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『「介護時間」の光景』(122)「花火」。8.15.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださっている方は、「2001年8月15日」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年8月15日」のことです。終盤に、今日「2022年8月15日」のことを書いています。


(※この「介護時間」の光景では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。


2001年の頃

 1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。仕事もやめ、帰ってきてからは、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。だから、また、いつ症状が悪くなり、会話もできなくなるのではないか。という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この病院に来る前に違う病院にいました。その時、医療スタッフから、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば、外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ、介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。それが2001年の頃でした。

 それでも、毎日のようにメモをとっていました。


2001年8月15日。

『午後4時30分ごろ、病院に着く。
ポリグリップがない。
「明日来れない」という話をしたら、妙な反応。

 まずかったかな、と思って、話題を変えて、今日は終戦記念日だったから、その話になった。

「その頃、国立に通ってて、6時30分頃家を出てたから、冬になったら、やめようと思ってたら、終戦になったのよ」

 ちょうど終戦の頃に母は20歳くらいのはずだった。


 夕食の時にも、なんだか元気ないな、と思う。

 だけど、窓の網戸にセミが止まって、鳴いてたら、それには、うれしそうに笑っていた。

 それにしてもトイレの回数は多かった。

 30分に2〜3回通って、それでも3分以上はかかっていて、大丈夫だろうかと思ったりもする。

 夕食後もすぐにトイレに行き、別の場所のトイレだから、見にいったら、「出ないのよ」と言っている。

「さっき、何度も行ったから、もう出ないんじゃないの」
「あ、そうか」

 どうやら、その前にトイレに行ったことを忘れていたようだった。
 30分で、また3回トイレに行った。


 牛の鳴き声のような声が、規則正しく聞こえてくる。テレビの音かと思ったら、少し遠い部屋の高齢男性のうめき声のようだった。

 帰り際に、ポリグリップの話をして、明日来れないのに、どこへいったのか、といった話をしてしまい、それが、ちょっと強く伝わってしまったみたいだった。

 何かを言ったわけでもないのに、「明日は、来れないみたいだから」を少し繰り返していた。

 本当にほんの少しのことで、すごく気にするみたいだった。ものすごく微妙なバランスだったことを、改めて思い出した。なんとか落ち着いてもらうしかない。

 午後7時頃、病院を出る』。

花火

 夜9時頃の上り電車。いつもよりも混んでいる。大きいかばんを持っている人も多い。お盆休みを終えて、また戻ってくるというUターンなのかもしれない。今でも、まだそういう習慣があるのは、自分が会社勤めをしていないせいもあって、ピンと来ないのかもしれない。

 駅で乗り換える。花火の音が聞こえる。かなり大きい音だけど、花火がどこに上がっているかはすぐには分からない。川のそばの花火大会の日だった。暗い空に花火が開く。普段は意識していないけれど、かなり大きい花火が、空に比べると小さく見え、空が広いんだ、と思わせる。

 だけど、何発か見ていると、花火はやっぱり近くて大きくて、ドン!という低めの響く音が何度も聞こえるのを繰り返すと、その音のたびに「花火だ」と思う。

 少し前に、この駅のすぐそばで起こった銃撃の事件の事を自分でもこじつけだと感じながらも、そんな記憶も頭をかすめる。

 駅のホームの屋根の間から見える花火。たぶん、もう最後なのだろう。大きくては華やかで、数も多くなっている。でも、なんだか都会な感じがする。自分にとっては、今年2回目の花火。

                    (2001年8月15日)


 この生活はいつまでも終わらない。そんなふうに思っていたが、2007年に母が病院で亡くなり、「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月に、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得することができた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2022年8月15日

 家のそばにイチョウ並木があって、その根本がとても小さな庭のようになっている。

 そこに、いつの間にか雑草が生え、私には細かいことは分からなかったものの、そこに13種類が生息していることを妻に教えてもらった。

雑草

 そして、その場所に、その13種類の名前とイラストを妻が描いた。

 スベリヒユ。
 コニシキソウ。
 エノコログサ。
 スギナ。
 エノキグサ。
 オニタビラコ。
 サンジソウ(ハゼラン)
 ヒメツルソバ。
 トキワハゼ。
 イヌホウズキ。
 カヤツリグサ。
 ノゲシ。
 コメヒシバ。

 そのふだ?は、雨が降ると妻は、家の中に入れて、今日は晴れているので、外へ出していた。すでに1週間ほどはたったはずだ。

 妻としては、これを見て、その下の雑草に興味を持ってくれれば、という気持ちがあるらしい。

 すでに何人かは気がついているとは思うのだけど、直接の声は聞いていない。

ドラマ

 録画していたドラマを見る。

 二人の女性が組んで、難しい事件を解決していくフランスのドラマなのだけど、たとえば、事件に関するファイルの並べ方などが美しいので、少し経ったら、日本の刑事ドラマでも見られそうだと思ったし、主人公のうちの一人が自閉スペクトラム症と診断されているのだけど、その人物の描写に説得力があるようにも思った。

 やはり、精神医学の分野も西洋由来だから、歴史の蓄積があるのかもしれない、などと思っていた。


ヘアカット

 妻は喘息でもあるので、私よりもより外出を控えている。
 美容院も行く回数が減って、そのうちに、私が妻のヘアカットもするようになった。

 私自身が、30年以上セルフカットしてきているし、ハサミも通常のものと、スキバサミの両方があるから、一応のカットもできるけれど、自分よりも他の人の方が難しい。

 それでも、昔は入院しているときに母のカットもしたし、義母も外へ出かけるのが困難になってから、私が切るようになった。

 妻も、何度か切らせてもらっているうちに、少し慣れてきた。

 今は暑いし、妻の髪は健康的でカットもしやすいけれど、伸びが早いようなので、今日もカットする約束をする。

 そのために、いつもよりも少し早い夕食になった。




(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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