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作家と脳卒中 永倉万治、神足裕司、日垣隆、山本弘

永倉万治

(1948.1.27ー2000.10.5)


永倉万治は、都会的な作風で知られ、エッセイの名手でもあった。1989年、「アニバーサリーソング」で講談社エッセイ賞を受賞し、作家として波に乗った年、41歳で脳出血で倒れた。


子供の頃、僕は中風のマネがうまかった。(中略)
近所にヨイヨイのじいさんがいて、その家の前を通るたびに中風のマネをしては走って逃げたものだ。じいさんからすれば、許せなかったのだろう。「このクソガキ!」と呪ったに違いない。僕は当然、中風の意味などわかっていない。じいさんは手を震わせながら少しずつ前に進む。それが奇妙で、おかしくて、後ろからついて歩いて、得意げにマネをした。
神さまは、どんな些細なことでも覚えているのか。
僕は四十一歳の時、突然倒れた。JR四ツ谷駅のホームで昏倒したのだ。

(永倉万治『大復活』)


右半身麻痺の障害が残ったが、リハビリののち作家に復帰し、NHKドラマ化された『大闘病記』(ドラマ題「父帰る」)などを残した。

だが、2000年、脳出血を再発し、52歳で死去した。


永倉万治が思い出深いのは、彼が倒れたとき、彼を知っている年上の編集者が、悲痛な表情でこう言ったのを覚えているからだ。

「ああ、40歳を過ぎて、徹夜したらいかんなあ!」

作家としては遅いデビューで、売れだしたとき、無理をしたのかもしれない。

あるいは、その年上の編集者も、無理をさせたのかもしれない。

それが脳出血の原因というわけではないだろうが、この「40歳を過ぎて徹夜したらいかん」は、当時駆け出し編集者だった私の脳裏に刻まれた。

20、30代のころ、徹夜はしょっちゅうだったが、40になったら、私は徹夜しなくなった。


神足裕司

(1957.8.10ー)


渡辺和博との『金魂巻』(1984)や、西原理恵子との『恨ミシュラン』(1993)で知られたコラムニスト。『金魂巻』の「マル金、マルビ」は第1回流行語大賞をとった。

2011年9月3日、54歳のとき、航空機内で異常を訴え、緊急入院した。クモ膜下出血だった。半身麻痺、高次脳機能障害の後遺症が残った。

西原理恵子に「24時間酔っ払い」などと揶揄されていた。若いころはかなり無茶をしたのだろうか。

しかし、リハビリにおいて、家族や友人の支援に恵まれたのは救いだ。

自宅介護の日常を、現在もコラムなどで発信している。



日垣隆

(1958.7.30ー)


コラムニスト、ジャーナリストの日垣隆は、57歳のとき、ハワイのゴルフ場で倒れた。脳梗塞だった。


2015年11月25日朝7時15分ころ、その15分後からゴルフの5日目のラウンドを楽しむぞ、今日はとくに絶好調だなあ、と仲間にも語りかけながら朝食を済ませて立ち上がった瞬間、バッタァ~ンと倒れ、全身が動かなくなりました。
(日垣隆『脳梗塞日誌』)


失語症や身体の麻痺などが残った。

日垣は、『そして殺人者は野に放たれる』(2004年新潮ドキュメント賞)などで知られ、文芸春秋など複数の媒体に連載をもつ売れっ子だったが、2006年に盗作問題を起こし、一線から消えた。

しかし、メルマガなどで活動を継続し、再起をはかっている最中だった。

日垣は、40代のころから、人一倍健康に気を付けてきた、と書いている。


いまから10年ほど前、ジョギングや腹筋100回、背筋100回、片足スクワット10回ずつ、途中から懸垂100回などを始めた。まだ40代のことである。(中略)
私の親族を曾祖父までさかのぼっても、癌で死んだ人は80代で1人、血栓や脳梗塞はゼロ。にもかかわらず、私が食べるものや栄養バランスを気にかけ、毎日の片足スクワットやら懸垂やらを続けてきたのは、書くことのためだった。(中略)
その俺がなぜ。

(同上)


ゴルフの最中に脳卒中に見舞われる人は、私の周囲でもいた。

比較的高齢で、接待などの要素が入ると、血圧に障るのかもしれない。

気を付けていただきたい。

日垣のように、いくら健康に気を付けていても、病気になるのは仕方ないかもしれない。

ただ、脳卒中の人の闘病記を読んでよく思うのは、健康に気を付けていた、という人でも、血圧のチェックはあまりしていない、ということだ。

日垣はいまも療養中のはずだ。


山本弘

(1956ー)


SF作家で、「と学会」会長としても知られた山本弘は、2018年5月10日、脳梗塞を発症した。山本は生年月日を公表していないが、61歳か62歳のときだ。


尿意を催し、トイレに行きたくなった。その時にようやく、肉体にも異常が起きているのに気づいた。身体のバランスが取れない。ドアのノブを回すといったありふれた行為がひどく難しい。ズボンのチャックを下ろすことさえ大仕事だ。(中略)

どうやってトイレから出て、どうやってパンツとズボンを履いたのか覚えていない。当時の僕にとってかなりの難業だったはずなのだが。

帰らなくては――その思いに突き動かされていた。愛する妻と娘の待つ家に戻らなくては。

靴を履き、どうにかマンションの通路に出た。鍵はかけなかった。どうやって鍵をかけるのかさえ分からなくなっていたのだ。

帰らなくては。帰らなくては。そのことしか頭になかった。

すでにあたりは真っ暗だった。どうやって歩いたのかよく覚えていない。ふらふらで周囲のことなど認識できない状況だった。よく車に跳ねられなかったものだと、後になってぞっとしてる。

ようやく家の前までたどり着いた。そこで緊張の糸が途切れたのか、僕は玄関のドアの前でへなへなと崩れおちた。


失語症と、身体の麻痺が残った。

ネットで「リハビリ日記」を公表している。

現在も療養中のはずだ。



以上の方々と面識はない。しかし、愛読者ではあった。

療養中の方には、無理せず、お大事になさっていただきたいと思う。


作家にも、新聞記者などマスコミ人にも、脳卒中(脳梗塞、脳出血、クモ膜下出血等)で倒れる人は多い。

私も高血圧なので、そうした報を聞くたび、痛ましさとともに、自分も気を付けなければ、と思う。

こういう方々のおかげで、自分の生活習慣を反省するから、私はなんとか健康でいられるかもしれないと思う。大いに筋違いではあるが、感謝の気持ちがある。


こうした記事を書くのも、読んだ人に、同じような効果があるかもしれない、と思うからだ。


ほかにも、野坂昭如とか、最近では伊集院静さんとか、脳卒中に見舞われた作家は多い。

古くは、高血圧症と戦った谷崎潤一郎とか、高血圧への不安から自殺したと言われた火野葦平とか、文学史からいろいろエピソードが拾えそうだ。

気が向いたら、改めて「作家と高血圧」みたいな続編を書こう。



<参考>


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