【YouTube】「姑娘(クーニャン)と五人の突撃兵」戦中派の正義感が爆発しまくる!1950年代ならではの戦争映画
【概要】
【配信期間】 2024/8/2(金)13:00~2024/8/16(金)12:59
【解説】 友軍の救援のために八路軍の堅塁に立ち向う ニトログリセリントラックの五勇士の奮闘ぶりを描く スリルとロマンの異色戦争映画!
【あらすじ】 大戦末期の中国。杉山少尉(宇津井健)は村へ徴発に行くと、 彼の部下にからかわれていた陳秀麗(三ツ矢歌子)と知り合う。 彼女は母が日本人だといい、互いに惹かれるものを感じる。 また村に行くと、杉山らは便衣隊の襲撃にあうが、 今度は秀麗が杉山たちを救う。
【スタッフ・キャスト】 原案/三田和夫 脚本/川内康範、織田清司、鏡二郎 監督/並木鏡太郎 主な出演/宇津井健、三ツ矢歌子、鮎川浩、小高まさる
1958年公開 70分 モノクロ・シネスコ
(新東宝【公式】チャンネルより)
本編↓
【評価】
8月2日から8月16日までの期間限定。わたしもレビューを書いた「檜山大騒動」と交代するようにYouTubeで無料公開された。
8月1日は、本作のヒロイン三ツ矢歌子の誕生日だったようだが(生きていれば87歳、2004年に67歳で死去)、やはりこの時期の公開は、戦争について考えさせようというものだろう。
わたしは、1950年代の映画というと、つい見てしまう。
日本人は、1950年代まで、戦前・戦中から引き継いだ価値観で、真面目に生きていた。
しかし、高度成長が始まる1960年を境に、日本人は真面目さを失い、堕落した、という「史観」をわたしは追求しているからだ。
この映画は、まさにわたしの「1960年に日本人は堕落した」説を例証するような内容で、1950年代まではあり、その後に日本人が失ったものをわからせてくれる。
日本的ヒーロー像
脚本が「川内康範(かわうち・こうはん)」ということで、わかる人にはわかるだろう。
彼は、この映画の公開年(1958年)から「月光仮面」の原作者として有名になる。月光仮面は、現TBS系で1958年2月から放送された冒険活劇ドラマで、視聴率は最高67%を超えた。その主題歌から「正義の味方」という言葉が日本に広まった。
「月光仮面」主題歌
川内は1920年生まれで、戦中は召集令状を受けて横浜海兵団に入団していた。
日蓮宗の寺の生まれで、独特の仏教的説教臭が強い作風だ(敵も過剰に殺さず、慈愛の心で許す、みたいな)。1970年代には「レインボーマン」なども生み出し、日本的ヒーローの創造者とされる。
「骨まで愛して」「おふくろさん」など大ヒット歌謡曲の作詞家でもあり、「まんが日本昔ばなし」の監修も長らく務めた。
保守系文化人としていろいろ話題が多く、歴代首相への「影のアドバイザー」と言われた。わたしの世代には思い出深い人だが、いまでは忘れられているかもしれない。2008年、88歳で死去。
われわれ世代には、「耳毛のおじさん」として知られた。
まあ、戦中派の価値観の代弁者として、最も雄弁な人であった。
監督の並木鏡太郎(脚本の鏡二郎は並木の変名)は、川内よりさらに古く、戦前の嵐寛寿郎「鞍馬天狗」シリーズで知られた人だ。
「姑娘と五人の突撃兵」と同年、嵐寛寿郎が明治天皇を演じる「天皇・皇后と日清戦争」も監督している。これらはキャリアのほぼ最後の作品で、1960年の「花嫁吸血鬼」以降、映画を撮っていない。2001年、98歳で死去。
また、「原案」とクレジットされている三田和夫は1921年生まれ。シベリア抑留から帰国後、読売新聞記者(最後は最高裁司法記者クラブキャップ)を経て、「正論新聞社」を設立する。
この映画が公開された1958年には、安藤昇や花形敬などの安藤組による横井英樹襲撃事件に関連して、三田は犯人隠避容疑で逮捕され、読売新聞を退社している。そのことと、この映画とのかかわりの詳しい経緯は、わたしにはわからない。
要するに、これは戦中派たちの価値観、正義感だけで撮られた戦争映画で、いまでは絶対につくることができない。
1960年代以降に広まる新左翼的な「反戦平和」の思想など1ミリもないし、こんな中国人の描き方も(とくに差別的意図をもった表現はないが)いまでは許されないだろう。
そもそも、この映画で普通に使われている「姑娘(クーニャン、中国語で未婚の娘のこと)」とか「徴発(軍が住民の物資を取り立てること)」とか「便衣隊(住民と同じ格好をしたゲリラ隊)」なんて語彙は、1960年代生まれのわたしの世代ではもう死んでいた。
しかし、これは戦中の映画ではなく、紛れもなく日本の戦後、しかも1950年代の終わりにつくられた映画である。
もう再現できない「心情のリアル」
ニトログリセリンを運ぶ、というのは、1953年のフランス映画「恐怖の報酬」のパクりであることは明らかだ。
しかし、劇中の宇津井健(2014年、82歳で死去)は、まさに日本型ヒーロー「月光仮面」であり、1950年代までの日本人の「真面目さ」の象徴である。
その「真面目さ」こそ、古臭いとして1960年代以降の日本人が捨て去ったものだった。
低予算の新東宝映画で、演出含め、いまの水準からは、チープな作りものに見えるだろう。
戦争の戦闘場面を「リアル」に描く映画なら、その後、いくらでもつくられている。
でも、戦争の当事者である兵隊たちの「心情のリアル」は、その時代を体験した者にしかわからない。それは、いくらカネをかけても、再現できないものだ。
この映画は、とにかくダイナマイトだけは無尽蔵のように使っているが、爆発しているのは戦中派の正義感である。
もちろんそれは、誇張され、理想化された正義感だが、日本人がかつて、自爆テロをやるムスリムと同じような心情をもっていたことがよくわかる。
(余談だが、月光仮面のシンボルを三日月にしたり、のちに「アラーの使者」などを書いているので、川内自身にイスラムへの憧れがあったのではないか、と鈴木邦男が推理している=Wikipedia「月光仮面」)
名優「鮎川浩」の大活躍
最後に、この映画の見どころとして、「相川一等兵」を演じる鮎川浩に注目してほしい。
「女にモテない兵隊」を演じる鮎川は、脇役で無数の映画・ドラマに出た役者で、昭和の人間なら忘れることができない顔だ。
わたしの世代では、たとえば特撮TVドラマ「怪奇大作戦」(1968年)第1話「壁抜け男」冒頭に出てくる。
壁抜け男「キングアラジン」の登場に驚く警官役だが、そのときの変顔は「アラジン」より印象に残っている。
しかし、Wikiを探すと、この名優は没年も不詳になっており、淋しい気持ちになった。
1924年生まれで、今年が生誕100年。
いつもちょい役で、だいたい小悪党役が多かった鮎川が、この映画では「ヒーロー」として活躍する。そういううれしい映画でもあるのだ。
<参考>
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