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学校では教わらなかったこと

あっという間に2月が終わろうとしている。

#全国18万人の不登校さんへ告ぐ

これで参加出来るのだろうか?

お友達であり 
尊敬している所も多々あるじょんちゃんの企画。

なので、書いてみる。

私は不登校ではなかったけど 
幼稚園に行きたくない子供だったの。
沢山の人間が怖くてね。笑

それは置いといて…

この↑
じょんちゃんが書いてる事ね、
とても共感して読みました。

「今ってそんなに不登校さん多いの?
良いね👍
家庭には安全な居場所があるんだね?」

と。
(家庭も安全じゃないのに学校も行けない
という苦しみが
ありませんようにと願いながら書いております)

これは、それだけ「不登校に苦しんでいる」数と見たら、
ぜんぜん良いね👍じゃないんだけど 

(そして実際には、
不登校を自分で責めていたり 
悔しかったり 
苦しかったりする人もいらっしゃるとは思いますが)

なんか、私のひねくれた学校教育のイメージってね

あんまり 
子供の自分らしさを伸ばしたり
自己肯定感や自己愛を育てたり  
そういう感じではない側面も
多い気がしてるんです。

(もちろん、中には!中にはね、
志のある、
優しかったり、
優秀な先生方の努力が実ってる
ステキなスクールライフ部分もあるとは思ってます)

だから、
不登校でも、家庭に居場所があるなら
そんで
行きたくない、と
家族に言えるなら、
それは良い事だなと思う。

本人にとっても
家族にとっても。

ものすごーーーく、行きたくないのに
それを言えない環境のほうが
もっと辛いからね。

不登校 
という単語から私が連想した事は 

学校に居場所がない、
とか
そう感じてる人もいるかもなーと。
 

私は、学校には行ってたんですが
自分の存在を
大切だとは感じられてなかった。
自分の存在が
受け入れられてる、とも感じられてなかった。

(特にいじめられてたとか 
友達が全く居なかったとかではないけど)
 

「あなたはここに居て良いんだ」
(居てくれて嬉しい)

「あなたは周りの人に受け入れられてるよ」

「あなたは大切な存在なんだ」 

「あなたが何を思うことも何を感じるかも重要なんだ」
 
「あなたは自分の意見を自由に表現して良いんだ」

そういう態度で 
周りの人が接してくれる事とか
自分で自分にそう思える事が 
何より大切だと思う。

私は、「周りとぶつからずに何とかやり過ごす」
事は出来たけど

自分らしくいる事は
あんまり上手に出来てなかったと思う。

(まぁ、自分らしさ全開な子供が
100%だと、学校って、
それを許容出来る制度じゃない気がするし)

(あぁまた少しひねくれコメントしてしまった)

とにかく私が言いたい事は 
みんなが通ってる場所に通えなくても良い。

みんなが出来る事が出来なくても良い。

でも、

「あなたはここに居て良いんだ」
(居てくれて嬉しい)

「あなたは周りの人に受け入れられてるよ」

「あなたは大切な存在なんだ」 

「あなたが何を思うことも何を感じるかも重要なんだ」
 
「あなたは自分の意見を自由に表現して良いんだ」

って事です。

「誰もそうは言ってくれないよ?」
(by 中学生の私)

そうですねぇ
誰かの自由を100%受け入れられるくらい
自分の自由を許している人って案外少ないもんね。

だから
みんな我慢してるんだからーみたいな 
呪いの言葉が脳内再生されちゃうんだよね。

よしよしそれならまぁ

自分で自分に言おうか。

「あなたはここに居て良いんだ」
(居てくれて嬉しい)

「あなたの事を私は受け入れてるよ」

「あなたは大切な存在なんだ」 

「あなたが何を思うことも何を感じるかも重要なんだ」
 
「あなたは自分の意見を自由に表現して良いんだ」


本気で言ってみてね。

言われた方のあなたは、
どんな顔するかなぁ…

#全国18万人の不登校さんへ告ぐ

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