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ヤドカリ放浪記2014〜浄瑠璃寺-圓明寺編〜

2月26日
AM6:52
銚子ダム公園

石を積み上げた珍しいロックフィルダムの銚子ダムで迎えた朝
此処も陶街道五十三次の一つみたいだ
でお目当てのスポットが此処から行けないと云う事が判明
また無駄足を踏んでしまった…orz
でも仕方ないので周辺のスポットを観光
AM7:14
若宮神社
ダム公園内のキャンプ場にある小さな神社
脇には亀井官治朗翁公徳碑と佐野粂太郎翁之碑が建つ
AM7:19
大森彦七史跡碑

南北朝の争乱期における伊予の豪族だった大森
太平記によれば建武三年、足利尊氏氏に従い兵庫湊川の合戦で手痛く軍をし楠正成に腹を切せし者なりと紹介されている
世梨山は城山とも呼ばれ大森の長年拠った千里城がこの山の頂きにあった
平安末期より河野氏、元弘の頃より大森彦七の拠ったこの山城も近世以降の政治変化で廃墟と化し今は城徨を残すのみとなった
城山を仰ぐこの地に公園を開設するにあたって往時を偲び此処に史跡碑を建立
此処を最後にダムを後にしR379に出て北上する
AM7:40
銚子の滝

本来の目的地であった滝が国道を走っていたら見えた
同じ銚子の名前付いてたら行ける思うやん
でも結果オーライ
此処じゃ煩くて眠れなかったよ
滝壺まで降りて良い画撮りました♪
寒い冬には氷瀑が見れる事もあるらしい
落差は約30m
なかなか良い滝行が出来そうな滝でした
AM8:02
砥部衝上断層

西南日本を内帯と外帯に二分する日本最大の中央構造線が一部露出したもの
古い岩石が新しい岩石の上にずり上がった逆断層であり、国の天然記念物だとか…
AM8:33
浄瑠璃寺

四国霊場第46番礼所
本尊は薬師如来
説法石や抱っこ大師佛となかなか面白い物があった♪
AM8:54
あまおとめ無人販売
浄瑠璃菜菜市のイチゴ無人販売所
一パック50円
ソッコー買いですw
AM8:57
八坂寺

四国霊場第47番礼所
極楽の道・地獄の道・万躰阿弥陀仏と観る所あるのが楽しい
また山門の天井絵が美しかった♪
本尊は阿弥陀如来
ネコも多く勝手に猫寺と命名w
AM9:14
いやさか不動尊

八坂神社横に祀られている不動明王
八坂寺大祭に行われる火渡り修行の会場となっている
AM9:30
荏原城跡

戦国時代の城跡
周囲に高さ5mほどの土塁を築いた方形の平地で東西130m・南北120mと四周に濠を巡らせ南側に土橋で城外と連絡を取っていた
土塁の上にあった建物は不明であるが四隅に櫓があったらしく特に西南の隅に石積みがあり櫓の存在が考えられる
矢竹が植えられているのはこの時代の城塁に共通する特色
築城年代は不明であるが1335年、忽那氏が会原城で戦ったという記録が忽那一族軍忠次第にあり、築城はそれ以前である事が判る
河野氏の家臣平岡氏の居城で平岡城ともいわれ1585年、平岡通倚の時に豊臣秀吉の四国征伐により落城
その後、1600年平岡善兵衛がこの城で河野氏再興を謀って失敗
城は廃墟となって今日に至っている
小さな城跡である
AM9:35
西林寺

四国霊場第48番礼所
本尊は十一面観世音菩薩
境内には正岡子規の句碑が建つ
特に特色の無い寺だな〜ってのが正直な感想
(´・ω・`)
AM9:49
杖ノ淵公園

干ばつに苦しむ村の為に錫杖で地面を突き清水の水脈を見付けたと伝説の湧水地
日本名水百選にも選ばれており豊富な水量を誇っている
この湧水が湧く遺跡は池に囲まれて観る者を癒してくれる
ホンマ水が綺麗♡
AM10:06
セルフていれぎ
エネオスグループ
レギュラーリッター148円!!
満タンです
此処が最安やね(*´ω`*)♪
AM10:25
浄土寺

