お父さん、お母さんを乱暴に扱わないで。
テレビで見たり聞いたりするような「虐待」や「家庭内暴力」なんていうものはうちにはなかった。
「なに言ってんだよ!違うの!そうゆうもんなの!」
車の運転席と助手席で、彼らがどんな会話をしていたかわからない。でもそれは、意見が合わないといつも乱暴に母の言葉を押さえ込む父の言葉だった。「何よ」が、いつもの母の最後の反撃になり、言いたいことのほとんど全部を言えずに、それはすぐに終わるのだ。父が母を小馬鹿にする態度は、子どもながらに母はあまり頭が良くないのかもしれないと思わせた。
父の発する言葉の波動が、わたしの身体の細胞隅々まで響いて染み渡る。目の焦点が解かれて、空間全体を据える。まるで父の言葉とわたしの身体がぶつかって、両方ともどこかに消えて無くなってしまうみたい。
両親の大きな喧嘩は一度も見たことがない。いつも喧嘩は、父の一方的な言葉による押さえ込みですぐに終わる。
母は、父と深く議論することやお互いをわかり合うことは当然不可能なことだと思い、理解し合う努力は無意味だということを、だいぶ前から判断していたのだろう。自分の感情と言葉を抑え込むことが、一番の解決方法だと信じ込んでいたに違いない。そういえば、うちでも政治や選挙の話をするのもご法度だった。
お母さんがおばあちゃんと分かり合えなかったこと。
お母さんがお父さんと分かり合えなかったこと。
お母さんの押し殺した感情は、行き先を探す。
怒りと悲しみの裏側の自己嫌悪の連鎖。
わたしがお母さんと分かり合えなかったこと。
わたしの世界。
お母さん、自分を嫌いになることから逃げるために、わたしを嫌いにならないで。
お母さん、わたしに全部ぶつけていいから、お母さんが幸せであって。
お父さん、お母さんの味方でいてくれてありがとう。
お父さん、お母さんを乱暴に扱わないで。
世界はまだ、テレビで見たり聞いたりしないような「虐待」や「暴力」に溢れている。
誰もが世の中の平和ルールに縛られて、尊厳と自由を奪われていることを明るみにできないでいる。
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