見出し画像

【YouTube】「チャッコ」 巨匠の知られざる「反共映画」

<概要>

韓国映像資料院がYouTubeで公開している、イム・グォンテク監督作品のなかで、日本語字幕つきで見られる数少ない映画の一つ。

欧米では「Pursuit of Death(死の追跡)」というタイトルでも流通しています。

韓国映画の巨匠といわれるイム・グォンテクの代表作のなかで、日本であまり語られない映画でもあります。

なぜ日本でこの映画があまり語られないか。以下の記事では、その理由も考えます。

チャッコ Jagko (1980) 映画本編↓


<あらすじ>

1980年、もと警察官のソン・ギヨルは、落ちぶれて浮浪者となり、ソウルの更生院に入れられる。

そこで偶然、同房者に、「チャッコ」を発見する。

通称チャッコ、本名ペク・コンサン。無学な鍛冶屋だったが、1950年の朝鮮戦争で北が攻めて来たときに、地元の民青委員として共産主義者に武器をつくって提供。南がソウルを奪還したあとは、智異山にこもって左翼ゲリラとして悪名をとどろかせた。「チャッコ」とは、顔の特徴である「わし鼻」の意味。

ソン・ギヨルは、チャッコを一度捕らえたが、逃げられたために警察をクビになっていた。その後もチャッコを追い続けるうち、家庭は崩壊し、文無しになった。その仇敵に、30年ぶりに意外な場所で再会したのだ。

しかし、ソン・ギヨルが、チャッコは左翼ゲリラだ、犯罪者だといくら騒いでも、周囲は取り合わない。30年のあいだに、韓国の社会も、チャッコも、ソン・ギヨル自身も、大きく変化していたのだった。

いまや年老いた二人の男は、自分たちの30年間の意味を振り返る・・


<評価>


この映画は、わたしもYouTubeで、最近はじめて見ました。

左翼のお尋ね者のものがたりーー桐島聡のことを連想してしまいました。


この映画は1980年、韓国のアカデミー賞といわれる大鐘(テジョン)賞の「優秀反共映画賞」を受賞しました。

傑作「曼荼羅」と同時期に撮られた作品。イム・グォンテク監督らしい人間臭さにあふれる佳作でした。

脚本のご都合主義が目立ちすぎなのが減点要素。でも、たくみな演出で、最後まで楽しませてくれます。

監督の名作の一つとして、世界的に認知されているようで、2019年のベルリン映画祭でも上映されました。

特徴的な音楽がおもしろい、とまず思いました。人間の愚かさをあざけるようなこの音楽も、評価が高いようです。


日本の「朝日的検閲」によって嫌われた映画?


それなのに、この「チャッコ」は、イム・グォンテク監督の代表作のなかで、日本でもっとも知名度がない作品だと思います。

容共的な日本のマスコミでは、「族譜」のような「反日」要素がある映画は論評しやすいが、「反共」は論評しにくいのかもしれません。


朝日新聞は、2007年の「「反共」からの脱出 朝鮮戦争と映画」という記事で、イム・グォンテク監督を登場させています。


そういう主題でイム・グォンテクにインタビューするなら、「反共映画賞」受賞の「チャッコ」に触れてしかるべきだと思うけど、触れていません。


朝日のこの記事は、

「韓国映画は、韓国が民主化し、右翼・軍政の検閲がなくなったから、素晴らしくなった」

と言いたいわけですね。

タイトルに「反共からの脱出」とあるように、反共をやめたから、よくなった、と言いたい。

その朝日の歴史観からすれば、軍政下で「反共映画賞」をとったような「チャッコ」が、名作なわけはない。

むしろ名作であっては困る。

だから、記事に登場させないのではないでしょうか。

もしや、朝鮮総連とかに配慮している?