四国霊場第49番礼所
御本尊は釈迦如来
此処もあまり特色のない寺だったのでパパッとお詣り
AM10:32
日尾八幡神社

浄土寺横にある旧社格は県社の神社
主祭神は品陀和気命・帯仲日子命・大帯姫命の三柱
気の素晴らしいパワースポットだった♪
AM10:50
繁多寺

四国霊場第50番礼所
本尊は薬師如来
こじんまりとした雰囲気がなんか神聖な感じだった
鐘楼の二十四孝天井絵が素晴らしかった

AM11:14
石手川緑地
緑地公園
此方に車を停めさせてもらい詣りに参る
AM11:19
石手寺

四国霊場第51番礼所
ヒョウと来た事ある二度目のアミューズメントテンプル
神聖と言うより怪しい寺だw
AM11:30
宝物館
石手寺境内にある施設
特別展インドオリッサ地方釈尊石仏の庭が開催
う〜ん怪しい寺だ(^ω^;
AM11:50
道後公園

14世紀前半、伊予国守護・河野氏によって築城され、東に追手門
周りに二重の堀を巡らせた平山城・湯築城跡
日本百名城の一つに数えられる城跡を整備した公園

AM11:59
武家屋敷2
公園の一画から発掘された礎石の配置からみた間取や資料を元に復元された武家屋敷
ちょっとした資料等が展示されている
PM0:03
武家屋敷1
此処も礎石や資料等を元に復元された武家屋敷
中は当時の様子を人形を置いて、ある日の武家屋敷と題して展示している
PM0:06
湯築城資料館
日本100名城のスタンプ設置箇所
ついでに無料上映よみがえる湯築城を視る
PM0:25
展望台
恐らく天守閣が聳え建っていた高台
特に何にもない
城の史跡すら見当たらないつまんない百名城の一つ…
公園として楽しむ
PM0:47
加藤嘉明公騎馬像
松山城初代城主が馬に乗った像
加藤公の事はよく知りません
PM0:49
松山城ロープウェイのりば
片道260円のリフト券購入
十四年振り位に訪れたが立派な乗り場になったなぁ〜
リフトはそのまんまの様だけど…
そう言えば十四年前、愛犬ドンも頂上にとロープウェイに乗せようとしたら「危険ですからリフトをご利用下さい」と言われた…
リフトに犬抱っこして乗る方が危険じゃね?
PM1:02
長者が平
リフト&ロープウェイ終点広場
売店等もある
PM1:05
石垣
この石垣は松山城を特徴づける構造物の一つ
中でも登り石垣は全国で最大規模を誇る
石材には花崗岩がしようされ隅部は殆ど算木積である
本丸を囲む高石垣は高さ10mを越え美しい曲線を描く扇勾配と屈折を連続させる事で防御性を高めた屏風折りが特徴
江戸時代に改修を受けた部分もあるが北側を中心に築城時の典型的な石垣がよく残されている
緩い勾配と上部のきつい反り一部自然石を使用した打込ハギの乱積が特徴
一方、本壇の石垣は北側と南側で異なっている
北側は打込ハギの布積で隙間に合わせて加工された間詰石が詰め込まれているのが特徴
南側は北側より新しく1848年〜54年の間に天守などが再建された際に新しく積み直され半分に手間をかけた切込ハギの布積で隙間のない整った外観となっている
うん実に美しい石垣だ♡
PM1:12
待合番所跡
東雲口から登城道と二之丸からの登城道の合流する地点に警備の為に設けられた施設
常時三人が詰めていたらしい
東は揚木戸門、西は大手門によって仕切られ大手の入口で最も堅固な筒井門に続く要点で兵力運用の重要拠点ともなっていた

