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田舎の家のこと1

去年の11月にフランスの田舎に一軒家を購入した。

随分前から、そしてここ数年は一軒家に住みたいという想いが強くなっていた。

幼い頃の幸せな体験を再現したいという想いだったのかもしれない。

あの頃ゆったりと過ごせた時間は私が育った一軒家の自分の部屋の中か、庭で一人で過ごした時間だけだった。

いくつかの経験も重なった。友人の田舎の家で数日過ごした思い出や、昔のボーイフレンドの家族が持っている海辺の家で過ごした日々。

ただ庭に座って緑の中に佇んでいることだけで幸せだった。

旅行に行くのとは違う、次に次にと急ぐのではなく、ただそこにいるだけの至福の時間。

そういうことを求めていたのかもしれない。


私の購入した家はパリから電車で一時間半のノルマンディーの小さな町にある。

2本の川が流れる、第二次世界大戦の爆撃から逃れた古い町並みの可愛らしい町。

家は質素で、元の大家も不動産会社もこの家が1940年よりも前に作られただろうということしか知らなかった。

でも偶然にも見つけたこの小さな町で、偶然にも最初に見学した家だった。

車の免許を持っていない私でもパリから電車でアクセスでき、自分のしがない給料でもローンを組むことができるくらいという条件にも当てはまった。

この家を見学した時にすぐにここだと思った。

通りに面した表側は何の変哲も無い家。でも中に入ると天井には梁があり、小さな可愛らしい部屋がいくつもある。中庭にはレンガが敷き詰めてあり、赤い愛らしいバラが壁を蔦っていた。中庭を超えたその先には納屋がある。壁の作りはレンガでしっかりとしているが、床は半分土だし、とにかくだだっ広い。でもこの空間に可能性を感じた。そして納屋を通り過ぎるともう一つ庭がある。雑草が生えっぱなしになっているが、ここには二本のりんごの木が生えていた。特に一本のりんごの木はまるでこの庭を守る妖精のように両手を広げるように立っていて印象深かった。

私はこの家に一目惚れしたのかもしれなかった。

不動産会社のおじさんは見学する前にこの家は見せてもしょうがないと言っていた。貴方には大きすぎるだろうと。

私は彼氏と別れて一人だったし、40過ぎの大工仕事ができそうに無いパリから来た日本人にこの家は無理だと思われたのも仕方ない。

私も心を惹かれながらも、頭で考えるとどうやっても手に負えないだろうと思ったし、それを素直に不動産屋に話した。

貴方にもっとぴったりの家があるよと言って、もっと小さな家をいくつか見せてくれたけど、心は最初の家にとらわれていた。

もう一度あの家を見せてくださいと言って、見せてもらった。

そしてその時既に私はこの家を買おうと思っていたのだと思う。

色々あって仮契約のサインをしてから家の鍵をもらうまで半年ほど掛かった。

それでも最初に提示されていたものよりは大分に安い金額で家を手に入れることができた。

そして工事を始めた。そのまま住むこともできたけれど、この家の内装は70年代の装飾に彩られていてどこか居心地が悪かったし、少し安く買えた分、工事の分までローンを組んでいた。

壁を覆っていた壁紙を剥がすと、小さな扉がありそれを開けると水道管が見えた。素材が人体に有害な鉛であることがわかったので、水道管を変えることになった。

家の鍵をもらって2日後にガスの湯沸し器が壊れ、家全体を温めていたのはその湯沸し器だったので、暖房もお湯も無い状態になった。

11月のノルマンディー地方ではそれはかなり辛い状況かもしれない。

運よく知り合った日本人の女性が私の家から歩いて15分ほどの所に住んでいたので、お風呂を借りに行かせてもらった。

そのようなきっかけから急に彼女との距離が縮まって仲良くなり、田舎の家に行くたびに彼女のところに行って、一緒にご飯も食べるようになった。

年が明け、仕事が忙しくなったが内装工事は続いていて、月に1〜2回は田舎の家に行くようにしていた。

暖房のない家は寒かったし、大きな敷地に一人で物音に怯えて夜は震え上がることもあった。漫画のように猫がゴミを荒らしに来て、派手にひっくり返し縮み上がったこともあった。前の住人が残していった寝具に包まっていると、十代の頃家出をして人の家の埃臭かった布団で寝たことを思い出したりした。全体的にはまるでキャンプでもしているようで楽しかった。

そしてコロナが起こった。

外出禁止になり、しばらくは田舎の家に行くことができなかった。





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