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介護の言葉㉒「認知症フォビア」

    いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることが出来ています。

    初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。

    私は、臨床心理士・公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護の言葉」

   この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。

 時には、今はあまり使われていなくても、これから介護のことを考える場合に、必要であれば、その言葉について考えていきたいとも思っています。

 今回の「認知症フォビア」は、一般的には使われていませんが、これからの認知症介護について必要な発想だと考えました。

 最初は「フォビア」から始め、やや遠回りの話に感じるかもしれませんが、できましたら、読み進めていたければ、幸いです。

 よろしくお願いします。

フォビア

 フォビア、という言葉がつく場合は、元々はかなり限定的な使用法をされていました。基本的には、『病気』と言われるような症状です。

限局性恐怖症(特異的恐怖症・単一恐怖症)とはいわゆる「〇〇恐怖症」のことで、不安障害(不安神経症)の一つです。

 例えば、高所恐怖症。先端恐怖症。閉所恐怖症(他にも数多くあります)。

 この恐怖症、というのはフォビア(phobia)を和訳したもので、「フォビア」という言葉自体が、精神医療や、心理臨床の現場で、かなり限定的に使われる専門用語でした。

ホモフォビア

 このフォビアが、もう少し広い意味で使われるようになったのは、「ホモフォビア」という言葉がきっかけかもしれません。

ホモフォビア(同性愛嫌悪)とは、ギリシア語で「同一」を意味する「homo(ホモ)」と、「恐怖症」という意味の「phobia(フォビア)」からできている。そこから全体として、「同性愛や同性愛者に対する嫌悪感や恐怖感など、否定的な感情や価値観」を意味する。

 この場合は、「恐怖症」というのではなく「嫌悪」という意味合いが強いと思われますが、二つの言葉の使い方に共通点があるとすれば、どちらも、自分ではどうしようもない感情の動き、ということかもしれません。
 
 ホモフォビアだけではなく、トランスジェンダーに対するトランスフォビアという言葉も一般的になってきました。

 そのためか、フォビアは、本来の「恐怖症」という意味合いよりも、「嫌悪」で使用されることが多くなったように思います。

ゲイ当事者のホモフォビア

 こうした性的少数者に関して、私は専門でもありませんし、詳しく語る資格も能力も知識もないと思いますが、最近になって、こうした人たちもいることを知りました。

ホモフォビックな人ほど、実はホモセクシャルな欲望を隠し持っている、ということでした。 

 この著作では、そのことを「証明」するために、今では実施が難しそうな実験が行われていることも描写されているのですが、この事実は、なんとなくそうではないかと思っていたものの、実際に書かれると、その当事者の方について、複雑な思いになりました。

 それは、「ホモフォビア」な思想や感覚が、おそらくは周囲の環境なども含めて、本人にも内面化されているにもかかわらず、その本人がゲイであったと分かったとしたら、どのような葛藤を持つかということが気になりました。

 そのことについて、詳細に述べるようなことは私の能力や経験では無理ですが、ただ、自分自身が、自分が嫌悪していた存在だった、ということが分かった時のショックや戸惑いや、その後に、どうやって毎日を生きてきたのかを考えてしまいます。

 その人が「ホモフォビア」な言動によって、周囲の性的少数者を傷つけたことがあったとすれば、それについての責任を逃れることはできないとしても、通常の「ホモフォビア」とは違う心境ではないかとは想像できました。

 こうしたゲイであり、ホモフォビアである人は、より葛藤が強くなり、よりカミングアウトが出来にくいとも言われているようです。

 そして、そのことで、連想したのが、認知症のことでした。

認知症フォビア

 無理に同じように扱うのは、いろいろな意味で失礼ですし、不遜だとは思いますが、そんなフォビアのことを知って、思い出したのが、認知症に関わる話でした。

 特定の誰か、ということではなく、よく耳にする話題です。

 ご高齢の家族が、物忘れが激しく、どうも認知症らしい。だけど、病院に行くことをすすめても、絶対に行こうとしない。病院という言葉が出ただけでも、怒ったりする。

 デイサービスに見学に行っても、私が行くところじゃない、という言い方をして、介護サービスを受けるのを拒絶する。家族としては、認知症が進まないためにも、外出して、いろいろな人と交流してほしい、と思っているのに、とにかく嫌がる。

 認知症かもしれない。と考え、家族の方が、その本人のことを思って、病院に行ってほしい、と思っていたとしても、さらに、本人にもそういう不安があったとしても、今は、認知症は治らない。ということも常識になっています。

 そんな状況では、本人にとって診断名が確定されたとしたら「不治の病」と断定されたと同じになるわけですから、通院を拒みたくなるような気持ちも、想像しかできませんが、わからなくもありません。

 ただ、とにかく病院に行かない、という人の中には、もしかしたら「認知症フォビア」(そんな言葉は今は使われていませんが)と言ってもいいような人もいるのかもしれない、と思うようになったのは、ホモフォビアであり、ゲイである人がいることを知ってからでした。

 考えたら、当然のことかもしれませんが、「認知症」に対して強い嫌悪感を内面化している人が、認知症になる場合もあり得ると、考えるようになりました。

 そうした場合、自身が認知症かもしれない、と思った時は、その通院への拒絶感は、通常よりも強くなる可能性があると思いました。もしくは、その認知症の話題に触れたときに、より強い感情が爆発することもあるのかもしれません。

 この「認知症フォビア」という言葉は、おそらくはまだ誰も言っていないと思いますし、本当に、そういう人が存在するかどうかの証明も難しいのですが、そうした可能性も考えた方がいい場合もあるのでは、と思います。

 具体的に何かを変えることもできないですが、そうした場合には、より慎重に接することが要求されるのは、想像できます。



 今回は、かなり突飛な話だと思いますが、特に関係者の方は、こうした可能性も考えてもらってもいいのでは、と思っています。

 それでも、疑問やご意見がある方もいらっしゃると思いますので、お聞かせ願えればありがたく思います。

 よろしくお願いいたします。  



(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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