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#MeToo機能不全家族出身宣言
あなたが抱えている苦しみは、どこかの誰かも持っているかもしれない
あなたが経験したことは、多くの人が押し黙ってきたことかもしれない。
わたしが経験したことと同じような経験をしている人が、今もどこかにいる。
ここで起きたことと同じようなことが、どこかでも起こっている。
機能不全家族や毒親育ちの経験を声にすることで、教育や社会システムが良い方向へ舵を取ることのスピードをあげるかもしれない。
これ以上
言葉にすること。伝えること。表現すること。
文章は”書く人の潜在意識の状態が現れる”と誰かに聞いたことがある。
自己肯定感のある人は、短く分かりやすい文章に。自信のなさや不安、混乱を気持ちの奥に閉じ込めている人は、長くまとまりのない文章になるのだそう。
もしそれが本当ならば、文章を書く練習をする過程で、過去のトラウマを浄化することができるのかもしれない。
これは、わたしのためのカタルシス。あの時、誰にも言わずに自分の中だけに閉じ込めていたこ
あなたと社会の平和ルール。
「女の子なんだからそんな格好をするべきじゃない」
「女の子なんだから料理くらいできないと」
「女の子なんだからおしとやかに」
「女の子は聞き上手であるべき」
「早くいい人見つけて結婚しなよ」
「女は子どもを産むべき」
「子育ては女の仕事」
「母親は家庭的で家事も育児も完璧にできる」
「男の子なんだから泣くな」
「男の子なんだから強くあれ」
「男の子らしい色を選べ」
「男らしくあれ」
「男の子だか
花束とキースと社会の平和ルールと。
一番欲しかったものは最初からすぐそばにあったはずなのに、それは忙しさに紛れてどこへいってしまったかもう誰にも分からなかった。
買い物依存は自己嫌悪忘却装置。
たくさんの鞄も靴も洋服はもうほとんど処分してしまったけれど、その全部がもらえなかった愛情の代用品。
ぽっかり空いた自己承認欲求を満たす一時的ツール。満たされることなく中毒性を持ち刹那的。
わたしが一生大事にするものは、お母さんからのおさがり
お父さん、お母さんを乱暴に扱わないで。
テレビで見たり聞いたりするような「虐待」や「家庭内暴力」なんていうものはうちにはなかった。
「なに言ってんだよ!違うの!そうゆうもんなの!」
車の運転席と助手席で、彼らがどんな会話をしていたかわからない。でもそれは、意見が合わないといつも乱暴に母の言葉を押さえ込む父の言葉だった。「何よ」が、いつもの母の最後の反撃になり、言いたいことのほとんど全部を言えずに、それはすぐに終わるのだ。父が母を小馬
黄金に輝くフレームの中の上野
母が美術館が好きなのを知っている。
でも、どんな展示が好きなのかは知らない。
弟が生まれる前に、母はよく中央線に乗って兄とわたしを上野の美術館へ連れていってくれた。見ず知らずの同世代の子たちと列を成して、今にも動き出しそうな動物たちと視線を合わせて心を躍らせた。この頃わたしは一体、母とどんな会話をしていたのだろうか?
その日は父もいた。父と母と兄とわたしの4人で、冬のたぶん土曜日。
上野の公園
森の中のお母さんとわたし。
私の住む地域はよくある住宅街で、最寄りの駅が近くなるごとに公団住宅の数が増えていく。
エリアごとに作りが異なる公団住宅はバリエーション豊かで、見事に緑と共存していた。ここは昔は本当に森だったのだろうと容易に想像できるほど、立派な木がたくさん生い茂っていて、それは子供にとっては鬱蒼とした雰囲気が少し怖くもあった。それでもあの小さくミニマムな間取りと、近所にたくさんの同年代の友達が住む構造が、わたしに
赤い自転車のボックス席に乗り込んで。
始発電車に間に合うように家を出る父に代わって、保育園と幼稚園の送り迎えはもっぱら母の役割だった。赤い自転車の荷台に取り付けられている子ども用のボックス席は、今見るような滑らかなプラスチックの椅子が付いているのではなくて、網のカゴから足が出せるような旧型のもので、座布団を毎回カゴに敷かないと到底痛くて座れなかった。(ちなみに座布団を敷くと乗り心地は最高に良かった)
弟が生まれて、わたしが幼稚園に通
現代家族エラーシグナル・バランス装置。
この家にコミュニケーションがないのは、わたしだけのせいじゃない。
母からのわたしに対しての扱いを、父も、兄も、弟も、知らないはずはなかった。
知らないわけなかったのに、どうすることもできなかったのか、どうしようとも思わなかったのか、どう思っていたかも実際のところよくわからない。
いや、よくわかっていないのは、わたしだけかもしれない。みんな母には気を使っていた。彼らから見ても、わたしは不良だったの
なかったことなんかにできない。なかったことにしていたこと。
燃えるようなオレンジ色の夕日が曇りガラスに刺さった後に優しく部屋に広がっている。
あの子はベットの上で声を殺しながら泣いている。
このまま首を絞め続けたら死ねるだろうか。
死んでしまったら、この苦しみは綺麗さっぱり無くなるのだろうか?彼らは、悲しむだろうか?それが最大かつ効果的であることは間違いなかった。
「キレる若者」が社会現象になったあの頃、
わたしはテレビで話題にされているあの子達と自分