数字と感情、そして柔軟性。
数字は冷酷だ。
でもそれ以上に感情は、もっともっと冷酷だ。
数字は事実を表す。
例えば統計はただ確率を表す。
それをみて判断を下すのは自分であり、
誰にとっても同じ数字を、主観的な判断によって私達は捉えられる。
一方の感情は事実ではないものを含む。
至って主観的なものだ。
誰にとっても捉え方の違う感情が生まれるのに、本来多種多様な捉え方があるはずなのに。
恐ろしい感情、不安心。
自分の感情に根強く訴えかけてくる文章を前に
数字よりも感情を表す文章に、
私達は惑わされる。
闘病ついて書いてみようとする。
・この病気の死亡率は70パーセントで、闘病生活を送ります。
・この病気のとある患者は治らない可能性があることに対して嘆き、家族と共に涙を浮かべながら診察を受け、ご飯も喉を通らないほどの精神状態で、闘病生活を送ります。
人の感情に訴える文章は
事実以上に漠然とした不安感に駆られ、人を支配する。
だがしかし、
数字はただの統計に過ぎないし、
感情だってただのその人の一例に過ぎない。
全てその通りとは限らないんだ。
例外もある。
確かにこうだと断言する人がいるが、
それは確率論的に高いという話であって、
全ての人にそれがそのまま当てはまる事象ということはあまりない。
私達は判断する際に
こうだという断言だけでなく、
例外やそれとは違う事象を受け入れる
“柔軟性”を持ち合わせてもいいのかもしれない。
最近なんとなく
統計や研究、相手の感情から
こういう認識が出来るのかという、自分にない視点を増やす手段としてみるようになった。
ずっと示されたことを信じて生きてきたんだけど、本や人に日頃から出会うようにしてからというものあまりにあらゆる見方があると気づき、これはこうと断定的な判断をあまりしなくなったように思う。
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またnote書くのに
読んだ本や、私の出会った人生の先輩・歴の長い経営者、深く感銘を受けた人を参考にしてる。これは私の人生の軌跡で、価値の高いものだと自負してる。願わくばサポートお願いします。。🥺
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