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2人の作家紹介『松本清張』、『遠藤周作』について

今回の記事は上の2つのリンクに一応関連しています。

1.松本清張『砂の器』と映画版『砂の器』

質問1.『原作の小説が映像になって、期待以上に映像化されていた事例、逆にがっくりの事例は?私にとって、前者は春の雪(三島由紀夫)、後者はドラマの美丘でした。』

質問ありがとうございます。

真っ先に浮かんだのはこの作品。

砂の器(1974)/松竹株式会社・橋本プロダクション第1回提携作品。予告編

映画『砂の器』1974年公開 監督 野村芳太郎 脚本 橋本忍、山田洋次 出演者 丹波哲郎、加藤剛、島田陽子、緒形拳、森田健作、山口果林、加藤嘉、笠智衆、辰巳柳太郎 音楽 芥川也寸志、菅野光亮他

1974年公開の日本映画の名作です。そして原作は『松本清張』

脚本「橋本忍」・監督「野村芳太郎」のコンビは、『張込み』『ゼロの焦点』の映画化で松本清張から高評価を得ていた。

映画『張込み』1958年公開 監督 野村芳太郎 脚本 橋本忍 出演者 大木実、宮口精二他

『ゼロの焦点』1961年公開 監督 野村芳太郎 脚本 橋本忍、山田洋次 音楽 芥川也寸志、菅野光亮 出演者 久我美子、高千穂ひづる、有馬稲子他

・脚本家『橋本忍』=1949年~1960年まで黒澤明の『黒澤組』の脚本家集団の一人として活躍。脚本家デビュー作は『羅生門』

1960年『砂の器』を連載するに当たって、清張は野村芳太郎、橋本忍の2人に映画化を依頼している。
しかし、送られてくる新聞の切り抜きを読みながら、橋本は「まことに出来が悪い。つまらん」と映画化に困難を感じるようになり、半分ほどで読むのを止めてしまった。
しかし清張自らの依頼を断るわけにもいかず、制作に着手。
橋本と一緒に脚本を担当した山田洋次は、「ぼく、とてもこれは映画になると思いません」と言った。
橋本忍「そうなんだよ。難しいんだよね。親子の浮浪者が日本中をあちこち遍路する。そこをポイントに出来ないか。無理なエピソードは省いていいんだよ」
ということで、それから構成を練って、書き出した。

初めに映画のクライマックスシーンの構想は橋本の中にあり、橋本、山田の二人のディスカッション(主に橋本主導)で映画の脚本は作られた。
初めの橋本の着想がなかったら、原作の映画化は失敗だったはず。
それどころか映画化自体が頓挫していた可能性もあると思います。

そして映画のクライマックスシーンではセリフなしの映像と合わせて、

ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」菅野光亮 作曲

この音楽が最大の貢献をしています。

映画『砂の器』シネマ・コンサート 予告映像 ※シネマコンサートは2017年開催です。

・和賀英良(主演加藤剛)=本作の登場人物。ピアニスト兼作曲家。

映画版では主に橋本忍のアイデアにより、相当の時間がハンセン氏病の父子の姿の描写にあてられている。

劇中での和賀は、過去に背負った暗くあまりに悲しい運命を音楽で乗り越えるべく、ピアノ協奏曲「宿命」を作曲・初演する。

和賀英良がコンサートで自分が作曲した音楽を指揮する。
指揮棒が振られる、音楽が始まる。
そこで刑事は、和賀英良がなぜ犯行に至ったかという物語を語り始める。
「音楽があり、語りがある、それに画が重なっていく」

和賀英良回想シーン 『父子の旅』
和賀英良が父と長距離を放浪していた回想。
施しを受けられず自炊しながら生活する様子。
子供のいじめに遭い小学校を恨めしそうに見下ろす様子。
命がけで父を助け、和賀少年がケガを負う様子などが描写されている。

