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催眠療法

 新百合ヶ丘だったか向ヶ丘遊園だったか忘れてしまったが、催眠療法に数回通ったことがあった。きっかけも定かではないが何か悩んでいた訳でも、どこか病気だった訳でもない。恐らく興味本位だったと思う。
 先生は女性で、カウンセリングで人によっては催眠が効かないこともある旨説明され、簡単な催眠をかけられどうやら私には有効であると判断され始まった。

 ベッドに横たわり、いかにも催眠的なBGMの中で先生の指示通り動いてゆく。初回で私はアルプスの少女ハイジの世界観で花を摘み、北側も南側も開け放した実家を駆け抜ける雷に泣いた。
 施術中は先生の声も私が話す内容を書き取るペンと紙がこすれる音もはっきり聞こえる。寝転んだベッドのシーツの感触も空調すらもわかる。ただ頭の中に次々と浮かぶ物語を口に出していけばいいだけだった。

 2度目。私は古い日本家屋の囲炉裏端にいた。視界に入る板はすべて磨かれていた。傍らには母と思わしき割烹着を着た女性が背を丸めて座っており、その女性を心の中で蔑んでいた。途中で父らしき男性が帰ってきた。章付きの帽子をかぶり、マントを着け軍服に身を包んだ彼を輝かしい思いで見上げていたのを覚えている。

 3度目。私はコモドドラゴン大の爬虫類で暗い大雨の中で四つん這いになっていた。足の下の泥が後方にひっきりなしに流れ、ただひたすら耐え忍んでいた。と、雨が止み空が明るくなり低い白灰色の空に白い太陽が透けて見えた。

 場面が変わり私は戦闘機に乗っていた。眼下には暗い海が広がり、陸地には街明かりが見えた。頭の中に「呉」の文字が浮かび、呉と先生に伝えると突然錐揉み状に落下していった。
それと共に現実にある自身の身体が左に回転し続け吐き気を催してきた。このままではベッドの上で吐いてしまう為、先生に催眠を解いてもらった。

 いろいろなことがあまりにも鮮やかに頭の中に浮かぶ為、先生はえらく感動し記録を残したいのでこのまま通って欲しいと懇願された。
面白がっていた私もまだまだ通い続けるつもりでいたが、それが最後の施術となった。
 その週の帰宅中、私は電車に乗れなくなった。

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