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Kathmandu ネパールのラジさんファミリー

こんばんは。もう毎日更新が始まっていました。

今回からは、ヨーロッパの旅の延長で、ネパールそしてインドへと旅した青年の足跡を追っていきます。

トルコの首都アンカラから飛行機に乗って、ネパールのカトマンドゥへとやってきてました。どのあたりでしょうね。地図を見てみましょう。

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ネパールは中国とインドに挟まれてるんですね。

山登りが好きな方はご存知のヒマラヤ山脈を望むことが出来るようです。

今回もたくさん地元の人達にお世話になった旅でした。

ネパール。趣深い土地でした。

South Asian countries編
Nepal ネパール

Kathmandu ネパールのラジさんファミリー

来たー! 中東のどこかの国で乗り継いで、朝方僕はカトマンドゥに辿り着いた。小さい空港だったから、滑走路の脇から降りて歩いて空港内まで向かったんだけど、振り返ってみたら、僕等が乗ってきた飛行機は随分小さく見えた。

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初めての国ネパール。期待に胸を膨らませて僕は空港を歩く。またあの東南アジアの時みたいなゆるさがあるんだろうか。

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空港でアライバルビザを手に入れた僕は二週間の滞在が可能になった。

昨日までのトルコでの滞在がすでに遠くに感じる。

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パスポートコントロールを越える。まだ朝だし、迷っても大丈夫だろう。

空港からすぐにタクシーやバスに乗らずに少し歩いてローカルバスに乗って中心地迄行くことにした。空港でお金も少し両替したし、何とかなる。

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ネパールにこれから旅に行く、と「カウチサーフィン」でメッセージを投げたら10件以上の熱い奴等から、「俺んちに泊まりに来ないか」と連絡を受けた。けっこーな数の反響に最初は少し戸惑った。ヨーロッパとかじゃあそんなに反応は良くなかったのに、どうしたネパール、この国も親日国なのかもしれない。

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僕はラジさんの家に行くことにした。この人は家族もあって、トレッキングの会社の社長なので信頼できそうだ。しかも家もカトマンドゥの中心タミル地区から歩いて行ける距離だ。インドの大使館に行く用事があったから、場所は大事だった。

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空港の外に出ると、犬はここでもお腹を出して寝ている。この半端ないゆるさ、大丈夫そうだ。近くにいた若者たちになんとなくスマホの地図を見せて「このバスここ行くか?」みたいなことを聞いていた。

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タミル地区方面に行くって言う若者を見つけて、一緒にローカルバスに乗り込んでみる。

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そいつが降りる場所も教えてくれたので、僕は無事にタミル地区周辺でバスを降りた。

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街はがやがやと人が行き来している。

トレッキングをするであろう人達を街中で何人もみた。ここで整えてヒマラヤ付近の町へ移動し、山に登っていくんだろう。

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ラジとの待ち合わせまで街を散歩する。人々の活気の良さで東南アジアの国みたいに路上に人が溢れている。舗装されていない道にホコリがまう。もちろん道の脇に鶏がいる。

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待ち合わせ場所のゲームセンターでラジを待っていると、本当に典型的なネパール人って感じのラジが登場した。日本の文化に興味があるみたいで、僕のことを彼の家に招待してくれた。

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歩いて20分くらいの所にある家へ一緒に向かう。途中には静かな住宅地が広がる。ここにも地元の人達の生活がある。小さな店が並び、軒先には洗濯物が干されている。

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ラジの家には、嫁さんと二人の娘さんがいて、今は使っていないという大きなベッドのある部屋に通された。ネパールの人の家に「ホームステイ」出来るなんて、滅多にできる経験じゃないからそわそわしていた。幸い、日本の文化に興味がある家族だったので、僕等は日本の事を話していたんだ。

ラジと一緒にまた街へ出た。

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カトマンドゥの街には語学学校の看板が多く目立つ。どうやら日本語を習っている人達も多いみたいだ。生活レベルも日本とは偉く違うのが見て取れる。日本で働くことが出来たならここではもうだいぶお金持ちになる。

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大きな交差点には信号がなくて、電線はここでもめちゃくちゃに絡まっている。こういう所に国民性が出る。

僕達はずっと舗装されてない道を歩いている。道の脇はゴミだらけだし、臭いもいいもんじゃない。混乱の中、街が形成されているって感じがする。

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タミル地区というバックパッカーがよく集まる観光地がある。そこの一部の道路は工事中で道の端っこしか歩くことが出来なかった。道の脇にはたくさんのツアー会社のオフィスがあって、安宿らしきものもあった。

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工事現場もむき出しで、近寄ったら誰かケガしちゃいそうなくらい物が雑に管理されている。

ホームレスなのか、物売りなのか、街に溢れて日の目にさらされている。そうかと思えば、ノーヘルニケツのバイクが僕のすぐ横をすり抜けていく。とてもスリリングな街だ。

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どこかから蹴られてきた石ころが道の脇に転がっている。大きな木に布が巻かれて守られて、小さな祠とされているようだ。自分の体よりでかい荷物を背負ったおじさん達が行きかう通りを巡って初日は過ぎていった。