PM1:14
戸無門
本丸の大手登城道に設けられた高麗門
両脇の寄掛柱を石垣に持たせ脇戸はない
江戸時代からこの名で呼ばれており鏡柱に扉を吊る肘壺の痕跡もないので創建当初から扉を持たなかったと考えられる
1624年〜48年の建立と推定
また1800年に建替えられた事を示す棟札が残されている
1935年に国宝に指定されたが法改正により重要文化財に降格される
PM1:15
隠門
正門である筒井門の奥の石垣の陰に隠された埋門形式の櫓門
門を通過して筒井門に迫る寄手の側面を急襲する策略が秘められている門
欄間は戸無門同様の格子欄間で二階は筒井門東続櫓と隠門続櫓とを結ぶ渡櫓なっている
1596年から1615年の築城時に建てられた門と考えられており当時の技法が残されている貴重な建造物で国宝に指定されるが此も又法改正により重要文化財に降格…
PM1:16
筒井門
この門と隠門は本丸大手の重要な固めで場内で最も堅固な建造物の一つ
脇戸付の櫓門で築城の際に正木城から移築されたと伝えられる松山城最古の建物の一つだった
明治時代になってから石落や窓等が改変され1935年国宝に指定
一度放火により焼失するが石垣の解体修理の際に復元された
PM1:17
隠門続櫓
隠門二階の渡櫓の東側に接続する平櫓で長者が平からの登城道を監視する目的で揚木戸門前の本丸石垣の上に建っていた
平面形は石垣に合わせて東側に突き出た変則的なものとなっており西側は隠門渡櫓に繋がっている
これも国宝から文化財に降格した建物
PM1:18
太鼓門
本丸大手の正門と位置付けられている脇戸付の櫓門
巽櫓や太鼓櫓と共に防衛線を構築しており第一の防衛線に続く第二の防衛線となっている
国宝に指定されたが1945年の戦災で焼失した為に1972年に門は欅、階上の栂で復元
門の石垣には戦災による剥離が残されている
PM1:19
太鼓櫓
本丸の西南隅に配置された矩折の二重櫓
巽櫓・太鼓門・西塀と同じ高さの石垣の上に築造
一連の防衛線となっている
国宝に指定されるが戦災により焼失
1973年に総て栂で復元された
PM1:20
井戸
築城時に谷だった場所を埋め立てるのにあわせて泉を掘り下げ、石を積み上げ造られた
深さ44.2m水深9mあり戦前までは釣瓶が備えられ冷水を汲み上げて飲む事が許されていた
すぐ横には巽櫓が建っている
PM1:21
馬具櫓
本丸広場の西側にある二重櫓
太鼓櫓と共に二之丸方面の監視・防衛を担っていた
国宝指定の後、焼失の復元と同じコースです
PM1:24
本丸
城の防衛上最後の砦になる郭
高石垣に囲まれ全国有数の規模を誇っている
高石垣は美しい曲線を描く扇勾配と屈折を連続させる事で防御性を高めている屏風折が特徴的
江戸時代にはその上に石落や狭間のある渡塀がめぐり、要所には櫓が配置
城下からは塀や櫓に囲まれた天守が望めた
本丸北側には松山城の中心である連立式天守の本壇が配置され本丸南側には大手門、北側には搦手門である乾門がある
乾門付近には乾櫓や野原櫓と言う城内で最古の櫓が残されている…
観るの忘れてた…orz
PM1:26
紫竹門東塀
乾門方面から攻撃き備えたもの
1784年、雷火の為に天守閣と共に焼失
嘉永期の再建と見られる
PM1:27
一ノ門
脇戸付の高麗門で本壇の入口になる
二ノ門南櫓・三ノ門南櫓・小天守閣から射撃される構えとなっている
PM1:28
二ノ門
本壇における第二の門で薬医門の形式を持つ
天守閣三ノ門東塀から射撃される構えとなっている
PM1:29
本壇
天守を中心とする城郭建造物群の中枢
本壇入口から天守広場までは四つの門が設けられ、それぞれに塀と櫓を伴っている
一ノ門から二ノ門までの石垣や櫓で囲まれた空間には30を越える狭間が備われ最終防御施設として厳重な構えとなっている
西では天守・小天守・北隅櫓・南隅櫓が天守広場を取り囲み、それを十間廊下等の渡櫓で連結
姫路城と同じ連立式の建築形式である
外周の石垣は巧みに屈曲を繰り返し出隅に櫓が配され東面と西面の石垣は城壁の中央を内側に折り曲げ防御性の高い合横矢と呼ばれる石組になっている
又此処では石垣の改修を確認でき北は打込ハギ・南半球切込ハギで年代の異なる特徴を示している
PM1:30
三ノ門
本壇における第三の門で高麗門の形式を持つ
三ノ門南櫓・天守閣から射撃される構えとなっている
PM1:31
筋鉄門
脇戸付の櫓門で門の柱に鉄板が張ってあるのでこの名が付いた
櫓は天守閣と小天守閣の通路となり三ノ門を防衛する構えとなっている
PM1:32
天守広場
小天守・多聞櫓・南隅櫓・十間廊下・北隅櫓・玄関多聞櫓・内門に囲まれた広場
天守閣への入口がある
PM1:33
天守閣
三重三階地下一階の層塔型天守
黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築
また現存12天守の中で唯一築城主として瓦には葵の御紋が付されている