原作者の松本清張も「小説では絶対に表現できない」と、この構成を高く評価した。

橋本忍は松竹に『砂の器』の映画化を断られた後、東宝、東映、大映に企画を持ち込むが、いずれも「集客が困難」という理由で断られている。

業を煮やした橋本は、ついに1973年「橋本プロダクション」を設立した。

この辺り、松本清張原作を超えて、橋本忍の企画ありきで、その情熱をもとに映像化された作品と言える。

クライマックスの「父子の旅」の撮影は、橋本忍と橋本プロダクションのスタッフ総勢11名の少人数で行われた。これは松竹のスタッフを使う場合、俳優が出る場面には労働条件としてスタッフ全員が付くという決まりがあり、予算が高騰化する恐れがあったためである。
そうした独立プロによる製作が、四季の長期撮影を本邦で初めて可能にした。
しかしそうして撮影した膨大なフィルムを、橋本は自らの手でわずか十分にまとめ、脚本にも書かれ、実際には録音していた台詞も全てカットしてしまった。
橋本はその理由を「映像を見る光の速さより、音の速さはかなり遅い。セリフが入ると観客はその意味・内容の解釈に気を取られて、画に没入できなくなる」と説明している。

黒澤明は事前に『砂の器』の脚本を読み、橋本忍を自宅に呼び出して細かいダメ出しをたくさんした。そのうえで、「これを野村(芳太郎監督)君に渡しといてくれ」と、クライマックスの演奏会シーンの絵コンテとカメラ位置を指示した紙を橋本に渡した。
結局、橋本は黒澤の言葉を全て無視した。
映画『砂の器』は公開後、大ヒット。
それを見た黒澤は、何も言わなかった。

芝居好きの橋本忍の父親は亡くなる直前、橋本のシナリオ2作品を枕元に置いていた。(橋本の妻が父親にシナリオを送っていた)
その作品とは「切腹」と、その時点では映画化が宙に浮いていた「砂の器」だったという。

映画『切腹』1962年公開 監督 小林正樹 脚本 橋本忍 原作 滝口康彦 出演 仲代達矢、石浜朗、岩下志麻、丹波哲郎、三國連太郎他

橋本の父親は「お前の書いたホンで読めるのはこの2冊だけだ。出来がいいのは『切腹』の方だが、好きなのは『砂の器』だ」と言い、「砂の器」が映画化されれば絶対当たると述べたという。
これが橋本忍に映画化を決意させるきっかけになった。

さらにQuoraに投稿した回答に頂いたコメント。

「何度か書いていますが、原作の出来がひどくて読んでびっくりした記憶があります。清張せんせーは意に介さず横溝正史をバカにしていたようです。」 ー 西一雄さん

でもこの回答だけ読むと、『松本清張』が過大評価の作家という印象になってしまうかもしれないので、いくつか個人的に好きな作品を紹介します。

松本清張作品おすすめ

『西郷札』

『週刊朝日』の「百万人の小説」に入選し、第25回直木賞候補作となった。松本清張のデビュー作と位置づけられている。

『或る「小倉日記」伝』

福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)在住であった松本清張が、地元を舞台に、森鷗外が軍医として小倉に赴任していた3年間の日記「小倉日記」の行方を探すことに生涯を捧げた人物を主人公として描いた短編小説。
それまで朝日新聞西部本社に勤務しながら執筆活動を行っていた清張が、上京後小説家に専念するきっかけとなった作品。

『点と線』

2人の刑事の事件捜査を活写し、F・W・クロフツらによって確立されたアリバイ崩しのスタイルを継承した長編ミステリー。著者の最初の長編推理小説であり、松本清張ブームを巻き起こした作品。

『眼の壁』

若い会計課次長が、パクリ屋の手形詐欺に端を発する、連続殺人事件の謎を追跡するミステリー長編。『点と線』に次いで連載開始された推理長編であり、知能犯的経済犯罪を発端に、様々な社会的素材・人間像が盛り込まれ、連載中から大きな反響を呼んだ作品。

