映画と精神医学(4): アマデウス〜神に愛された男と神を呪った男の物語〜
皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です。
随分前の作品ですが「アマデウス」という映画をご存知でしょうか?
“アマデウス"はご存知、天才音楽家モーツァルトのミドルネームであり、本映画は同名のブロードウェイ・ミュージカルを映画化したものです。
ちなみにアマデウス(amadeus)とはラテン語で「神に愛されたもの」を意味します。
小生がこの映画を見たのは中学生の時でしたが、そのきっかけは友人A君の強烈な勧めでした。
「前に(アマデウスを)映画館で観たけど素晴らしかった!それが今度TVで放送されるんだ!」
A君は交響曲第25番第一楽章を口ずさみながら熱弁します。
彼の歓喜を横目に「クラシック音楽をテーマにした映画なんて面白いか?」と訝しながらも、映画が好きだった小生は日曜洋画劇場にチャンネルを合わせてみました。
ところが「アマデウス」は良い意味で予想を裏切り、小生の”映画観"を大きく変えることになります。
この映画をきっかけにA君とは意気投合し、中学卒業後も付き合いは続きましたが、大学進学を機に次第に疎遠となり、気付けば没交渉となりました…。
かくしてA君との思い出は記憶の片隅で埃を被っておりましたが、先日偶然にも彼の近況を知らされました。
「A君か…、懐かしいなぁ」
彼の名前を聞き、小生は思わず目を細めました。
そして湧き上がる懐旧の念と共に脳裏に浮かんだのは、西陽差す放課後の教室で語り合ったあの映画…、すなわち「アマデウス」でした。
何だかとても「アマデウス」を観たくなり、先日Amazon Primeで久しぶりに同映画を視聴いたしました。
あれから30数年...、「あぁ、こんな内容だったな〜」と懐かしむ一方、「これはこういう意味だったのか…」と新しい発見・気づきも沢山ありました。
特に”精神科医”となった今では、映画鑑賞というよりは「アマデウス(神に愛された男)」に医学的診断を与えたい衝動に駆られました…(職業病ですね😅)。
そこで今回の記事では、シリーズ「映画と精神医学」の第4回目として「アマデウス」を精神医学の観点から解説いたします!
↓ここからは「交響曲第25番第一楽章」と共にご高覧くださいな!
【映画アマデウスとは?】
1984年に制作されたアメリカ映画。
ピーター・シェーファーの同名戯曲をミロス・フォアマン監督が映画化。
アカデミー賞では作品、監督、主演男優など8部門で受賞。
出演: F・マーリー・エイブラハム(アントニオ・サリエリ)、トム・ハルス(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)、ジェフリー・ジョーンズ(ヨーゼフ2世)ほか。
↓Prime Videoでご視聴の方はこちら。
【映画アマデウスのあらすじ】
1823年、舞台はウィーン。
一人の老人が剃刀で首を切って自殺を図り、とある精神病院に搬送された。
生死の境を彷徨う老人は、「モーツァルト…。許してくれ…。告白する。君を殺したのは私だ!」と譫言を放つ。
老人の名はアントニオ・サリエリ…、かつてオーストリア皇帝ヨーゼフ2世につかえた宮廷音楽家であった。
病状が安定した後、サリエリの元に神父フォーグラーが訪問する。
神父の訪問を歓迎しないサリエリであったが徐々に態度を軟化させ、神に愛された男、すなわちモーツァルトとの思い出を語り始める。
驚くべきことにサリエリはモーツァルトへの嫉妬から彼を精神的に追い詰め、その結果、モーツァルトを死に追いやったと告白する…。
【モーツァルトの生涯(年表)】
映画の内容を理解するために、モーツァルトの生涯(年表)を簡単にご紹介します。
【アマデウスの精神医学的診断】
夭逝の天才というイメージがあるモーツァルトですが、さまざまな精神疾患であった可能性が病跡学の観点から指摘されております。
そして映画においてもモーツァルトの精神疾患を示唆するシーンが多数あります。
そこで作中の描写に基づき、アマデウス(神に愛された男)の精神医学的診断を試みたいと思います。
<ADHD>
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