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小説『くちびるリビドー』の続編【1-3】を(今またここがタイミング!と未来の私が呼んでいるから…)☞Let's世界に解き放つ♪☺︎♡



くちびるリビドー

2

(仮)











満たされれば
自然と溢れ出るのだろう?


(3)



 あのとき、それはとても素晴らしい計画のように思えた。

「よぉし! 恒士朗のいない間に、歯科矯正してキレイになってやろう」と。

 外れた銀歯のことなんてそっちのけで私は、この衝動的な思いつきに愛おしさのようなものを感じはじめていた。

 もうすぐ彼は遠くへ行ってしまう。離ればなれになる期間(二~三年らしいが、それなら歯科矯正するのにぴったりじゃないか!)、私は私で自分の時間を生きていきたい。泣きわめいて困らせたり、困らせないように涙を隠して必死に取り繕ったり、そんなことにエネルギーを消耗させたりなんかしないで、自分のために時間を使いたい。自分を磨いて、自分を愛して、たっぷりと与えて、潤して、満たして。一人でも生きていけるようになるために、その強さを手に入れるために、効果的に時間を使いながら日々を過ごしていきたい。

 そして、この計画のすべてを秘密裏に行うこと――なせだかわからないが、私にはそれが必要不可欠なことのように思えた。恒士朗には内緒にしたまま、私は一人コツコツと自己改革に取り組んでいく――。子どもっぽい考えかもしれないけれど、彼の人生の邪魔をせず一人でやっていくためには、私だけの「企み」が必要なのだ。叶えるためには、心の外には持ち出さないこと。願いごとのように、誰にも教えず鍵をかけ、魔法をかける。

 数年後、未来の私はどんな口をして笑っているだろう。

 今より少しでも、この「歯」にまつわるコンプレックスが軽減されるなら……私は試してみたい(そこに広がる景色は、違って見えるのだろうか?)。こんなこと今までの私なら考えもしなかっただろうけど、今のこの二十七歳の私は、自分のために(そう安くはない)お金と時間を投資することを自分自身に許可しようとしている。決断し、実行しようとしている。……なんだかそれは、とても面白い変化のように思うのだ。



 それなのに。歯科医院からの帰り道、さっき聞いたばかりのウッチーからの説明を頭の中で再生させながら、駅へと歩く私の胸の内は意外なほど静まり返っていた。

 まず、マウスピース矯正は「可能だろう」とのこと。もちろん、次の精密検査(レントゲン撮影など)を受けないことには断言できないらしいが、私の八重歯でも大丈夫そうでひとまず安心。だけど矯正専門医としてはワイヤー矯正のほうを勧めたい様子で、問診のときにマツダさんが示してくれた態度とは大きく異なり、彼が話を進めるほど私の心は擦り減るようだった。こちらは最初からマウスピース矯正しか考えていないのに(そもそもマウスピースだったから、矯正しようと思えたのだ)、そしてその旨を伝えてあるのに、医師としての「正しさ」のようなものを遠回しにではあるものの繰り返し主張してくる彼に、私はどうしても自分の意見を言うことができなかった(だったらマウスピース矯正など扱わなければいいじゃないか?)。

 ――彼でいいのか、彼に自分の体の一部を任せられるのか。

 第一印象の「うわっ、嘘の声だ」が何度も脳裏に浮かび上がる。

「なんか気持ち悪い」と感じた相手に、何年もかけて歯並びを整えてもらうのか? 安くはない金額を、彼に支払うのか? 後悔しない? 後悔しない?? 後悔しない???

