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『「介護時間」の光景』(121)「夏の夜のバス停」。8.11.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださっている方は、「夏の夜のバス停」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年8月11日」のことです。終盤に、今日「2022年8月11日」のことを書いています。


(※この「介護時間」の光景では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。


2001年の頃

 個人的なことですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。仕事もやめ、帰ってきてからは、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。だから、また、いつ症状が悪くなり、会話もできなくなるのではないか。という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この病院に来る前に違う病院にいました。その時、医療スタッフから、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば、外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ、介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。それが2001年の頃でした。

 それでも、毎日のようにメモをとっていました。


夏の夜のバス停

 今日は母親の病院に行くのを休んで、久々に妻と妻の母(86歳)と一緒に、妻の姉の家へ行く。

 もうほとんど歩けない義母。バスの乗り降りにはおんぶしなくてはいけない。

 帰り。夏の夜のバス停。

 知らない場所だと、目の前に時刻表があって、そして、まだそれほど夜でもなく、待っている時間の長さもそれほどでもないのに、いつまでも来ないんじゃないか、という不安に襲われる。

 そして目の前の光景が、どんどん自分と縁遠いものになっていくような心細さが増していく。

 この感覚は、子供の頃にもあった。30年以上前のことなのに、今の気持ちとそれほどブレなく重なるような気がする。
                         (2001年8月11日)


2001年8月11日

「久しぶりに行った妻の姉の家は、とても、遠くに感じた。

 バスの乗り降りに義母を背負って、痛いと言われて戸惑うが、どう背負うかの調整が必要だと改めて分かる。

 帰ってきて、電話があった。

 身内からだったけれど、母親の介護に対する意識が違っていて、いろいろとイラついたけれど、でも、伝えても分からないと思う。

 疲れた。

 明日は、また病院に行く」。



 この生活はいつまでも終わらないのではないか、と思っていたが、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月に、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得することができた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2022年8月11日

 暑い。

 この前、少し気温が下がった日があったけれど、また当たり前のように暑くなっている。

 猛暑日、という言葉が普通に使われるようになっているけれど、それは、気温35度以上で、それが過去最高の記録になっているから、もう、今の夏は、外で無邪気に遊べたような「あの夏」とは別のものになってしまったように思う。

 今日も起きて、日差しが強い。

 起きて、洗濯物を洗濯機に入れて、確か、起床後に直射日光を見ると、体内時計がリセットされるということを急に思いだし、太陽を見ていたら、声をかけられる。

 すぐそこの道路を歩いていたご近所の方だった。

「元気?」
「元気です」
「そう、よかった」。

 そんな短い会話をして、笑顔で去っていったけれど、やっぱりなんだかありがたい気持ちになった。

河川敷

 寒くても暑くても、河川敷で少し走ったりするのは、とてもおっくうになるのだけど、今年は特に夏の暑さが、命の危険を感じるようなレベルになっているから、それで、よけいに外で運動するのをためらっていた。

 だけど、外出をなるべく控えていることもあり、あまりにも閉じこもる感じが続くのも良くないので、昨日は久しぶりに河川敷で走ることにした。

 家から土手までは数分で着く。上り坂を登ると、堤防の上の道路に合流するけれど、空が広くて青くて、気持ちがよかった。

 だけど、いつものように下流に向かって走っていくと、向かい風も強く、気温もまだ高く、何しろ、とても久しぶりなので、無理するとまずいんじゃないか、と思い、自分としては橋まで行って、そこから戻ってくるという15分コースを完走したかったけれど、しんどかったので、その半分くらいで、Uターンをした。

 このまま、どんどん走れなくなっていくのかとも思って、ちょっと悲しかったけれど、それでも久しぶりに走った。

 走るときはマスクをしていなかったけれど、すれ違う人がいるときは、なるべく距離を取ったし、自転車に乗っている人は、マスクをしている人が多かった。
 この気温でマスクをつけて走ったら、もっと走れなかった、とは思う。

 河川敷から、家に向かう一般道路の時には、持っていったマスクをして、歩いていた。

 1日に一つは新しい情報を学ぼうとしていて、だから、図書館をかなり利用している方だと思う。

 今、読んでいる本は、10年ほど前に出版されていたのだけど、恥ずかしながら、つい最近まで、知らなかった。

 とても興味深い内容だった。社会運動と言われることでも、本当に地道に取り組むこと。さらには、どんな人が、どんな姿勢で行うかで、全く違ってくるのは、少しでも分かったような気がするけれど、こんな重要な本は、自分の無知はあるとしても、もっと話題になっていいのにとは、思った。

世界最多

 まだ感染収束は難しそうで、その上で、お盆休みがあって、人が移動するから、また感染がさらに拡大しそうだ。持病があったりすると、感染も怖く、救急車を呼んでも、どこにも行けないことがある、といったニュースを見ると、さらに恐怖心は増す。

 今の状況は、人によって、想像以上に違って見えているとも思うけれど、感染に関しては、とにかく自衛するしかないので、経済的には厳しい状況は続くけれど、それでも、家にいるときは、少しでも勉強はしようと思う。

 今は夏休みの時期だと、改めて思い出す。




(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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