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「介護時間」の光景㊶「つぎはぎ」。1.14.

    前半は、19年前の2002年1月14日のことです。

(後半は、2021年1月14日の事を書いています)。

   その頃、私は、自分自身の病気もあり、介護に専念するために仕事を辞めざるを得なくなり、母親が入院する病院に通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に妻の母親を介護する毎日が続いていました。前回(リンクあり)より、9日後のことです。

 

(それまでと、それからについては、このマガジン↓にまとめてありますので、よかったら、読んでいただけると、うれしいです)


 当時は、介護だけをしていて、限られた場所しか移動していませんでしたが、今よりも、周囲への小さな変化や違和感に関して、敏感だったように思います。

 そして、毎日のように、何かしら書いていました。それは、あまり意識していませんでしたが、書くことで、少しでも気持ちの負担を軽くしようとしていたのかもしれません(リンクあり)。

 その頃の記録です。

2002年1月14日

『トーナメント会場にいて、プロゴルファーの取材をしている。
 ゴルフ場で試合をしている途中に、「なんだよ、あの音楽は」とクレームをつけられる。それは、会場になぜか大音量で流れ続けている音楽の曲のチョイスについてだったのだけど、そんな変な状況が、どうしてなのか分からなかったし、自分にそんな権限はない。

 取材でいつもお世話になっている人に話しかけたら、私が誰だか分からないと言われた。そして、屋外に流れ続ける音楽の話題に移った。

 そうしたら、今度は、急に有名な写真家が目の前にいて、インタビューを続けている場面になって、さらにしばらく話を聞いていたら、目がさめた。

 仕事したいな、と思う。

 介護を始め、自分が心臓発作も起こし、仕事を諦めて、介護に専念することにしたのが、2年くらい前だった。それまで、15年ほど、取材して書く仕事をしていた。その頃の夢を見たのだけど、やけにリアルに、本当にその場にいるような感じがした。

 テレビをつけたら、ゴルフの中継をしていた。
 自分が現場で取材をしていた頃から、解説をしていた人が相変わらず、以前と同じように滑らかに話し続けている。

 今日も午後から母の病院へ向かい、だいたい2時間かけて、午後4時半頃に病院に着く。入口のところで、いつも、この病院で会うご家族の方とお会いして、少し話をしたら、「うちも、家じゃ無理なんですよ」という話題になった。

 私も、同じような立場なのは、わかっているはずなのに、とっさに、そうした言葉が出てきてしまうのは、これまで、病院に入院してもらうことに関して、いろいろなことを言われてきたのかもしれないと思った。それは、自分にも経験があるからだった。


 病室へシクラメンの鉢を持って行って、それは、母は喜んでくれた。
 その後、午後5時にトイレに行く。

 午後5時半から夕食になって、35分ほどかけて食べて、すぐに母はトイレに向かう。

 今日の嫌な記憶と、この前に母がいた病院での嫌なことも思い出し、嫌な気持ちが重なり、すごく暗くなるが、それでも、一つ一つ、なんとかしていかないと、と少し思う。

 母の病室の小さなテーブルの上にメモがあって、そこに母は、石川啄木の歌が書いている。気がつけば、メモはもうすぐいっぱいになる。次も持ってこないといけない。

 午後6時38分に、またトイレへ行く。

 病院のスタッフが来て、尋ねられて、トイレの回数は1日に「14回」と答えていた。

 母が、急に「いつも大変ね。バス停まで15分かかって」と言われたので、「いや、そんなにかからないよ。5分くらいだから」と答える。

 どうしてこんな話題になったのかは分からないのだけど、多分、私に気を使ってくれたんだな、とは思う。
 
 午後7時に病院を出る。今日は寒さはそれほど厳しくない。

 病院の送迎バスを利用することが多くなった。
 他の乗客のほとんどは、病院のスタッフの人のようだった。

「初日だけど、いいものがなかったのよ」。
 初売りの話題かもしれない。
「街宣車が6台くらい来てた」
 それは成人式のことらしい。

 そんな話し声を聞きながら、駅の近くの系列の病院の前までバスは走って行く。


つぎはぎ

 地下鉄に乗る。
 イスに、マンガに出てくるような、糸をまつり縫いしたような、でも、その糸がはっきりと分かるような、ちょっと明るい感じのつぎはぎがあった。10センチかける20センチくらいの大きさ。
 少し遠くも見渡せば、イスはわりとぼろぼろで、つぎはぎがけっこうあった。車両全体が、そうだった。