 マウスピース矯正の場合、次の精密検査(歯型の採得、レントゲン撮影、CT撮影)をもとに作成される「歯の移動計画書」に沿って、必要な数のマウスピースが全部いっきに作られる(毎回歯型を採って作る、別のマウスピース矯正もあるらしい)。だから途中で虫歯になるなどして歯の形状に変化が出ないよう、口内環境を整えておくことは必須。

 金額は上下で108万円。歯並びを整えるために必要な金額が煩悩の数と同じだなんて、皮肉なものだ。精密検査と計画書の作成は別料金で、108万円以外にも毎回「観察費」が3000円ほどかかる(マウスピースを取り替えるだけだから、ワイヤーの「調整費」よりは安い)。ちなみに、マウスピースの数が多くなっても「108万円」は変わらない。

 私のような歯並びは「叢生(そうせい、と読むらしい)」と呼ばれ、顎が小さいために歯が顎の中に並びきらないことで起こる。歯並びがデコボコと重なった状態になり、八重歯はその典型的な症状だという。スペースに対して歯の数が多すぎるのか、歯の数に対してスペースが狭すぎるのか。どっちにしても結果は同じだが、顎の大きさに関わらず、そこに生えてくる永久歯の数は「28本」と決まっている(親知らずを含めたら32本だ)。確かに……いくら足が小さいからといって足の指が4本になることはまずないし、背丈に関わらず人間の体内には同じだけの臓器が同じように連なっているわけで、歯の数もそれと同じことなのだろう。

 だから私が「美しい歯並び」を手に入れるためには、抜歯してスペースを作り歯を移動させるか、外科的手術によって顎の骨を広げ歯並びを整えるか(これだと保険適用となり、手術費を含めても圧倒的に安くなるのだそう。ただしワイヤー矯正に限られる)で、矯正専門医としては後者の「正しい治療」を勧めたいと言う。

 健康な歯を抜くことには抵抗があるが、おそらく顎が小さいから抜歯しないことには無理だろう――そのくらいの予想はできていた。だけど「手術」を勧められるようなレベルだなんて、さすがにそこまでは想定していなかった。顎の骨を切って広げるだなんて――衝撃が強すぎて、言葉を失った。

「考えてみてください。二週間入院して手術を受けるだけで(骨折したのと同じですヨ)、日野さんの歯並びはほぼ完璧になるんですヨ。しかも費用は半分近くお安くなる!」

 そう言ってウッチーは、噛み合わせや歯の健康がいかに大切かを語り続けた。

 奇妙に柔らかで、ねっとりと絡みつくようで、彼の口調を耳にしていると「理解力の乏しい小さな子ども」として扱われているようで、ぞわぞわと不快感が満ちてくる。

 噛み合わせの大切さも歯の健康も、理解しているつもりです(だから「美しい歯並び」に憧れているんじゃないか!)。でも、手術をする気はありません。ワイヤー矯正もする気はないんです。絶対に理解してもらえないと思うけど、外科的手術とかワイヤー矯正をするくらいなら、今の歯並びのまま、諦めて生きていきます(理由はうまく説明できません)。私はマウスピース矯正がしたいんです。「正しい治療」を受けたいのでも「完璧な矯正」をしたいのでもなく、「マウスピースでできる矯正」がしたいんです。金額が高くなろうと、矯正期間が長くなろうと、そんなのは別にいい。自分にとって「これならできる!」と思えたから、だから来たんです。「土台となる顎の骨から改善しないことには意味がない」と言われても、今より少しでも心地よい歯並びになれるなら、それでいいです。安くはない金額を支払って(それよりもっと安い金額で土台から改善できるのに)、中途半端な矯正をするなんて馬鹿みたい・理解に苦しむって思われようと、これは私の体です。お金を払うのも私です。私の好きなようにさせて下さい――。

 そんなふうに話せていたら、もっと違う話が聞けたのかもしれない。

 だけど、専門医としてのプライドと医師としての正しさ(隠されていてもそれらはしっかりと伝わってくる)の中にいる彼を前に、私はどうしても正直な気持ちを打ち明けることができなかった。「で、あなたの希望は? あなたはどうしたいのですか?」という態度が少しでもそこに感じられたなら、事態は違っていたのだろうか?