大天守・小天守・隅櫓を渡櫓で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は我が国の代表的な連立式天守を備えた城郭といわれている
大天守の標高は約161mあり現存12天守の平山城の中では最も高い城郭である
同じ平山城である姫路城の約三倍の高さになる
そんな天守閣に入り、内部を見学する
PM1:35
北隅櫓
本壇の西北隅に位置し乾門・野原櫓及び北郭方面を防衛する二重櫓
松山城の歴史の展示がなされており001城をかまえるから002城下町の建設・003政庁の充実・004五重から三重へを読める
また加藤嘉明の甲冑等も展示
PM1:37
十間廊下
北隅櫓と南隅櫓を結びその桁行が十間であるのでこの名が付いた
乾門正面を防衛する重要な位置にある
此処では高橋貞次なる刀鍛冶師による刀や槍
そして甲冑などを展示
005花開く文化が読めて
松平定国の五言絶句が展示されている
PM1:39
南隅櫓
本壇の西南隅に位置し乾門方面を防衛すると共に二之丸・三之丸を監視する二層櫓である
006天守消失・007藩政の改革・008天守再建が読める他、薙刀や書・能管・茶器等の展示が観れる
PM1:41
多聞櫓
伊予四季図屏風・松山藩絵師拝領硯箱・長持・松平勝茂貞昭の書等の展示
009赤心報国
PM1:43
小天守
010美をささえる技術・011木を組む
石落・狭間
二階もあり市内を一望
PM1:45
天守閣一階
甲冑体験コーナー
浦屋薫氏寄贈の脇差しや小刀・刀箪笥・甲冑等展示
012甲冑の文化を展示
甲冑着たかったけど前のグループがモタモタしてたから諦めた…
PM1:47
天守閣二階
大広間
松山城小天守復興の様子を上映
上映時間が三十分だったのでスルー
PM1:50
天守閣三階
最上階
展望台
特に見る所がないので早々に下りる
PM1:55
内門
天守閣の西側に位置し仕切門との間は桝形となっている
上の櫓は天守閣と玄関多聞の通路である
天守閣及び玄関多聞の戦力によって防衛される
PM1:56
仕切門
脇戸附高麗門であって天守閣の北側に位置し内門との間が桝形となっている
天守閣・玄関多聞によって防衛される仕組みになっている門
PM1:57
天神櫓
本壇東北隅に位置し艮櫓・艮門及び小筒櫓を防衛する
又この櫓には松平家の先祖である菅原道真の像を安置し城の安全を祈っている為この名称が付いている
PM2:00
紫竹門
本丸の大手と搦手を仕切る脇戸付高麗門で本壇北側にある中仕切門と合わせ搦手を固める重要な門
両側にはそれぞれ東塀と西塀が接続し搦手に備える為、北を正面としている
門の前面、小天守下に紫竹が植えられていた事からこの名が付いた
又扉の上下は堅格子となっており其処から外を覗き見る工夫がなされている
因みにこの門を過ぎて左折すると搦手の入口である乾門に達する
PM2:15
槻門跡
本丸大手への登城道と二之丸搦手への道の分岐点に位置する重要な門で城内最大の櫓門
西を正面とし北を山裾の西大砲台石垣に托し南は渡塀が続いていた
古文書等には門の上部に二重の櫓をのせ、南側は二階に北側は三階の高さに平櫓が続いてた全国的にも珍しいものだったらしいが明治時代に取り壊される
さて頂上の史跡はこれておしまい
坂を下り二之丸を目指す
PM2:18
黒門口登城道跡
三之丸から二之丸・本丸へと続く大手登城道
三之丸からの入口となる黒門周辺は特に堅固な構えでわずか100mの間に黒門・栂門・槻門の三つのモントリオール五度の屈曲が連続し門には番所が設けられていた
因みに黒門と栂門の間には腰掛も設けられていた
1884年三之丸の兵営化に伴い、この登城道は閉鎖されたが1969年に改修され再び利用出来る様になる
途中にある中門跡には往時の石畳がそのまま残されている
PM2:20
二之丸史跡庭園
本丸を防衛する為の施設で南と西側には内堀があり、高い石垣と強固な櫓や門
それらを繋ぐ塀によって囲まれていた
二之丸邸は蒲生忠知の時代に完成し1872年の火災により焼失
この二之丸庭園は表御殿跡と奥御殿跡とに大別されており表御殿は北半分にある柑橘・草花園、奥御殿は西南部にある流水園でそれぞれ昔の間取りを表現している
滝等もあり二之丸の跡には感じられない庭園と整備されている
因みに何故か恋人の聖地らしい…
さて松山城巡りもこれでおしまい
また長者が平に登るのはキツいのでそのまま下界に出ます
PM2:35
みかん横丁
色んなみかんが売られている
試食バイキングなのだw
基本、箱買いみたいだから皆送り状を書いてはる
また蛇口からみかんジュースが100円で楽しめる
でもポンジュースでしょ
PM2:40
東雲神社
ツバキカンザクラが綺麗に咲いて良い香りを辺りに漂っている♪
ついでに神社を参拝しようと思ったらかなり階段を昇らなきゃならないようだ…
そう言えば長者が平に本殿があった気がする
また昇るのはキツいから今回はパスしよう
PM3:11
道後温泉