『日本の黒い霧』

月刊誌「文藝春秋」で、1960年1月号から12月号にかけて連載された。アメリカ軍占領下で発生した重大事件について、清張の視点で真相に迫った連作ノンフィクション。「黒い霧」という言葉が流行語になるほどの社会現象を起こし、清張にとっても代表作の1つとなった。

『霧の旗』

兄の弁護を断った弁護士に対する、女性の理不尽な復讐を描く、リーガル・サスペンス。『婦人公論』に連載され、1961年3月に中央公論社より刊行。

映画『霧の旗』1965年公開 監督 山田洋次 脚本 橋本忍 出演 倍賞千恵子、滝沢修、露口茂他

同時代に活躍した『三島由紀夫』との確執、『大岡昇平』との論争は有名ですが、日本に『社会派推理小説』という新しいジャンルを築き、そのブームをもたらしたのは大きな功績です。

2.「狐狸庵先生」(遠藤周作)という作家について

質問2.『遠藤周作に関する雑学を教えてください。どのようなものがありますか?』

質問ありがとうございます。

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「狐狸庵先生」ですね。

『ぐうたら交友録 狐狸庵閑話』遠藤周作

ネスカフェゴールドブレンド CM 1972 狐狸庵先生(遠藤周作)編

『狐狸庵先生』の由来。

『狐狸庵閑話』遠藤周作

・1963年に駒場から町田市玉川学園に転居したころ、雅号を「雲谷斎狐狸庵山人」とする。
ちなみに「狐狸庵」とは「狐狸庵閑話」が関西弁で「こりゃあかんわ(=これはダメだな)」の意味のシャレであり、「狐狸庵閑話」が先に出来ての「狐狸庵」である。

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『ちびまる子ちゃん』さくらももこ

「遠藤周作と対談した際、どんな真面目な内容か緊張していたが、年齢を10歳偽るなど最初から最後まで掴みどころのないジョークで翻弄されてしまい、最後に渡された「ぼくの電話番号」に翌日電話するように言われて約束通り電話したところ、それは東京ガスの営業所の電話番号であった」 ー さくらももこ

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『深い河』遠藤周作 1993

全13章から構成され、執筆前にインドに何度か取材に訪れるなど、遠藤の作品のうちでも事前に綿密に構成されており、『沈黙』、『白い人・黄色い人』とならぶ遠藤の代表作と言われる。

こういう作品を書く作者と同一人物なところが、面白い。

2年後。1995年に映画化。

『深い河』1シーン 1995

映画『深い河』※この映画はDVD化はされていないようです。

映画『深い河』1995年公開 監督・脚本 熊井啓 出演 秋吉久美子、奥田瑛二、三船敏郎他 ※三船敏郎の生涯最後の出演作

Deep River.宇多田ヒカル 2002

『Deep River』宇多田ヒカル 2002

遠藤周作『深い河』に影響を受けて作られた曲。アルバムタイトルも同様。

遠藤周作作品のおすすめ

『白い人・黄色い人』

『海と毒薬』

1957年に発表。太平洋戦争中に、捕虜となった米兵が臨床実験の被験者として使用された事件(九州大学生体解剖事件)を題材とした小説。
テーマは「神なき日本人の罪意識」
第5回新潮社文学賞、第12回毎日出版文化賞受賞作。

The Sea and Poison (1986) ORIGINAL TRAILER

映画『海と毒薬』1986年公開 監督・脚本:熊井啓 出演 奥田瑛二、渡辺健、田村高廣、岸田今日子、津嘉山正種他

作品のテーマに監督の熊井啓は衝撃を受けて映画化を決意する。
原作者の遠藤から映画化の承諾を得て、1969年には脚本が完成したが、その作品性ゆえ出資者探しが難航し、実際に映画化されたのは17年後の1986年のことであった。

