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Illumination
Le mot "illumination n'est pas crée par Rimbaud..
Confinementが終わった。
久しぶりに友人と飲んだ帰り道。
美しいものを見た。
世界の美しいもの。
どこか特別な場所に行く必要はない。美しいものはそこら中に溢れている。
街灯が照らし出す街路樹の揺れる影に狂おしいほどのときめきを感じる。
それは思いがけけない『告白』にも似た感情
自分を大きく見せないこと
最近自分が向いていっている傾向について書こうと思う。
美しいものが好きだと思う。
でも大袈裟なものが好きじゃない。
身の丈でないことにも居心地の悪さを感じる。
わざとらしさにも違和感を感じる。
みんなと同じようにインスタグラムやFacebookで美味しかったり、美しかったり、楽しかった瞬間を伝える写真や文章をアップしたりする。
でもそこでもなるべく装飾をしたくないと思う。
装飾があっ
ノルマンディーの田舎の家で
今私は一人で田舎の家にいる。
昨日の夜到着して、冷蔵庫に残っていたもので簡単な夕食にした。
音楽を聴きながらイカとセロリのパスタを作って、久しぶりの一人が心地よくて250mlのビールを2本飲んでしまった。
その後午前0時過ぎまでドローイングをして、ゆっくり猫足の湯船に浸かった後、布団に入ったらすぐに眠ってしまった。
今朝はマルシェで生のエビとホタテを買い、スーパーで必需品を買い込んできた。
リファビリ。一回りしてまた同じ場所に戻ってきた
絵を描くことを辞めてしまってから7年の歳月が流れた。
色々なことが起こって、絵を止めるきっかけとなったプロジェクトが終わってしまったのにも関わらず長い間描けなかった。
絵に関して複雑な感情を持ち過ぎてしまい、素直にまた描こうと思うことができないでいた。
幸か不幸かフランス現代アートの一線のアーティストとのつながりが深い男性と知り合い、彼がパリに総合施設を作るプロジェクトに加わってくれて、私の
敢えてnoteに書くこと。
自分の頭の中を整理するためにはnoteで公開にして書かなくてもノートに書くことだってできる。そういう覚書みたいなノートは何冊もある。
けれど敢えてこういう公共の場に、たとえ誰も読んでいる人がいないとしても投稿するということは何か意味があるのだと思う。
驕りと過小評価の行ったり来たりではなく、ある事実として過去にあったことで消化できていなかったこと。誰とも話をしないで来たことについてここで書きた
絵を描き始めたきっかけ
絵を描くきっかけを作ってくれたのは最初の夫だった。
彼も私と同じように生い立ちが複雑な人で養子だった。
韓国に産まれながら、フランスに養子に入ったが養父母とうまく行かず、7歳から施設で育っていた。
でも大人になってからはその養父母といい距離で付き合いがあるようだった。
私たちは木が多い茂る森の奥に住んでいるその義父母に何度か会いに行った。
犬猫、鶏、そしてヤギやヒツジやロバや馬やポニーが