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Mくんの禁煙

 「かっこいいよ!」確かにそう言った。
心から本当にそう思ったからそう言った。
彼は40過ぎで既婚者で子供もいる。彼が20代の頃から付かず離れずの距離で働いていて、今は私の上司だ。20代の頃は透明感があって確かにかっこよかった。と言うより美しかった。しかし、かっこいいよ!と言ったのは今の外見ではなく心意気にだ。

 1、2週間前から突然禁煙し始めた。禁煙に挑戦し出したのは本人から聞いたわけではなく他部門のパートさんからだ。

 その日の朝、昨日筋トレしたから筋肉痛は今日中に来るはずだと言っていた。妙なハイテンションの中勤務を続け、午後になってあそこが痛い、ここが痛いと嬉しそうに話していた。昼休憩でパートさんから彼が禁煙し出したと聞いて、ほほーんと思った。しかし筋肉痛は禁煙して筋トレ始めたからでしょ、とは言わず黙っていた。どうせ続かないと思ったからだ。

 勤務日が重なり数日後、「俺、禁煙したんだ。」と言われた。パートさんから聞いていたこともあり、知ってる頑張ってとだけ告げた。やはり、どうせ続かないと思ったからだ。

 その後も予想外に禁煙は続いた。年末じゃないぞと思う程恐ろしく仕事が早い日もあり、具合が悪いのかと思う程仕事が遅い日もあった。あまりにも仕事が遅い日は具合が悪いのか心配して聞いたが、禁煙で頭が回らないと言われた。禁煙後1週間で頭が回らなくなるらしい。

 仕事中、煙草が吸いたい!ツラい!と頻繁に口にするので「禁煙してるMくんはかっこいいよ」と言った。心から言った。彼は大いに照れていた。仕事終わりに私のそばに来て禁煙していることをアピールし、「私にできないことをしてる人は本当にかっこいいと思う」とかっこいいのおかわりを求めてきたぐらい照れていた。

 やめたいと思うことは私にもあった。アルコールだ。若い頃はいくらでも飲めたのに、年を重ねる度に弊害が出てきた。ある年の義実家の新年会で、主要人物とは離れ台所で主人の兄弟と三人で飲んでいた時、私の声がうるさいと台所と居間を隔てるドアを閉められた。義妹の両親もいたため、自宅に帰ってから主人に嫌味を言われそれ以降自宅では一切飲まなかった。

 ところが日が経てばいいことも悪いこともあり、家でも飲む日ができた。コロナ禍だ。どの店も閉まり、出掛けた時だけ飲むが実践できなくなり家で飲むようになった。飲み始めればあっという間で、350缶6本を夕飯を作りながら飲み切る日がざらではなくなった。

 飲めば無敵になり、どんな家事もこなせる。冷凍保存期限ギリギリの2週間分のお弁当のおかずを作り置きすることなんかお手の物だ。狂ったようにおかずを作り冷凍し、掃除をし洗濯物を畳む。姪が泊まりに来るとなると食べきれない数の品をどんどん出す。酔っていたら何でもできる。

 このまま抜け出せなくなるのでは、と言う危機感は常にあった。仕事中お局にいびられてつらかったりすると、仕事が終わったら飲んでやると思う。思うだけでなく実際飲む。飲んだ後、後悔する。そんな日々が続いていた。

 それ故に彼の禁煙が輝かしく見えた。ランニングをしたり筋トレをしたり、ニコチン中毒から抜け出そうとする姿が私には凛として見えた。

 便乗して控えていたアルコールを今夜飲んでしまった。浮遊と解放がたまらないのだ。肝硬変、糖尿病、その他諸々の病気のリスクが高いお年頃になって、こんなお年頃になってもやめられない。

 彼は今夜煙草を吸っただろうか。きっと吸っていないはずだ。かっこ悪いのは私だ。

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