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「そういう話はまったく興味がないんだよ。」

人間は、生きているのか、生かされているのか。どちらだ?「生きている」というならば、己の生命本能である細胞や臓器の働きを自分の意思で止めたり続けたりすることは出来るか?自らの意思で眠りにつき、目覚めることは出来るのか?運命はどうか?己が勝手に思うがままに“運命”を制御することは出来るか?「生きている」というならば、その目的とは何なのか?

一方、「生かされている」はどうか。もし己が何かに生かされているというのであれば、それは何によって生かされているのか?どのように生かされているのか?そしてその目的とは何なのか?理解は出来ているか?説明は出来るのか?実感はあるのか?

「何を言っているのか、云いたいのかさっぱり分からない」「話しとしては分かるが本当のことは良く分からない」「人間は、生きているも生かされているもない。ただ何となく、たまたまそうなっただけ。偶然の産物。そこに神も奇跡もない」「なんか面倒臭い話をして、そういう話はまったく興味がないんだよ。ただ毎日楽しく暮らせりゃそれでいいじゃん?何偉ぶっててるの?」。

現代人の哀れさ、程々悲し。本当にこの程度ならば、今後の人類の幸福への発展や結実はない。己の「生」や「命」に対する捉え方の違いが、人生の浮き沈みを分けていることに、いつになったら気付けるのか。不成長な人間が営む社会は、益々荒んでいくのが自明の理。このことを反転させたいのであれば、人間一人ひとりが人間としての成長を目指すしかない。そのことはモノ金の成長・発展では一切ないことを推して知るべし。

そのことを肝に銘じ、“人間は、生かされている中で生きている”ことへの実感を持って感謝の念を忘れずに日々人間性への成長に勤しみます。有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者