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神社学的★note

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#コラム

神社学的★今に伝わる天岩戸神話

神社学的★今に伝わる天岩戸神話

僕らが住まうこの国には、自然の摂理そのものを神とみたて命あるものすべてに神宿る随神道(かんながらの道)が続いている。その命はすべて、地球という星と太陽や月、様々な天体とのバランスにより奇跡的に生まれ、その命を継承していく使命をもっている。また、古代に生きた僕らの先輩は命をもたらすその様を神々のお話として、現代に生きる僕らにも繋がる命の連鎖を日本神話として残してくれた。

日本において最も古い書物と

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神社学的☆目に見えないもの

神社学的☆目に見えないもの

いつもいつも思うこと。

大事なものって目に見えないことが多くはないだろうか?

小さなころから、人を見るときには外見で判断しちゃダメ、内面が大事なんだ! とおそわってきた。そこで言う内面とは、その人の考え方や心持ちから現れる行動や思考のことかもしれないな、と思いながらも、外見は目に見えるが内面はなかなか目に映るものではない。

きれいごとと笑われるかもしれないが、お金よりも心のありようが大事だ!

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神社学的☆命生み出す陽ざしと笑顔

神社学的☆命生み出す陽ざしと笑顔

神社に魅せられ、その信仰の源流に興味がわいて日本全国様々な祈りの地へのご挨拶を重ねてきた。知れば知るほど、近代に生まれた宗教としての神道から僕の興味は離れていき、暮らしの中に見出され、各地で大事にされてきた信仰への興味がいまなお増幅している。

大自然の中に抱かれるように佇む祈りの地は雨が降ればしっとり美しく、光射せばキラキラと輝きを見せてくれる。同時に厳しくもあり、時折、大きな気づきを僕にもた

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神社学的☆両面宿儺という宝物

神社学的☆両面宿儺という宝物

hibi-kiというweb mediaにおいて飛騨地方に伝わる両面宿儺について記事を掲載したのですが、その補足的な意味を込めてその時の原稿の原文をこちらに記録しておこうと思う。

飛騨地方の民話、伝承に「両面宿儺」という化け物とも英雄とも伝わる傑物の存在がある。その話は日本国正史と言われる日本書紀に登場するが、非常に短い文章で紹介されている。

「六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其為人 壹體有兩面

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神社学的☆プロセスこそが随神道

神社学的☆プロセスこそが随神道

この国に住んでいる人であれば、一度も神社に行ったことがない、というほうがめずらしいかもしれない。では多くの方の神社参拝はどんなきっかけが多いのだろうか?

お宮参り、七五三、結婚式やお葬式などの人生の節目には必ずという方もいれば、お祭りや初詣といったイベント的な時にしかというかたもいるだろう。または観光や出張の際に立ち寄るなどなど、そのきっかけは様々ではないだろうか。もちろん合格祈願や縁結びなどの

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神社学的☆水と光と祈りの音と

神社学的☆水と光と祈りの音と

ここ数年、やけに“水”に心を奪われている。

この惑星の最たる資源、財産、宝物はどう考えても水なんじゃないかってこと。これだけテクノロジーが発達し、ガンガン宇宙に向けて調査が始まっていながらも、表面上にここまで豊かな水を有している星はまだ見つかっていない。そして「母なる海」と表現されるその存在なくして、地球上の様々な命ははぐくまれてこなかったはずだ。昨年、それまではあまり信じられてこなかった“水”

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神社学的☆命の連鎖の真っただ中にある責任

神社学的☆命の連鎖の真っただ中にある責任

神社に足を運ぶようになり、少しずつ僕は命の起源に思いを馳せるようになった。

同時にこの国の成り立ちや歴史にも興味をもち、その歴史を遡っていくと「古事記」にたどり着いた。

しかし当然だが「古事記」が日本の始まりではなく、そこに記録されるずっと前から僕たちの祖先は生きていて、神道や神社ができる前から、働き、食べ、眠り、だれかを愛し、子を産み育て、太陽や月や雷を神様として崇めていただろう。

