最中のぽっかり空いた火曜日。また明日から休みが始まる。というか、今日は3日だ。

 この2023年も4カ月が終わり、今年の3分の1を消費した。しかし振り返るには、まだまだ昨日のような出来事ばかりで、懐かしみはほとんどないのが現実だ。

 先日、アメリカで開催されていたコーチェラの野外音楽フェスの模様をYouT

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[ちょっとしたこと] サブスクリプション

[ちょっとしたこと] サブスクリプション

この半年くらい、サブスクリプションで音楽サービスを利用している。とかくそれまでは、スマートフォンをコンピュータにつないで、インポートしてある曲を転送。結構面倒で、それが嫌で使用するようになった。CDを買わなくなった、買ってもコンピュータにインポートするのも面倒。置き場所もないなど、小さな悩みの積み重ねで、ようやく利用し始めました。

月額料金を支払い、電車の中などで、聴きたい曲でプレイリストを作っ

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[ちょっとしたエッセイ]さびしい夜中のおともに

[ちょっとしたエッセイ]さびしい夜中のおともに

 夜中というのは、本当の自分の孤独に向き合う時間で、時にさびしく、時に満たされる。
 そして、個人的に思う「ひとりでいること」の意義は、自分を憐れみ、深く落とす心の感情を剝きだすことで、再び自分の傷に塩を塗る行為だと思っている。それは、マゾヒズムとは違った観点で、考え方の問題かとも思うが、性的快感ではなく、心を自分で蔑むことから得る反発、すなわち憐れみが、じんわりと心から出る甘美な感覚を誘う。そん

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[ちょっとしたエッセイ]無益な暇のために

[ちょっとしたエッセイ]無益な暇のために

ふと、耳に風が伝う。
あ、なんだか心さみしい。
かといって、何をするでもない日常。
そんな日々に彩りをもたせるのはどんなことでしょうか。
本を読むも、そう。
目を凝らして周りの風景を見ることも、そう。
何か考え事をするも、そう。
人それぞれ、当たり前のこと。

でも無心になるとしたら、僕は音楽を聴く、を選びます。
耳をくすぐる、耳を満たす、耳を刺激するなどなど、
耳から得る感覚が僕は好きで、そして

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[ちょっとしたエッセイ]「ワレ想う故の90年代」vol.04

[ちょっとしたエッセイ]「ワレ想う故の90年代」vol.04

 さて、1990年代とは、みなさまにとってどんな時代だったでしょうか。
 もちろんその時代を知らない方もいるでしょう。僕からしたら80年代以前はあまり知らないわけだし、知らない時代は、ずいぶん昔のことだよなと思ったりもするので、まぁそのへんは人それぞれの感じ方に任せて、ひとえにその10年間に青春を迎えた自分としては、非常に懐かしいと思う反面、これが案外そんな昔でもないなと感じてしまいます。
 それ

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[ちょっとしたエッセイ] ヤンとナオミに囲まれて

[ちょっとしたエッセイ] ヤンとナオミに囲まれて

 自分の好きなもの、それは普遍的テーマかと思いますが、あくまで個人的に好きなものを綴るということは、共感ばかりではないだろうし、趣味わるいなと思う方もいるかもしれません。そして、勝手に好きと言っても、四六時中「好き」なものなんてあり得ません。短期的にあったとしても、継続的なものにはならなかったり、熱が覚めれば忘れてしまうことも多々あります。ということで、今の自分を虜にしているものに限定して、語らせ

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[おまえはだれだ?] 自己紹介いたします vol.2

[おまえはだれだ?] 自己紹介いたします vol.2

わたくし、ケンヨウという人間の略歴を紹介するテキスト。
第2回目は、中学からの学生時代についてです。
vol.1では、簡単な幼少期のことでしたが、幼稚園時代は本当に記憶が結構残っていて、ある意味でトラウマ、ある意味で強くなったのでしょう。障害を持つ子どもと生活をともにすることは(僕にとっては多動性障害の子との生活でしたが)、親にとっても勇気ある行動だったのではないでしょうか。

黒船は巨大で、隠れ

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