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出てくることだけ記します

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記事一覧

Mくんの栄転

 私は泣いた。朝一番で泣いた。涙が出て止まらない。いい大人が仕事中に泣くなんてどうにかしてる、とかそんな言葉はどうでもいい。とにかく悲しくて泣いた。  沈丁花が…

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1年前
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バーと交番と広場

 20数年前、小田急町田駅の踏切の側にいい感じのバーがあった。独り暮らしのアパートから徒歩10分、帰り道の途中でもあり結構な頻度で通っていた。  あの頃の町田は適度…

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1年前
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Mくんの禁煙

 「かっこいいよ!」確かにそう言った。 心から本当にそう思ったからそう言った。 彼は40過ぎで既婚者で子供もいる。彼が20代の頃から付かず離れずの距離で働いていて、今…

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1年前
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横浜線

 新子安からの帰りいつも通りに東神奈川で横浜線に乗り換えた。何の問題も起きなかった平和な日で平和に家に着くはずだった。  車内は通常の込み具合で前に立つ人が駅に…

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1年前
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携帯電話

 大学四年生の時に手酷い失恋をしてバイト先の居酒屋に行けなくなり、母を病気にして辞めた後、派遣に登録して携帯の販売員になった。 その頃の携帯電話は畳んだり、やけ…

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1年前
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催眠療法

 新百合ヶ丘だったか向ヶ丘遊園だったか忘れてしまったが、催眠療法に数回通ったことがあった。きっかけも定かではないが何か悩んでいた訳でも、どこか病気だった訳でもな…

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1年前
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空に浮かぶあれ

 子供の頃家中のカーテンを閉めるのが仕事だった。2階に行くのが億劫ですっかり日が沈んでから閉めることがままあった。 暗い2階は恐怖そのもので、泣いて何とか行かずに…

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1年前
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鉄塔

 高圧電流を流す鉄塔のそばに住んでいた頃の話。 鉄塔がすぐ見える場所にその団地はあった。望んだ訳ではなく半ば強制的に住むことになった。 ジージー ジンジンジンジン…

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1年前
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Mくんの栄転

Mくんの栄転

 私は泣いた。朝一番で泣いた。涙が出て止まらない。いい大人が仕事中に泣くなんてどうにかしてる、とかそんな言葉はどうでもいい。とにかく悲しくて泣いた。
 沈丁花が匂う季節にこれほど悲しいことがあっていいものか。悲しいことが起きるのは金木犀が咲く時期だけだと思っていたのに。

 Mくんの異動を今朝聞いた。栄転だ。私が長年願っていた彼の栄転だ。喜んで然るべきだろうが全く喜べない。
 彼は生来の生真面目さ

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バーと交番と広場

バーと交番と広場

 20数年前、小田急町田駅の踏切の側にいい感じのバーがあった。独り暮らしのアパートから徒歩10分、帰り道の途中でもあり結構な頻度で通っていた。
 あの頃の町田は適度に栄え適度に田舎でとても過ごし易かった。改札を出てすぐの丸井前にロッテリアや成城石井があった時だ。

 そのバーは駅近の良物件にもかかわらず常に空いていた。先客がいない限り入って一番奥の窓側のカウンターに座った。カウンターの中には性別の

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Mくんの禁煙

Mくんの禁煙

 「かっこいいよ!」確かにそう言った。
心から本当にそう思ったからそう言った。
彼は40過ぎで既婚者で子供もいる。彼が20代の頃から付かず離れずの距離で働いていて、今は私の上司だ。20代の頃は透明感があって確かにかっこよかった。と言うより美しかった。しかし、かっこいいよ!と言ったのは今の外見ではなく心意気にだ。

 1、2週間前から突然禁煙し始めた。禁煙に挑戦し出したのは本人から聞いたわけではなく

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横浜線

横浜線

 新子安からの帰りいつも通りに東神奈川で横浜線に乗り換えた。何の問題も起きなかった平和な日で平和に家に着くはずだった。

 車内は通常の込み具合で前に立つ人が駅に着く度入れ替わった。横浜線の旅は町田まで。町田で小田急線に乗り換えて相模大野で降りれば我が家だ。
 左隣は暗い色のスーツを着た熟年サラリーマン。右隣は覚えていない。長津田を過ぎた頃、異様に暑くなってきた。気のせいか息苦しく鼓動が早い。あれ

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携帯電話

携帯電話

 大学四年生の時に手酷い失恋をしてバイト先の居酒屋に行けなくなり、母を病気にして辞めた後、派遣に登録して携帯の販売員になった。
その頃の携帯電話は畳んだり、やけに長いアンテナが付いていたり、サイドに訳のわからない歯車があったり、数字のボタンだけを蓋で隠したり、兎に角アナログで液晶も電卓の様な薄緑で今のスマホとは似ても似つかない物だった。

 前橋やら富里やらに出張していたが、秋葉原に固定になり、最

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催眠療法

催眠療法

 新百合ヶ丘だったか向ヶ丘遊園だったか忘れてしまったが、催眠療法に数回通ったことがあった。きっかけも定かではないが何か悩んでいた訳でも、どこか病気だった訳でもない。恐らく興味本位だったと思う。
 先生は女性で、カウンセリングで人によっては催眠が効かないこともある旨説明され、簡単な催眠をかけられどうやら私には有効であると判断され始まった。

 ベッドに横たわり、いかにも催眠的なBGMの中で先生の指示

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空に浮かぶあれ

空に浮かぶあれ

 子供の頃家中のカーテンを閉めるのが仕事だった。2階に行くのが億劫ですっかり日が沈んでから閉めることがままあった。
暗い2階は恐怖そのもので、泣いて何とか行かずに済む手を使うこともあった。失敗することが殆どで、体力だけ無駄に使い泣いた分だけ遅くなり恐怖が増すばかりだった。

 ある日の夕方、母からひどく叱られ憂鬱な気分で階段を登り、背中が寒い思いをしながらカーテンを閉めていると南東の山の上に一つ星

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鉄塔

鉄塔

 高圧電流を流す鉄塔のそばに住んでいた頃の話。
鉄塔がすぐ見える場所にその団地はあった。望んだ訳ではなく半ば強制的に住むことになった。

ジージー
ジンジンジンジン
ジーンジーン

何の音か皆目わからなかったが、常に聞こえる。晴れの日も雨の日も真夜中も音はそこにあった。
居住棟の前の駐車場の車止めに腰掛け、水色の空にそびえ立つ鉄塔を見上げる。どうやら音はそこから来ているらしい。
今日も聞こえる。

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