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PhDをとることは私の夢だったので、絶対に取ります。

幼稚園の頃から、大学院生とかかわる機会があった。はじめて修論や博論を読んだのは4歳のときだった。内容はわからなかったが、大人顔負けの校正をして、院生を驚かせた。

そんな特殊な環境の特殊さに気づかないまま、小学生時代の私は「おとなになったらみんな大学に行って、博士後期課程まで行って、PhDをとるんだろうなあ」と漠然と思っていた。

中学生になって、PhDへの憧れはより強くなった。どんな職業に就こうと、PhDはとりたい。そうじゃないと死ねない。知性を持った生き物であるはずのホモサピエンスとして生きることに満足できない。そしてそのころには、「さすがにおとなになったら全員みんなPhDとるわけやないやろけど、大学に入った半分くらいはふつうに行くやろ」くらいに思っていた。ネットがない時代のこどもの無知さを責める資格は、いまの私にも、誰にもないはずだ。

高校生になって、転校をしたとき、隣の席にいた子とこんな会話をした。「この高校を卒業したら、何を学ぶの?」「私は専門学校に行くよ。英会話を学ぶ予定」そこではじめて、言葉では知っていた「専門学校」という場所に実際に行くひとを目にしたのだった。そのときネットを使って調べて、全人口の1%くらいしか博士後期課程に行かないのだと知り、びっくりした。

「文部科学省が実施した2022年の学校基本調査によると、大学の学部から大学院等への進学率は12.4%だった。 前年よりも0.6ポイント上昇しているものの、2010年度の15.9%をピークに減少傾向が続いている。 また、修士課程から博士課程に進学する割合は10.3%。」
引用元:

文部科学省によれば、推計進学率は、22歳人口に対して修士課程(博士前期課程)で約5.5%(2014年)、24歳人口に対して博士課程(博士後期課程)約0.7%(2016年)である。学士課程修了者が修士課程に進学する割合は、2016年で全体は約11.0%であり、学科別では高い順に、理学は約41.8%、工学は約36.4%、農学は約23.4%であった。修士課程修了者が博士課程へ進学する割合は、2016年で全体は約9.6%であり、学科別では高い順に、人文学は約18.3%、理学は約16.8%、保健は約15.2%であった[1]。

引用元: 

大学生になって、みんな口を揃えて「就活が…」と言うので、そこで「就活」というものがあるのは知っていても、それを頑張る学生たちを見てきた。そして、大学は高等教育機関であり研究機関であるにもかかわらず、卒論すら書かずに学位を取り、そして就活のために授業を休むという本末転倒な状況を見た。これは学生だけのせいではなく、採用する企業や就活あっせん企業や大学の運営といったシステムの犠牲によるものなので、ろくに勉強しない学生が悪いと学生のせいだけにすることはできない。

詳しくはここに書いたので、興味のある方はぜひ見てほしい。

なぜPhDに憧れるのか。それは、世界どこでも通用するものであり、自分の生きた証が残るからだ。

日本のPhDと、アメリカ合衆国のPhDと、イタリアのPhDと、シエラレオネのPhDはどれも同じPhDだ。もちろん、大学のレベルの差などは考慮しなければならないが、たとえば日本でとったPhDが、アメリカ合衆国でPhDとして通用せず、Masterに換算されるといったことはまずない。

そして、PhDを得るためには博論(博士論文)を書く必要がある。それは一生の財産になり、国立国会図書館や大学の研究室などに置かれる。運が良ければ、出版会などから書籍として世に出せる。

それを「私が生きた証」以外のなんと表現しようか!

私という人間が、たしかに生きていたということを証明するための手段が、博論だと思っている。博論は私にしか書けない。AIも書けないし、ほかの誰も書けない。同様に、Aさんの博論は私には書けないのだ。

日本では、博士後期課程を出たあと、優秀でも常勤職に就けなかったり、40代になっても准教授になれなかったり、奨学金に落ちたりするなど、厳しいことが多い。海外だと、ビザと語学力の問題がかかわってくる。

博士後期課程に入り、博論を書き、PhDをとるのは、簡単ではない。それは、世界のどこに行っても。

ただ、私は必ずPhDを手に入れる。

私にしかできない博論を書いて、PhDを手に入れて、大学の教員になりたい。リサーチマップのアカウントを持って、学会に参加して、発表して、できればポスターの賞でもとって、できれば出版会から本を出したい。

研究者の魅力は、自分にしかできない仕事に一生携われることだと思う。私は言語学が好きだが、”and"に一生を捧げたひとや、日本語のコーパスを作るのに一生を捧げたひとを知っている。古英語に一生を捧げたひとや、上代日本語に一生を捧げたひとも知っている。上海話や関西弁に一生を捧げたひとも知っている。

私は方言学をやりたい。それは科研がとりやすいという理由だけではないが、ここに書くには余白がなさすぎるので割愛する。

研究者になるには、科研費をとることを考える必要がある。B1から科研の話なんて気にしなくていいと言われたこともあるが、科研がないと研究は難しい。ただ、科研だけを考えて生きていたくはない。

よっしゃあ、頑張るぞおおお。とりあえず、学会に参加したいなあ。

留学資金などに使います。ご支援よろしくお願いします。 また、私が欲しい本を集めたほしいものリストも公開しています。 https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/9WBR0K7KWYX8?ref_=wl_share/