                      (2002年1月14日)

 それから、19年たった。
 2018年12月には、介護も終わった。


2021年1月14日。

 天気が良くて、空が青くて、太陽がまぶしい。
 洗濯物を干していたら、2階で電話が鳴った。
 
 妻が出てくれたのだけど、しばらく時間がたってから、微妙な表情をして階段を降りてきた。

 なんか、区役所からだったんだけど。
 8月から12月までの医療費の何とかで、2万3100円戻ってくる、みたいなことを言ってた。
 それで、緑の封筒ありますか?と言われて。
 そういう手続きしてるはずなんだけど……。

 聞いていて、こちらも微妙な気持ちになったのは、支払ってくれる時に、行政からわざわざ電話があった事だった。妻は、一応、封筒を探していたのだけど、私もホームページで区役所の医療費関連の電話番号を調べて、電話をした。

 かかってきた電話のことと、妻の名前と生年月日と住所などを告げて、これ、本当ですか?と聞いたら、しばらくお待ちください。と言われ、どうやら問い合わせてくれているようで、しばらく待ったら、それは詐欺です。ときっぱり答えてくれた。緑の封筒、というのが、そうらしいです。

 緊急事態宣言が出ていても、コロナ禍でも、すごく勤勉に詐欺をしていると思ったけれど、はっきりと言ってもらって、少し安心した。時間をとらせてしまったけれど、調べてもらって、ありがたかった。

いつもと変わらない午後

 午後12時頃に家を出る。
 介護を始めて、心臓の病気になり、仕事を全くしないで、介護に専念した10年の後、学校へ通って、資格を取り、家族介護者の心理的支援のための「介護相談」を始めることができたのが、7年前だった。

 昨年は、コロナ禍で、どうなることかと思ったが、電話相談を組み合わせたりして、なんとか、やってこれて、それは、スタッフの方々の工夫と努力があって、初めて可能になったので、とてもありがたい気持ちがある。

 いい天気で温度も上がって、気持ちも少しゆるむ。
 だけど、駅に着いて、電車に乗るときは、おそらくウイルスは確実に存在するだろうから、やっぱり緊張する。車両の窓はいつもよりも少し大きめに開いていて、やや安心感はある。

 冬だけど、天気もいいし、風が気持ちいい。

重いニュース

 電車は終点まで走り、乗り換える。
 ドアの上の小さな画面にニュースが流れている。

 7府県で緊急事態宣言。
 死亡者・重症者過去最多。
 このままでは「医療壊滅」。
 終電時間繰り上げ。

 重いニュースばかりだけど、そうしたことと、車内の空気は違っていて、柔かいままのように思う。
 自分自身も、緊急事態宣言が出ている都内に住んでいるのに、2度目のせいか、少し遠い出来事のようにさえ感じることもある。

 だけど、どれだけ気をつけていても、感染のリスクはある。もし、そうなったら、今の状況だと、自宅待機になる確率が高い気がする。それは、想像以上に、ただ不安が高まる時間だろうし、社会的には、介護だけをしていた時も隔絶された存在だったけれど、それ以上に孤立するかもしれないと想像すると、やたらと怖くなる。

 電車内のアナウンスで、マスクをしてください、というお願いの声が聞こえてくる。

 車両の中に一人だけ、マスクをしていないで立っている若い男性がいる。気がついたら、少し責めそうな気持ちになるけれど、どんな事情があるかわからない。これだけ大勢の人が、マスクをするようになってから、まだ1年もたっていないし、考えたら、マスクが当たり前な光景の方が、非日常なのを忘れそうになっていることに改めて気がつく。

2匹のカモ

 電車を降りて、改札を出て、川沿いを歩いていたら、水面にカモが2匹泳いでいる。
 一匹が先に行くけど、少し後ろを振り向き、もう一匹の動きが少し遅れていたので、少し止まってから、また二匹で泳ぎ出した。
 それがつがいかどうかは分からないけれど、オシドリ夫婦という言葉は本当かもしれないと思った。

 まだ天気はいい。

 カモメが羽を広げ、川面の上を、流れるように飛んでいく。
 体が少し青く見えて、珍しい種類かと思ったら、さらに飛んで、日陰をぬけたら、やっぱり真っ白いカモメだった。


 今日も、東京都内の感染者数は1000人を越えた。



(他にもいろいろと介護について書いています↓。読んでいただければ、ありがたく思います)。




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