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「介護時間」の光景(52)。「さくら」。4.8.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで書き続けることができています。


 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年の頃」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々は、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 ただ、そうした支援をしている専門家がいるか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。それは、分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年4月8日」のことです。終盤に、今日、2021年4月8日のことを書いています。

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 その時の記録です。毎日のように、メモをとっていました。

2003年4月8日。

『午後4時30分頃に病院に着く。
 明日は、病院での、患者さんへ渡す誕生日カード作りのボランティアを休むことにしたので、そのアイデアの本当に簡単なスケッチと、作業をしてくれる皆様へのお菓子を、スタッフの方に渡した。

 母は横になっていた。

 夕食中に、住職だったので、「おしょうさん」と呼ばれる患者さんの、お孫さんがお見舞いに来た話を聞いた。

 お孫さんは、明日から3ヶ月の高野山の修行に行く、という話をしていったらしい、ということを母から聞いた。

 そんな話をしながら、夕食は30分ほどかかった。

 その後、母はすぐにトイレに行って、しばらく戻ってこない。いつもよりも長いかもしれない。

 持っていったカーディガンを、母は喜んでくれた。

 外の雨と風は強くなってきた。

 それは、病室の窓からも分かるから、帰りのことを、母が心配してくれた。

 午後7時に病院を出る。
 雨はもう降ってなかったけれど、風はえらく強い』。

さくら

 電車の中。トレーナーにジャンパー姿の50歳くらいの男性が座席に座っている。単行本を読んでいた。
 少したったら、眠ったらしく、読んでいる本を床に落とした。
 さくらの花びらが1枚だけ宙にとび、男性の向かいの席のそばまでとび、床に落ちて、はりついたようになった。

                     (2003年4月8日)


 その翌年、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 
 それから時間が経ち、義母の介護は続いたが、2018年の年末に、急に介護が終わった。


2021年4月8日

 家の前にはビワの鉢植えがある。

 昨年、あまりにも根が伸びてしまい、鉢植えを突き抜けて、下の道路にまで食い込んでいたので、その根切りをしたし、大幅に枝も切ったので、しばらく実がなることもないのではないか、と思っていたのに、小さいけれど、緑の実が10個ほどなっている。
 
 今年も、秋になり、色づいて美味しそうになった頃、カラスに食べられないように、という微妙な戦いが始まるのだと思う。

 家の前の道路のイチョウ並木の下には、小さな土のスペースがある。そこに、妻は「雑草の庭」を作っている。気に入った雑草が生えたら、それを生かし、場合によっては移植し、名札を立てて、今は、春になって、花も咲き始めている。

 それは、ある程度は予定通りの成長らしいのだけど、家の前のビワの鉢植えの土の部分には、気がついたら、何種類かの雑草の花が小さく咲いている。

これ、7種類もあるんだよ」。

 そのことを話す妻は嬉しそうで、そんなにあるのは、私には全くわからず、教えてもらったら、「カタバミ、コバノタツナミソウ、オニタビラコ、チチコグサ、タチイヌノフグリ、コモチマンネングサ、ナガミヒナゲシ」と何も見ないで、答えてくれた上に「もう少しあると思うんだけど」と言われた。

 たぶん、申し訳ないのだけど、かなり忘れてしまうと思う。

カットとカラー

 コロナ禍という言葉が定着してから、もう1年は過ぎたように思う。
 マスクをして外出を控えて、人と距離をとる習慣は続いていて、そして、微妙な緊張感も継続している。

 妻は、ぜんそくなので、私も含めて、より注意をしているのだけど、その間にも、有効な政策がとられた印象も少なく、ただ不安で、そしてひたすら自衛をする生活の毎日になっている。

 経済的には厳しいのだけど、それでも、できる限り、感染しないように、少なくともワクチン接種がされるまでは、このレベルの緊張感は続くはずで、だけど、感染するリスクは、東京都内に住んでいれば、他の地域に比べて、かなり高い確率だと思う。

 そんな日常なので、妻は昨年、美容院に行ってから、感染者数が増える秋から冬にかけては、一応用心をして、行かなくなった。それでも髪は伸びるので、私がカットすることになった。
 
 私自身は、高校2年生の時から、ずっとセルフカットを続けていて、介護を始めてからは、母親の髪も、そのうちに義母のカットもしていたので、ある程度は大丈夫だとも思っていたが、妻の髪は美容院に任せていた。

 でも、こんな状況なので、最初は、こわごわとカットをして、髪も染めた。

 思った以上に、本人に好評だった。それは、妻の髪の質がしっかりしていて、カットしやすいおかげもあったのだけど、それから、2度目のカットをした時は、1度目よりは、うまくいった感触はあった。

 そして、それから、また時間がたち、そろそろカットをして染めたい、という要望があったのだけど、しばらく気温が低めだったり、雨だったりして、予定が伸びて、やっと少し暖かくなってきたので、今日、カットすることにした。

 昼ごはんを食べて、妻は昼寝をして、その間に、台所に新聞紙をひいて、準備をした。妻が起きてきてから、カットを始め、カラーをして、時間をおき、それからわかしたお風呂に入ってもらって、それで、だいたい2時間がたっていた。

 ドライヤーで乾かして、今のところ、気に入ってもらっているから、ちょっとホッとしている。



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