『「介護時間」の光景』(72)「鐘」。8.25.
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。
今回も、古い話で、申し訳ないのですが、前半は19年前の「2002年8月25日」のことです。後半に、今日、「2021年8月25日」のことを書いています。
2002年の頃
個人的なことですが、私にとっては、1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期入院が可能な病院に入院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。自分が心臓の病気になったこともあり、仕事は辞めて介護に専念せざるを得ない状況でした。
自分が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでした。でも、通わなくなって、二度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって、通い続けていたのが2002年の頃でした。
入院当初は、それ以前の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、最初は、うつむき加減で通い続けていましたが、2年経つ頃は、母親に丁寧に接してくれているのも分かり、さらには、減額措置なども使えるようになり、少しずつ、病院のことを信頼するようになってきた頃です。
毎日のように、記録をつけていました。
2002年8月25日
『2日ぶりの病院。
その間に、家に義母の妹さんも来てくださって、何か夏が終わったような気持ちにもなる。
ヘルパー(訪問介護員)2級の講義も終わって、なんだか一段落してしまった。
だけど、これからだ。たぶん。
午後4時半頃、病院に着く。
親孝行ね、とスタッフに言われる。
母の病室へ入ると、ここの患者さんで、母親と同世代の方が来ていて、あいさつをした。何日か先のフルーツヨーグルトの話を二人でしている。メニューの表が配られているから、それで先まで分かるようだ。
また、別のスタッフに「親孝行ね」と言われ、答えようがない。
病棟にある朝顔が咲いている。
「21個、咲いてたって」。
母は笑っている。
いつも、空のペットボトルを並べ、そこにテニスボールを転がして、倒して、それをボーリングと呼んで、母は、毎日それをしていて、「楽しい」って笑っている。
夕食は40分かかる。
今日は、暑くなった。まだ8月だった。
花のことをしゃべった。病室の中に鉢植えを置かせてもらっているのだけど、一回、その花が枯れて、全くなくなった時のことは、覚えていない。
今は、花がある。
午後7時に病院を出る時に、今だに母は「バナナがあるうちは、来なくていいから」と言う。いつも、数を数えているのだろうか、最近カレンダーに印が付いている。
外へ出たら、秋の虫の声がいっぱい聞こえてくる』。
鐘
病院を出てすぐの細い道。街灯も切れていて、すごく暗い。道のわきの林の木の輪郭も、暗さの中に溶けて混じっているような感じだった。
2年くらい前、ここを通るたびに恐かった、と思って歩いていたら、お寺の鐘らしき音が、急にかなり大きく響いてくる。
最初、音の固まりが来て、それがバラバラになって、さらに近づいてくる。形が不揃いで、ギザギザのパートに分かれながら、もっとぐんぐん近くにやってくる。そんな風に見えたような、感じたような、あいまいな感覚だった。
(2002年8月25日)
そんな日々が続き、2007年に、母親は病院で亡くなった。それから、心理学の勉強を始め、大学院に入学し、修了し、臨床心理士の資格をとり、介護者相談も始めることができた。
妻と一緒に、義母の在宅介護は続いていたが、それも2018年に義母が突然亡くなり、介護生活は19年間で終わった。体調が整うのに1年以上かかったが、その頃にコロナ禍になった。
2021年8月25日
暑さが少し柔らかくなってきた。
空が少し高く感じるようになってきて、それは、ちょっと秋に向かっているようにも見える。
セミの声が、ちょっと減ってきたのかもしれない。
チョウは、ひらひらと飛んでいる。
家にいて、なるべく外出せず、幸いなことにまだ感染しないで済んでいるのだが、もし、感染したとしても、自宅療養になるのではないか、と思うと、やたらと怖い。
それでも、パラリンピックは始まった。子供たちを観戦させることも始まったらしい。
なんだか、分からない恐さがある。
昔のドラマ
外へ出ることを減らしたせいもあって、テレビを見る時間が増えたかもしれない。
昔のドラマを見て、妻は毎回のように泣いている。
画面が、どこか明るいのは、20年前は、もう少し明るい未来を信じられたからかもしれない。
第1期の最終回は、政治家が良心に目覚めることを、三浦友和が説得力を持って演じていたが、このドラマから20年間、現実には、そんなことは一度もなかった、と思ってしまい、なんだか、勝手に、少し暗い気持ちになった。
美容院
コロナ禍になってから、妻は美容院に足を運びにくくなった、という。
それもあって、このところは、私が妻の髪をカットして、そして、髪を一緒に染めている。私自身は、自分の髪を何十年もカットしてきているけれど、妻の髪を切るときは、最初は緊張していたが、この1年で経験を積み少し慣れてきた。
妻の髪の質が元気なので、カットするのも気持ちが楽で、ただ、伸びるのが早いから、感心と戸惑いの両方がある。
この前カットしたばかりだとは思うのだけど、今日は、髪を染めるので、再び、カットする予定になっている。
いつもよりも早めに夕食にして、さまざまな時間を節約するためにも、コンビニで弁当を買ってきた。妻は珍しく、洋食系がいいというので、私から見て、「洋食らしさ(弱)」と、「洋食らしさ(強)」の弁当を買ってきたら、どちらも気に入ってくれたので、半分ずつ食べることになった。
これから夕食をとって、妻はいつものように少し仮眠し、それから髪をカットして、髪を染めて、お風呂に入ってもらう予定になっている。
今日は、筋トレもするつもりだったのだけど、最近の体調を考えて、大事をとって、妻は「1日に一つ」と言うので、筋トレは明日になり、今日は、カットとカラーの日になった。
少し日が暮れるのが、早くなってきたような気がする。
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