『「介護時間」の光景』(117)「曲線」。7.11.
いつも読んでいただいている方は、ありがとうございます。おかげで、書き続けることができています。
初めて読んでくださっている方は、見つけてくださり、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことで、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年7月11日」のことです。後半に、今日「2022年7月11日」のことを書いています。
(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)
2003年の頃
私は、元々は、家族介護者でした。
1999年から介護が始まり、2000年に、母は入院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。自分が心臓の病気になったこともあり、仕事は辞めて介護に専念せざるを得ない状況でした。
私が、母の病院に通っても、医学的にプラスかどうかは分かりませんでしたが、でも、通わなくなって、2度とコミュニケーションが取れなくなったままになったら、と思うと、怖さもあって通い続けていました。
転院当初は、それ以前の医療関係者にかなりの負担をかけられていたこともあり、最初は、うつむき加減で通い続けていましたが、2年経つ頃に、病院へ信頼感も出てきたと同時に、母の症状も比較的安定していました。
だから、2003年の頃は、自分も穏やかだった頃かもしれません。
そのころの記録です。
毎日のように記録はとっていました。周囲の小さな変化に対しても、今よりも敏感だったような気もします。
2003年7月11日
『最近、眠れないのは、運動不足なんだと気がついた。
それに、枕も関係あるかも、と思った。
午後4時30分頃、病院に着く。
母は、布団に入って、横になっていた。
さっき、白髪の人が、急に部屋に来たらしい。
その人は、「名古屋でいいことあるって、言われて、それで、私に聞いたらわかるから」と、言って、帰っていったらしい。
それで、びっくりした、と母は言っていた。
それが本当のことかどうかは、わからなかった。
夕食は35分くらいで終わる。
昨日の夜、午前2時頃、隣の「ベッドの上」の人がうるさくて、起きて、その人は、どこかで連れて行かれたらしい。その人は、「父さん、母さん」と言っていた。
そんな話も母はするのだけど、ここは、個室のはずだし、本当のことか分からない。
それでも、怖かったり、不安だったりすることは、本当だろうから、その話を聞いていた。
午後7時に病院を出る。
雨はさっき降って、今はやんでいた』。
曲線
駅の階段の途中。柱のところに、何か紙のようなものをはって、はがした後がついていた。
それが曲線になっていたのだけど、その曲がり方に、意図が感じられなくて、かえっていい感じに見えた。
大竹伸朗の影響かもしれない。と思うと、少し恥ずかしいような気もする。
(2003年7月11日)
この生活は続いたが、翌年2004年に母はガンになり、手術もし、一時期は落ち着いていたが、翌年に再発してしまった。そして、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」が終わった。
義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2022年7月11日
昨日は、選挙の日だった。
投票に行って、帰ってきて、夜になってテレビを見ていたら、どこも開票速報で、だけど、これまでと変わらないような結果になった。
いつもと同じ日曜日のはずだけど、選挙があるだけで、ちょっと非日常的な感じがする。
ハスの花
最近、留守番電話に伝言が入っていた。
それは、近所にハスの花があって、開き始めた、という内容だった。
妻は、それを聞いて、さっそく見に行ったり、写真を撮ったりしていたが、午後に見に行った時には、すでに閉じ始めていた。
それで、今日は午前中に行って、やっと開いている姿を見て、そして、撮影もできた。
その鉢には「艶陽天」という名札が立っていた。
第7波
なんとなく、コロナ感染に対して、社会の関心が薄れた後、再び、6月下旬くらいから、感染拡大の傾向が強くなってきた。
すでに第7波に入っていると言われているけれど、今回は、緊急事態宣言はいうまでもなく、何らかの行動制限をする動きすらなく、それに対しての議論自体もほとんどなくなっているように思う。
社会を運営していくには、感染拡大に関して、それほどの注意を払わなくなる、というのも仕方がない選択だと思うのだけど、問題は、重症化した時の治療体制だと思う。
2年前に比べれば、時間もあったことだし、その体制が充実していれば、高齢者が感染したとしても助かる確率が上がるはずだから、治療体制の現状については気になる。
高齢者の治療体制
今、高齢者が感染したとして、重症化した時のために、ECMOによる治療が可能な医療機関に入院することはできるのだろうか。高齢者とは、比較的縁がある生活をしているために、そういう不安は今もふくらんでいる。
感染拡大が7回目を迎えて、今も「病床不足の不安、再び」という見出しを見ると、詳細は分からないから何かを言う資格はないとは思いつつも、この2年間、治療体制充実のための政策は、もっと力を入れられなかったのだろうか。
そんな思いにもなる。
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