見出し画像

巫女、ウヰ

 世界が呼吸している。真昼の社務所の戸口で、ウヰがそう口にした。社務所の内側の壁に貼られた世界地図の布が夏の風に帆を張っている。

 彼女は語った。

 炎の祈祷、花の祈祷、思えば、一〇代の初まりから世界を相手に舞うようになっていた。

 世界が呼吸をしながら私を求める。私が応じて舞うと、世界に彩りが満ちはじめる。

 満ち満ちていく世界の色彩には海や河があり、街もあれば橋も架かっている。草花や動物や虫、人々はもちろん、草を食むバッファローのかたちの国、竜の落とし子のかたちの国、前脚をあげる山羊のかたちをした国など、それらが紡いでひとまとまりになった世界が私の相手だ。

 世界の懐のなか、池の噴水の軌道にトンボが乗って休んでいる。夏休みに入っても色を失ったままの空白少年少女たちが、その池のふちを囲っている。

 彼ら彼女らの高校には、大麻を使う学生がいる。退屈の無色を塗装する絵の具として大麻が消費されている。不憫だが、そのようなものが許されないのならば、巫女である私の存在も許されないことになる。

 退屈を紛らわすために自殺を目撃したり、自殺未遂の真似ごとをしてほんとうに死んでみたり、不快なドラッグや汚れた噂などが消費される社会、世界のほんの一部にすぎないそんな社会を編んでいる彼ら彼女らに、私は彩りを与える。

 飛び降り自殺を彩り、自傷行為を彩り、不義理、毎日の掟、見張られた退屈、ふるえてみる、泣く、鈍麻しつつの興奮という困惑、いつまでも続くらしい虚脱感、それらを彩っていく。

 世界は時間の流れを持っている。流れにあわせて舞いながら、その時間の流れがどこに向かうのか、もしやサマータイムなのではと恍惚に包まれた状態で解釈しかけるそのとたん、気づけばいつも恍惚の残りにしびれた軀が床に横たわっている。

 額には汗が滲み、頬は深紅に染まっている。そんな有り様の顔色が鏡のなかにある。横たわり、見つめ見つめかえしている、他者である私が。

 すでに世界は私に無関心を示しながら、けれども依然と深呼吸を続けている。こちらもそんな世界をよそに起き上がる。

 私のいとなみの相手は世界である。社会ではない。人間の異性でも同性でもない。世界のみが私のいとなみの相手だ。世界以外と契りを交わすことは、これからもない。

 語り終えたウヰは、社務所の冷蔵庫に足を運んだ。つくりたての氷を入れたカルピスで喉を鳴らす。
 ことのあとの一人の時間、ウヰはいつもそうして一息つく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?