 たまらず母のことを思い出す。母の主治医であったあの医者も「質問は?」とは言ってくれても「ご要望は?」と聞いてくれることはなかった。どんなに知識や技術があろうと、人としての『心』が感じられない医者は絶対にいやだ――母が入院していた頃、何度も何度も思ったこと。母は他人に対するガードが低くて、どんな人からも好きになれる要素を見つけ出してしまうような特殊能力(いや、女性的寛容さ?)を持ち合わせていたけれど、私は無理だ。信頼できる相手としか関わりたくないし、ましてや自分の肉体を(命を)任せなくてはならないときには、医者も病院も、絶対に慎重に選びたい。

 そうだ、まだ一軒目じゃないか。歯科医院なら、ここ以外にもたくさんある。

 もっと時間をかけて、自分の導き出した「正解」をいったん脇に置いてでも相手の話に耳を傾けられるような心ある医師を、妥協せずに探そう――そう考えながらも、もう一度あの口腔内写真を撮影することになるのかと思うと、ぐんぐん気が重くなる。

 ……今日はもう、このまま帰ろうか。

 さんざん迷った末に立ち寄ったカフェで、温かいマグカップの中、ぎゅうぎゅうに重なっているスライスレモンの層をザクザクとスプーンで突き刺しながら、肩を落として考える。

 本当は今頃、がんばったご褒美として、このお気に入りの『ジンジャーレモネード』を飲んでいるはずだった。達成感に包まれて、「次の精密検査はいつ受けに行こう」なんてわくわくした気分になってスケジュール帳を広げたりしながら、未来の自分を夢みているはずだった。……それなのに、がんばったのは確かなはずなのに、こんなにも薄暗い気持ちになるなんて。

 顎の骨を切って、骨が再生するまで金属のボルトかなんかで固定して――?

「口の中から切開して、ちょっと切るだけですヨ? 傷口なんてほとんどわからなくなりますしネ」とかなんとか言ってたっけ。「それだけのことで残りの人生、完璧な歯並びで生きていけるんですヨ!」って、それは正論なんだろうけど、骨を切ることも、体に金属を入れることも、それをあとでまた取り出すことも、あまりにも「なんでもない」ことのように言っていた(彼にとっては本当に「なんでもない」些細なことなのだろう)。

 でも、私は違う。全身麻酔も、体にメスを入れるのも、骨(しかも顔の!)を切り開くのも、それを異物で固定するのも、簡単に受け入れられるようなことじゃない。それなのに「そうですよね……土台から治療しないことには、根本的解決にはならないですよね」とかなんとか言っちゃって、これじゃあ完全に同意している人のように思われても仕方がない。理解し、納得し、だけど「手術」となるとちょっと怖い。そんなふうに見えるから、ますますウッチーを熱弁させるのだ。「お? この患者にもようやくワタシの『正しさ』が伝わってきましたネ」と、正しい治療に向かわせる正しい医者でありたい彼の何かを気持ち良くさせてしまうのだ。

 ――恒士朗なら、何て言うだろう?

 話を聞いてほしいけど、内緒にしようと決めたのは私(……まったく、これじゃあ先が思いやられる。これからしばらくは、私一人で暮らしていかなきゃならないのに。いつも犬のように私の話に耳を傾けてくれていた彼は、遠く、異国へと旅立ってしまうのに)。

 だから、対岸に彼を思い浮かべて一人で想いを巡らせる。


(つづく)






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(C)Kanata Coomi

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「私がウニみたいなギザギザの丸だとしたら、恒士朗は完璧な丸。すべすべで滑らかで、ゴムボールのように柔らかくて軽いの。どんな地面の上でもポン…

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文学フリマ

“はじめまして”のnoteに綴っていたのは「消えない灯火と初夏の風が、私の持ち味、使える魔法のはずだから」という言葉だった。なんだ……私、ちゃんとわかっていたんじゃないか。ここからは完成した『本』を手に、約束の仲間たちに出会いに行きます♪ この地球で、素敵なこと。そして《循環》☆