日本三古湯の一つに数えられる温泉地
夏目漱石の坊っちゃんの舞台になった事でも有名な愛媛屈指の観光スポット
とりあえずハイカラ通りを散策
そして道後温泉本館をデシカメに収めて先に進む
PM4:11
太山寺

四国霊場第52番礼所
豊後の長者が一夜で本堂を建てたという伝説が残る寺院
此処はなんかゾゾゾ〜と来たね〜
見応え、撮り応えのある寺でした
PM4:30
圓明寺

四国霊場第53番礼所にして本日最後の参拝霊場
四国霊場最古の納札が保存されている寺
俺が面白いと思ったのはキリシタン灯篭
灯篭には聖母マリアが刻まれており見ようによっては灯篭が十字架に見える♪
PM5:17
マコト温泉

潮の香りの天然温泉シーパMAKOTO
内湯は大浴槽だけのNa塩化物強塩冷鉱泉の源泉温度22.5℃
phは7.4もある悪くない湯だ

もちろん循環ろ過湯ではあるが、あまり気にならなかった
露天風呂はオーシャンビューで天気が良ければ伊予灘を見渡しながら入浴が楽しめる

とにかくマッタリ浸かり疲れた身体を癒した
PM6:50
マルナカ北条店
スーパー
晩飯を調達
松山らーめんなる銀鍋ラーメンを購入する
PM7:06
道の駅風早の郷風和里
国道196号線沿いにある割かし広い道の駅
施設は既に閉まっていたのですぐに車内に閉じ籠り松山らーめんを煮出す
うん、旨い♪
後はテレビ視ながらマッタリと過ごす
そんな雨の伊予の夜
そんな26847歩歩いた一日
あっ…素麺喰うの忘れてた(≧ω≦)

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