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「全国18万人の不登校さんへ告ぐ」コンテスト、最終報告
という事で、気付けばあっという間に、3月に入っておりました。
2月1日から28日までのひと月の間に、本当にたくさんのnoterさん、たくさんの記事にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。
まずはですね、後半期間に参加頂いた方のご紹介をさせて頂き、最後に審査結果のご報告を致します。
ちなみに、前半期間にご参加くださった方のご紹介(参加作品①~⑦)は、こちらの中間報告記事にしてしており
不登校になっちゃった子どもたちのへっとへとな伴走者さんへ
あくまでもさらっと明るい感じで妹が発表したのを覚えています。
夏休みの盆パーティーの後片付けが終わり、子ども達はリビングでゲーム、私達姉妹3人はリビングの横の和室で寝そべりながら話していました。その時に妹が、ふと、なんとなく言っちゃった様子で発表したのです。
「炭治郎くん(仮名)、学校に行かなくなりました!」
「へ?!」
賑やかに喋っていた私達は一瞬で静かになりました。
面白おかしく話す
今になって思えば、無理して学校に行かなくてもよかった
不登校を選んだ方が、私にとって良い選択だったかもしれなかったな、というお話。
⌘
振り返れば小学生から大学生まで、病欠以外で休んだことがなかった。中学に上がる前までは何かと病弱で、誕生日あたりになると決まって風邪で寝込んでいたが、中学に上がると寝込むことも少なくなり、高校では一年皆勤賞目当てにせっせと学校に通っていた。
ここまで書いた文章を読むと、まるで私が学校大好きだった人のように思
いま学校に行っていないあなたへ。もしくは、かつての私へ。
初めてnote投稿します。
私は、1975(昭和50)年度生まれの会社員です。
今回、不登校に関するハッシュタグを見て、もしいま不登校のことで悩んでいる人が見ていたり、近くにいるなら、その人にもし経験者の言葉が参考になるのならと思い、投稿をすることにしました。
まずは、私の経験を簡単に。
私は小学5年生から中学3年生まで、不登校でした。きっかけは、当時の担任の指導の仕方が、とても怖くて仕方な
#18 味方を増やす
息子が別室登校から教室登校するためには、問題が山積みでした。
電子機器より強力な依存関係にあるお友達との関係が大きな壁になりました。
そして、その不登校仲間の親御さんから…
「来年は、○○(息子)くんと同じクラスにしてください。じゃないと家の息子が教室登校できないので。」
こんな連絡を学校にする人がいるんだと心の底からビックリしました。
その子の担任の先生は、子どもたちの良き理解者みたいな
自分軸の作り方#20 ~【不登校】父と子の関係、雪解けの季節~
長男が中1、次男が小5の夏休みは、はじめから最後まで、地元の自宅ですごしていた。
コンプリメントトレーニングでは、日々親子でアナログゲームをすることになっているので、毎晩のようにトランプやボードゲームをしてすごしていた。お盆期間は、会社の夏休みで帰省してきた夫も加わり、子供2人と姑と私、5人で遊んだ。
おばあちゃんの脳トレのために買った「ブロックス」というゲームは面白かったが、次男は負けそう
学校では教わらなかったこと
あっという間に2月が終わろうとしている。
#全国18万人の不登校さんへ告ぐ
これで参加出来るのだろうか?
お友達であり
尊敬している所も多々あるじょんちゃんの企画。
なので、書いてみる。
私は不登校ではなかったけど
幼稚園に行きたくない子供だったの。
沢山の人間が怖くてね。笑
それは置いといて…
この↑
じょんちゃんが書いてる事ね、
とても共感して読みました。
「今ってそんな
不登校さんが塾へ来られなくなった時の話
※コンテストのタグはつけていますが、主催者の記事なので、審査対象外です。
◆
少し前の話になってしまうのですが。
わたしは不登校さんが通う学習塾で講師をしていました。
生徒さんたちは、高卒認定試験合格であったり、その先の大学受験であったりと、学習塾へ通う目標は様々だったのですが、不登校のために学校に通っていないと言う共通点がありました。
◆
わたしが受け持っていた生徒さんは、当時すでに高
#16 価値を生み出す
「こんなことになるなら、子どもなんて生まなきゃ良かったな。バリバリ稼げる人同士で結婚して子どもを持たずに夫婦共働きで暮らしている人が一番最強なんじゃない?俺もそんな人生を選択すれば良かった。」
夫と2人でスーパーへ行った帰り道、夫がつぶやいた。
・・・。
私は夫に聞いてみた。
「宝くじ1等が当たったら会社やめる?金額は6億円として考えてみてね。」
夫は少し考えて、
「やめないよ。6億円を会
#15 安心できる居場所
息子は、別室登校をはじめるようになると、家に真っ直ぐ帰ってくることがなくなりました。
「家に帰りたくない。あの家はぼくの家じゃないから。」
父親は単身赴任中で平日は家にいないけど、父親の影を常に感じる家。
息子は、不登校の底の頃に父親に「出て行け!この家はもうおまえの家じゃない!」と一方的に怒られた事にとても傷付いていました。
その嫌な記憶が家具や壁に染み付いていたみたいです。
息子は、家