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「介護時間」の光景㊾「スポンジ」。3.16.

  初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。
 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年3月16日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

自己紹介

   元々は、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

   ただ、そうした「家族介護者の支援」をしている専門家がいるか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 それは、分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けられています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。そのことで、もちろんごく一例に過ぎませんが、家族介護者の気持ちへの理解が、少しでも進むのかもしれないと考えて、続けています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年3月16日」のことです。終盤に、今日、2021年3月16日のことを書いています。

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 その後、母の状態は落ち着いてきて、そんなに毎日のように病院に通わなくても大丈夫かもしれない。もしかしたら、義母の介護も続いていたとしても、少しは自分のことも考えられるかもしれない。そんなことを思うようになった2004年に母親は、今度はガンになり、手術を受けて、一時期は、よくなったものの、2005年には再発し、もう何か治療をすることもできなくなった。

 なるべく家に外泊したり、旅行にも行くようにして、2006年には箱根に、2007年の2月には熱海にも行けた。

 その後、母の病気は進んでいるはずだったが、表面的には、穏やかな日々が続いていた。

 その頃の記録です。心配することにも疲れてきたのか、文章自体も短くなってきていたようです。


2007年3月16日

『病院に行った。
 母はけっこう元気だった。

 3月24日に、花見に行くこと。
 その時に、本当に久しぶりに、この病院の近くに住んでいたことがわかった、母の親戚に連絡がとれて、一緒に会えることも伝えた。
 その時は、喜んでくれた。

 母は、病室で、いつも空のペットボトルを何本も並べて、そこにテニスのボールを転がして、倒すことをやっている。そのための道具一式を入れるボックスを妻が作ってくれていた。

 それを、母はボーリングと呼んでいる。

「ボーリングのこと、いつもカレンダーに書いてある」

 母は、急にそんなことを言った。


 夕食は、25分くらいかかって、でも半分ほどしか食べれなかった。
 病院のスタッフに「食べないですね」と、淡々と言われるけれど、そして、それは毎回、どのくらいの食事量なのかを記録するためだったのだけど、やっぱり食べないのか、と、とこれからの衰えを想像し、少し暗くなった。

 午後7時に病院を出る。
 家に帰ったのは、午後9時を過ぎていた、と思う』

スポンジ

 台所の流しのところに、スポンジを置いてある少し傾いた金あみのような入れ物から、スポンジが体を半分くらい出して、ぶらさがるようになっていた。
 そのスポンジに、何だか見た事がないような3角形がくっついている。
 ちょっと遠くから少し見ていても、それが何か分からなかったので、流しにもう少し近づいてみたら、スポンジに染みていた洗剤が、ねばるように流れるように落ちていて、それが3角形に見えていたのが、分かった。
 スポンジを洗い、すすいで、しぼって、3角形が出ないようにしてから、金あみに置いた。

                    (2007年3月16日)


 2007年5月に、母は病院で亡くなった。 
 2018年12月に、義母が亡くなり、突然、介護が終わった。


2021年3月16日

 妻が少し調子が悪く、ちょっと風邪気味らしいので、結構気になっている。庭にいるので、大丈夫?と声をかける。

 玄関のそばの古い机の上にある「豆苗」をザクザク切っている。いつの間にか、かなりたくさん生え揃っていた。

「最初が、99円で、食べて、また育ったからすごいよね、阿佐ヶ谷姉妹も育ててた」。

 そんなことを妻が言いながら、水を切って、今回は、処分するようだけど、切り取った豆苗は、台所で見ると、思った以上の量があった。

 確かにすごい。

カラスの被害

 朝から、カーカー、とカラスの声をよく聞くと思っていた。

 やけに澄んで、はっきりした声で、冷静そうな響きがあると思っていたら、今日は燃えるゴミの日で、家の前の集積所には、ゴミ袋が積まれているのだけど、また妻が外へ行ったと思ったら、道路を掃除していた。

 「カラスに生ゴミをやられて」。それで、声をかけたら、「よくあることだから」と冷静に言われた。

 洗濯物を干していたら、しばらく、カラスが、すぐ上の電柱のところに止まっていたから、追い払おうと思って、近づく。

 足音を強めに立てて、軽いダッシュでいくと、カラスは飛び去って、だけど、このゴミ集積所が見えるような、近所の高校の高いところにあるアンテナに止まっている。たぶん、30メートルくらい先。

 気がついたら、2羽が、縦に並んでいて、こっちを伺っているようで、なんだか、微妙な緊張感が抜けなかったし、憎たらしいような思いで見ていたけれど、カラスは全く関係ないように、遠くで、周囲を見下ろしているように感じた。

 かー、かー、声は、あちこちから響いてきて、思いがけない方向から、また違うカラスが飛んでくる。

 空飛べるから、いいよな。

 と思いつつ、立体的に動きを構成できるから、圧倒的にこちらが不利で、とかなり無駄なことを考えていたら、ゴミ収集車がゴゴゴゴと現れる。

 とても素早く、家の前の2カ所の場所から、積み上げられていたゴミ袋がきれいになくなっていた。
 ありがたい。

カラスへの介入

 妻は、さっき、いろいろと作業をしていて、汗をかいて着替えている途中で、今月は、うちがゴミ当番なので、ゴミネットをたたもうと思って、道路に出て、折りたたんでいたら、妻がやってきて、『このネットの「大田区」は見えるようにしないと、ごめんね』と言ってくれ、一緒にたたみ直す。

 二人でネットを縦にたたみ、細くなった後に、また小さくしていく過程は、サッカーをしていて、ゴールネットをたたんでいく作業と、ほぼ一緒で、その時の感覚を少し思い出すが、それで、うまくできるわけでもなかった。

 そのあと、家に戻って、また外を見た時に、もうゴミは回収されたはずの道路にカラスが舞い降りていた。

 何かが残っているのかもしれないけれど、この場所が安全だと思われたら、またゴミをやられやすくなると思い、庭に出て、植木鉢が割れてできた、小さめのカケラを手に持って、サンダルを履いて、ダッシュでカラスに近づいたら、すぐに飛ぶ。

 だけど、次に止まったのが、そこから5メートルくらい先のマンションの軒先みたいな場所にいるから、すぐに、そこへ向かって、なるべく足音を大きくして、ダッシュすると、今度は、さらに遠いところへ飛んで行こうとする。

 その時に、手に持っていたカケラを投げても、安全な空間を横切ったのだけど、やはり投げられず、中途半端に右手をあげていただけだった。
 それから、また家に戻る。


 その途中、道路に、7〜8人の仕事中と思われる格好をしたマスクをした女性たちがちょうど歩いていたのに気づき、目が合った。

 奇異な行動に見えたかもしれない、と思った。




(他にも介護について、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。





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