自分たちのイデオロギーに都合の悪いものは「隠す」。これはまさにメディアの「検閲」なわけですね。

典型的には、反共主義者・百田尚樹の本や、それが原作になった映画については「語らない」「隠す」というように。

主流メディアが取り上げないのは、営業的に致命傷だから、しだいにメディアの意向に沿った作品だけがつくられるようになる。

杉田水脈なんかについても、本当は「隠し」たいのだけど、国会議員だからさすがに「存在しない」ようにはできない。だから、「差別主義者」とレッテルを貼って社会の表面から葬ろうとする。それも「検閲」です。

百田尚樹も、もし国会議員になったら、そういう攻撃を受けるわけです。


そのいっぽうで、反政府的な「新聞記者」のような映画は、メディアでこぞって褒めたたえ、賞をあたえる。

つまり、反共主義を取り締まり、反保守主義、容共的なものを褒めたたえる。

これは、韓国が軍政下で、共産主義的なものを検閲し、反共的な映画に賞を与えるのと、方向がちがうだけで、同じことだと思います(わたしはどっちもごめんです)。

メディアはもちろん、反共主義者を嫌っても攻撃してもよい。しかし、それが「存在しない」かのように隠してはいけない。論敵でも紙面に登場させて、公正に社会に発言させたうえで論評すべきです。


「チャッコ」も、まあそういう感じで、日本で「隠されて」きたのだとわたしは思うわけです。

当然ながら日本未公開ですが、他のグォンテク作品は、「族譜」のようにNHKで放送されたり、「曼荼羅」「祝祭」などは映画祭等で何度も上映されたりしている。

でも、この「チャッコ」は、おそらく日本でそういう機会も与えられていません。

「アジアフォーカス・福岡映画祭」は、グォンテム監督に福岡アジア文化賞をあたえたこともあり、かれの多くの作品を上映していますが、上映リストのなかに「チャッコ」は見当たりませんでした。

映画データベースのallcinemaでも未記載です。


日本版DVDボックス「イム・ヴォンテク作品集」にも含まれていない。

唯一、2012年に発売された、韓国映像資料院発売の韓国版DVDボックス「イム・グォンテク コレクション」に、「往十里(ワンシムニ)」「族譜」「曼荼羅」と英語・日本語字幕付きで収録されました。

これはリージョン・フリーで、輸入盤として日本で買うこともできましたから、YouTubeで公開されるまでは、日本人はこれで見るしかなかったでしょう。

韓国版「イム・グォンテク コレクション」


この「反共映画」の価値は、あなた自身が見て判断するしかありません。

日本ではそういう扱いの映画なのに、韓国映像資料院のYouTube公開作品のなかで、珍しく日本語字幕がついているのが、謎というか、意味深です。


「反共映画」とは何か


「反共映画 anti-communism movies」とは何か、というのは大きなテーマですね。

狭義には1950年代、「赤狩り」と同時につくられたプロパガンダ映画を指すようです。アメリカでは研究がさかんな分野です。

反共映画の代表としてよく挙げられる「I Was A Communist For The F.B.I.」(1951)



ネットで調べると、同時期に日本でも反共映画がつくられたようで、「私はシベリヤの捕虜だった」(1952)「嵐の青春」(1954)などが挙げられていました。

新東宝の「嵐の青春」は、「新世界」という雑誌を読んで左翼にかぶれた「帝都大学」の学生が、政治家暗殺をこころみるが失敗し、「党」に監禁されてリンチを受ける、というストーリーのようです。


もちろん、いっぽうには、左翼プロパガンダ映画も無数にあったわけですが、がいして左翼のほうが巧みだったように感じます。プロパガンダは、プロパガンダとわかってしまうと効果が薄い。左翼は、もっとうまくやります。


いちばん「広く」言うなら、映画の世紀の20世紀は、共産主義をめぐる世紀でもありましたから、政治や社会問題をあつかうほとんどの映画は、「容共」と「反共」にわかれる、と言ってもいいかもしれません。

ベトナム戦争以降でも、一方に「左翼」の「プラトーン」があれば、一方に「右翼」の「グリーン・ベレー」「ランボーⅢ」がある、という具合に。

映画の中身だけの問題ではない。たとえば黒澤明の「デルス・ウザーラ」(1975)は、ソ連映画としてアカデミー外国語映画賞をとったわけで、それもまた「容共」映画の一つではないか、とか。


狭義の反共映画は、国策映画であり、たいがい政府(外国政府ふくむ)の資金提供などの援助がある。賞をあたえる、あるいは観客を動員する、というのも援助の一種ですね。

しかし、「国策」とはべつに、民間の援助や、政治活動の一環としてつくられる反共映画も、左翼映画もあったでしょう。その映画が「ひも付き」であるかどうか、わかりにくい場合も無数にあります。


