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『冷血 (In Cold Blood)』トルーマン・カポーティについて

今回は『トルーマン・カポーティ』というアメリカの作家、特に代表作『冷血』についての記事です。
また、『冷血』という『ノンフィクション・ノヴェル』で書かれる実際にアメリカで起きた一家惨殺事件の概要についての記事です。

①作家『トルーマン・カポーティ』略歴

1924年 ルイジアナ州ニューオーリンズで生まれた。
出生時の名前はトルーマン・ストレックファス・パーソンズ。(Truman Streckfus Persons)
両親は彼が子供の時に離婚し、ルイジアナ、ミシシッピ、アラバマなどアメリカ合衆国南部の各地を遠縁の家に厄介になりながら転々として育った。
引越しの多い生活のため、ほとんど学校に行かず、独学同様に勉強した。
母親は後年ジョゼフ・ガルシア・カポーティと再婚し、その後自殺した。

上のnote投稿で詳しく書いていますが、アラバマ在住時の幼馴染として、後年の女流作家『ハーパー・リー』がいます。

『アラバマ物語』ハーパー・リー

リーの代表作『アラバマ物語』中の登場人物『ディル』はカポーティがモデルです。
1941年 17歳で学校をやめて『ザ・ニューヨーカー』誌のスタッフになり、2年ほど働いた。仕事はマンガの整理と新聞の切り抜きだった。

②カポーティ代表作紹介

『夜の樹』トルーマン・カポーティ

1943年 19歳の時、こちらの短編集『夜の樹』に収録の『ミリアム』でオー・ヘンリー賞を受賞。
「アンファン・テリブル(恐るべき子供)」と評される。

『遠い声 遠い部屋』トルーマン・カポーティ

1948年  初めての長編『遠い声 遠い部屋』出版。23歳。

『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ

1958年 33歳。上の記事で詳細に触れている『ティファニーで朝食を』出版。
映画化された影響もあって、流行作家として、また若手天才作家の名をほしいままにする。

1作ごとに華やかな話題をふりまく。
映画にも出演。
『ノーマン・メイラー』とともに作家としては珍しくゴシップ欄の常連になる。
公私の両面で話題を振りまいた。
作家としての出発時点から、早くも華やかな交友関係ができあがっていた。
作家、芸術家のほか、上流階級、国際社会の著名人と幅広い交友があった。
その活発な社会生活によって何度となくメディアの注目を浴びた。

明らかに今でいう『タレント流行作家』です。
しかし彼が作家として優れた才能を有していたことは、
問題作『冷血』によって嫌と言うほど思い知らされることになります。

③ノンフィクション・ノベル『冷血』

『冷血』In Cold Blood作者 トルーマン・カポーティ
出版 1966年1月17日

1966年 『冷血』刊行。
これが『ニューヨーカー』に連載されると、たちまちのうちに、従来のカポーティ作品を上回って、広汎な読者層を惹きつけることになった。

実際に起きた一家殺人事件を題材にして、たっぷり時間をかけた調査を行ない、『ノンフィクション・ノベル』という新たなジャンルを切り開いた。

『ノンフィクション・ノベル』
・現実の出来事に小説的な技法を用いる。
・潔癖なまでに事実そのもの。
・それでいてなお、芸術作品でもある。

④『冷血』の簡略なストーリーおよび、実際の『クラター一家惨殺事件』

・事件前『クラター家』概要
アメリカ中西部カンザス州西部のホルカムという農村の大農場を営む、
主人『ハーバート・ウィリアム・クラター』ーリバリーバレー農場の主人 48歳
妻『ボニー・クラター』ー45歳
娘『ナンシー・クラター』ー16歳
息子『ケニヨン・クラター』ー高校生 15歳

※その他ナンシーの上に『エヴァンナ』と『ビヴァリー』という2名の娘がいるが、自活していて、事件当時はクラター家に住んでいなかった。

家族のうちで他人から恨みを買うような人物は、一人もいなかった。

・『一家惨殺犯』2名概要
カンザス州立刑務所から最近仮釈放された2人の元受刑者
1.リチャード・ユージーン・「ディック」・ヒコック
2.ペリー・エドワード・スミス

・1959年11月14日夜

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