『死海のほとり』

『侍』

『沈黙』

遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した歴史小説。
1966年に書き下ろされ、新潮社から出版された。
江戸時代初期のキリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた。第2回谷崎潤一郎賞受賞作。
この小説で遠藤が到達した「弱者の神」、「同伴者イエス」という考えは、その後の『死海のほとり』、『侍』、『深い河』といった小説で繰り返し描かれる主題となった。
世界中で13か国語に翻訳され、作家グレアム・グリーンをして「遠藤は20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家である」と言わしめたのを始め、戦後日本文学の代表作として高く評価される。

そして2度映画化されています。

1971年版

『沈黙』Clip

映画『沈黙 SILENCE』1971公開 監督 篠田正浩 脚本 遠藤周作・篠田正浩 出演 デイビッド・ランプソン、ダン・ケニー、マコ岩松、岩下志麻、三田佳子、丹波哲郎他

・2016年版

映画『沈黙-サイレンス-』本予告

映画『沈黙 -サイレンス-』2016年公開 監督 マーティン・スコセッシ 脚本 ジェイ・コックス、マーティン・スコセッシ 出演者 アンドリュー・ガーフィールド、
リーアム・ニーソン、アダム・ドライヴァー、窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、小松菜奈、加瀬亮
 、 笈田ヨシ他

同じく熱心なカトリック信者のマーティン・スコセッシ監督がロケハン、出資者、配給、出演者など紆余曲折ありながらも映画化を決行。
遠藤周作本人が脚本に関わっている1971年版よりも原作に忠実な内容。

また遠藤周作自身が熱心なカトリック信者で、遠藤周作の筆致で初期キリスト教の成り立ちを描いた2作。

『イエスの生涯』

『キリストの誕生』

学校の歴史の教科書よりずっとわかりやすい。

『スキャンダル』

『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けた。
グレアム・グリーンの熱烈な支持が知られ、ノーベル文学賞候補と目されたが、
『沈黙』のテーマ・結論が選考委員の一部に嫌われ、『スキャンダル』がポルノ扱いされたことがダメ押しとなり、受賞を逃したと言われる。

作家『グレアム・グリーン』との関わり

『第三の男』グレアム・グリーン

代表作は、やはり『第三の男』

THE THIRD MAN - Official Trailer - Restored in Stunning 4K

映画『第三の男』1949公開 監督 キャロル・リード 脚本 グレアム・グリーン 製作 キャロル・リード、デヴィッド・O・セルズニック、アレクサンダー・コルダ 出演 ジョゼフ・コットン、オーソン・ウェルズ、アリダ・ヴァリ 音楽 アントン・カラス

本来自分が脚本を描いた映画を小説として刊行。

『権力と栄光』

1940年に出版されたグレアム・グリーンによる長編小説。

メキシコ革命の最中、政府によってカトリック教会は弾圧されていた。そうした状況の中酒に溺れ、メキシコ人女性をはらませた神父は警察当局に追跡され逃亡を続ける。
1930年代にグリーンはメキシコのタバスコ州を旅行し、そこで目撃したカトリック教会への迫害を小説化したもの。

遠藤周作はこの作品を賞賛し、『沈黙』を書く際に大きな影響を受けたと語っている。
グレアム・グリーンも『沈黙』を読んで「サンデー・テレグラフ」の書評欄でベスト3の一つとして挙げている。

遠藤周作同様、カトリックの倫理をテーマに据えた作品を多く発表し、長年ノーベル文学賞の有力候補と言われ、実際に1950年に候補としてノミネートされたが、受賞はかなわなかった。死去の際は受賞しなかったことが、話題の一つとなった。

1985年4月 - 遠藤周作はイギリス、スウェーデン、フィンランドを旅行し、同月に帰国。ロンドンのホテルのエレベーター内でグレアム・グリーンと偶然鉢合わせし、ホテルのバーで文学論を交わした。

『影に対して:母をめぐる物語』

1996年遠藤周作の死から25年後の2020年に出版。
『影に対して』は2020年2月、長崎市遠藤周作文学館で発見された未発表の完成した中編小説。1963年3月より後、40歳以降に執筆されたと推測される、自伝的作品。
その他短編作品6篇を併録し、2020年10月に新潮社から単行本化された。

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