逆に、というか、例外的に、プロパガンダ映画をよそおって、映画を流通させようとする場合もあるようで、「チャッコ」はその例かもしれません。

この映画の「反共」は、ただの「看板」だという評もあるのです。

「軍事政権下の当時、お蔵入りになりかけた本作を救うべく、映画評論家たちがわざと <優秀反共映画賞>を与えることで、一般公開(1983年)にこぎつけたといういわく付き。今見ると、決して<反共>映画ではないことがわかる。」
(「ニチボーとケンチャナヨ 私流・映画との出会い方2」岸野令子[著]2021年 より)


たしかにこの映画、1980年の映画とされたり、1983年の映画とされたりしています。80年につくられて、3年寝かされたらしい。「お蔵入り」寸前だったとしたら、その理由は何だったのか。いまのところ、わたしにはわかりません。


韓国映画に詳しいブロガーの「輝国山人」は、

当時、<優秀映画>選定用反共映画として作られたが、監督の個人史を投影し、監督自らが再び制作したい映画と言うほど愛情を持った映画


としています。


職人技が光る作品


イム・グォンテク監督は、イデオロギー的な反共主義者ではないのは明らかだと思います。

生涯100本以上を撮ったかれは、むしろ職人技の人で、どんな機会もとらえて映画をつくる。


それは、日本の溝口健二と似ていると思います。

溝口も多作で、1920年代にプロレタリア文学が流行れば左翼映画を撮り、1930年代に戦争に入ったら国策映画を撮り、戦後になったらGHQの意向に沿った民主主義的映画を撮った。

作家の本業は政治活動ではない。どんな思想・体制下でも、作品を発表するのが仕事ですね。

そして、さまざまな「傾向」をまといつつも、一貫して「自分の映画」「自分の芸術」にするのが才能でしょう。

イム・グォンテクは、女を生々しく描く点も、溝口と似ています。世代的には、溝口の映画の影響があるのかもしれません。

もっとも、実はわたしは、溝口健二の映画をそんな見ていない。「溝口が」とかいうと、かっこいいかと思って書いときました。


この映画の発端である朝鮮戦争時、日本は、朝鮮戦争特需で沸き、戦後の不況を脱します。日本の若者は「ジャズブーム」に浮かれていました。

その後の日本と韓国の30年間は、まったくちがうというのも、この映画でよくわかり、考えさせられます。


あなたが、共産党と共産主義への悪口に満ちたゴリゴリの「反共映画」を見たいなら、前にわたしが紹介した、「全能神教会」の映画を見たほうがいいでしょう。


それでも、「チャッコ」は、共産主義にかぶれた者の哀れな末路を描いて、「反共映画」の役割はいちおう果たしています。

劇中、「チャッコ」はいいます。

「おれが死んだら、だれかにおれの眼球を献体したい。ずっと闇のなかで人生を送って、おれの目はまだ世界をあまり見ていないから」

桐島聡の逃亡生活を映画化する場合には、この映画を参考にしていただきたい。


<参考>

YouTubeで見られるイム・グォンテク作品リスト↓

ゴリゴリの反共映画を量産する全能神教会についての記事↓


冷戦終了後には、「反共」「容共」ではなく、より冷静に20世紀の共産主義を振り返る映画もたくさんつくられています。

以下は、その例として「アメリカン・バーニング」「最後の正義」をとりあげた記事↓


「アメリカン・バーニング」(2016)は、俳優のユアン・マクレガー監督作品。アメリカ南部の保守的な家庭が、1960年代に、娘(ダコタ・ファニング)が左翼の活動家になったことで崩壊する、という話です。アマプラで見られました。

「最後の正義」(2017)は、「ペルーのクメール・ルージュ」といわれた左翼組織「輝ける道」のリーダーを追い詰める警察官の話。Netflixで見られました。

その本家、カンボジアのクメール・ルージュのポル・ポト革命を描いた、アンジェリーナ・ジョリー監督の「最初に父が殺された」もNetflixで見られるわけですが、わたしはいまだにコワくて見ていません・・(ポル・ポト革命コワすぎ・・)



<参考>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?