たった

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神社学的☆「盛り塩」を考えた先に思うこと

神社学的☆「盛り塩」を考えた先に思うこと

街中でお店の入り口などに三角にとがった盛り塩をよく目にすることがある。

魔除け、清め、縁起物、風習・・・。

謂れはいろいろとあろうが、神棚にも同じように塩をお供えするのをご存じの方も多いだろう。僕はこの盛り塩の意味を「清める」というより「穢れを祓う」役割を果たすものだと認識している。

清めるのは穢れを祓わねば成り立たないものだし、そもそも「穢れ」という言葉は「汚れ(けがれ、よごれ)」の意味で

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神社学的☆自然という神との出会いが“自分”となる

神社学的☆自然という神との出会いが“自分”となる

僕が20代のころ見に行った演劇があった。とても前衛的な演出で、舞台上は怪しい光のもと、霧が立ち込め「うわぁ、すげえな。超神秘的だ!」なんて感動していました。

それから20年以上たった数年前、同じ演出者の手掛ける舞台に出かけたのだが、さすがに時の流れとともにその演出も磨きがかかり、さらに神秘的な空間が広がっていた・・・が、どうしても僕は以前のような感動をすることができなかった。この光は照明であり、

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神社学的☆神社は歴史と信仰を学び感じるスイッチ

神社学的☆神社は歴史と信仰を学び感じるスイッチ

この神社はどんな神様をお祀りしてるのかな。

気になる神社ができたら、ぜひそこに祀られその土地を守ってくれている神様のことや、その神社の歴史を調べてみると面白い。

僕は若いころ、半ば放浪のごとく海外を旅したことで、そもそもなんで僕は生きているのかな? この世の中に僕は必要なのかな? ということを考える時間を持つことができた。

ステレオタイプの価値判断や流行の中で何かに興味を持つことより、自身が

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神社学的☆日本の神様に出会うために山に登る

神社学的☆日本の神様に出会うために山に登る

あああ、今すぐにでも山に登りたいw 

山登りが好きな人にとっては気温が上がりすぎる前の春、最高の山日和ですな! 

ということで今回は、山登りと日本人・・・

というと大袈裟かもしれないが、日本人にとっての御山の在り方について。

「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」との趣旨で一昨年から8月11日が、「山の日」という祝日となる。かつて登山といえば、大学や社会人の山岳部・山岳会を中心とした

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神社学的☆奇跡のような普通のこと

神社学的☆奇跡のような普通のこと

昨年の今時期、神社学の仲間たちと茨城県の御岩神社へご挨拶に伺った。

この日はまさに夏日、気温は33‐34度といったところだった。こうなると何より注意しなくてはならないのが熱中症で、僕らのご挨拶はいつも登拝によるものだけに、自身も含め水分の確保だけには最大限の注意をはらって御山に足を踏み入れた。

御岩神社は原初の神・クニトコタチノミコトを祀る古社であり、神社の背後の聳えるご神体山・カビレの山こそ

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神社学的☆億千万の命に溶け込む

神社学的☆億千万の命に溶け込む

幸せとはなんであるか。
これこそ人の数ほどその概念は様々で、これが幸せの型です! 
と言える人はいないはず。

究極的には僕の幸せは僕自身にしかわからず、国に働き方を決められることでも、日本にオリンピックがやってくることでももちろんない。僕にとっては、今、この瞬間に生きていること自体を幸せなことだと感じていて、これ以上のテクノロジーの進化もライフスタイルの変化もあまり必要とはしていないのです。と、

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神社学的☆随神道(かんながらのみち)を歩く〜僕が神社にはまったわけ

神社学的☆随神道(かんながらのみち)を歩く〜僕が神社にはまったわけ

神さまとともに暮らす・・・。

随神道(かんながらのみち)という言葉で、昔から日本での暮らしの中では意識されてきた感覚だろうとおもうけど、言葉にしてみると、ものすごく大変なことのように思える。でも実はみなさんが日々の生活の中で無意識に行っていること全て、神さまとの暮らしそのものなんだろうと、ぼくは考えている。

思えば今から20年ほど前、海外の放浪の旅を終えた僕はワクワクしながら日本へ戻ってきた。

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