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次の日、僕はラジの経営する旅行会社のオフィスへ遊びに行った。最近事務所をカトマンドゥのタミル地区の中心に移動したらしくて、快適な場所だった。そこで午前中を過ごし、午後はタミル地区にあるガーデン・オブ・ドリームスの前で案内してくれるって言うネパールの子と待ち合わせをしていた。

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ネパールの地元の子ってのもいい人で、名前はアン。ここは入場料を払って見るタイプの庭で、街の喧騒を離れることが出来て静かだった。

その後、庭の本当に近くのカフェ、ファイアーアンドアイスピザでコーヒー飲みながらネパール旅行の楽しみ方をアンから聞いていた。

少しだけ一緒に街を巡ってのんびりと過ごした。

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アンが帰った後は、風が通り抜けるカフェの外の席でこれを書き進めていた。まだこの時は「日本編」だったと思う。この時の事も日本編に少し書いているから読んでみて、この物語は繋がっているから。

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夕暮れと共にラジの家に帰る。道路はいつものように渋滞している。フルフェイスを被ったバイク乗り達、どうみても暑そうだ。
ラジの家の裏、少し離れたところを濁ったドブの様な川が流れている。見るに堪えないくらい汚くて、ゴミが散乱している。そこを通って、ラジのいとこの子達とモンキーテンプルへ散歩に出かけたのは、もう少し先の話だ。

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月曜日、今日はインド大使館へビザの申請に行く日だ。何か仕事をしているような気分になって嬉しい。僕は海外に出て働きたかった。何かしてないといい加減心配だ。日本に帰ってから働けるかなんて一向にわからないままだ。道に雑に捨てられている廃材をよけながら大使館へ向かった。

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何時間くらい待っただろう。順番待ちでたぶん2時間くらい。何とか申請は出来て、また数日後ビザを取りに戻って来る。
それまで時間があるので僕はポカラという街に旅行に行くことにした。

出発するまではまたこのタミル地区を散策する。

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インドからネパールへ来た人に言わせると、「ネパールは天国だ」と言う。インドがよっぽどひどいんだろうな。なんか行くのが怖くなるよ。もう全部カオスなんだろうなきっと。

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タミル地区でいろんな人達の行動を観察して歩く。重そうな荷物をたくさん持って忙しそうに働いている人もいたけど、やっぱり多くのおじさん達は誰も暇そうにしている。たまに欧米人の旅行者も地元の人に混ざって通りを歩いていた。話しかけて一緒に観光しようかなとも思ったけど、なんかなぁ。それもいいや、一人で十分楽しかった。

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どこまでが誰の土地なのか混沌としていてつかめにくい街だ。

道路の脇の祠の様な所におっさんが腰かけていて、仕事なくて暇なんだろなって思いながら見ていた。まっ、俺も似たようなもんか。

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ネパールの若いメンズが肩を組みながら歩くのをよく見た。そんな奴らだらけだ。とても古く歴史のありそうな寺院群の辺りを彷徨っていた。おばさんも暇そうに道の脇に座っている。この全体的にやる気のない感じが好きだ。

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人は相変わらず路地に溢れている。どうやって敷地を分けたり区切ったりしているんだろうってくらい建物が密集している。暑かったから日陰で休んでいる人達がいる。

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鳩だらけの寺みたいのもあって、ここも有名な観光地らしいんだけど日本語訳がわからず名前を伝えられない。

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おばあさんが道に座って、一体誰が買うのかわからないスパイスを売っている。誰でもすぐに道の脇で商売を始められるんだろうかこの街は。

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人々の流れに任せて歩いていたら、僕はいつの間にかダバール広場まで来ていた。ここはいつかの地震で大きな被害を受けた様で、寺院の屋根が倒れないように木で支えられていた。危険エリアってわかっていても建物のすぐ脇に人が普通に座っている。

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不思議な街、ネパールのタミル地区。考えられないくらい電線が絡まっている。偉いもんで長い歴史を感じる事は出来るけど、本当にわかるには僕にはもっと歳月が必要だ。

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カトマンドゥ滞在中3、4日間ポカラへリラックスしに旅立った。
ここではポカラの事を書こうと思う。

編集後記

そういえば、カトマンドゥの人が少なかったゆるカフェやラジの家でこれを少し書いていたなぁ。

長いんだこの日記は、もっと要領よくなりたいよ。

ちょうど日本を旅していた時期の事を、カトマンドゥで思い出しながら書いていたのです。

当時は、改行なんてあったもんじゃなくて、頭の中にあった思い出を掻き集めてずらーっと思いつくまんまに書いてました。

日本編だけでも確か2万文字くらい編集でカットしたんです。

この物語は、繋がりまくってます。

今になってようやく、くるくるぱーっと放ててます。

願わくばもう、あとは自動的に回転していて欲しい。

俺は他にやらねばならぬことがたくさんある。って言いたい。

実力不足で歯がゆい思いを首の皮一枚で繋いで、今日も生きます。

一緒に頑張りましょう。

もっと景気のいい話をしてくれ。

次回にします!! もうあがろう。毎回、読んでもらえてありがたい。

短いのが良いよね。もっとたくさん他の方のnoteもみたいもんね。

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明日はネパールのリゾート、ポカラでの話をシェアします。

スキです。またね。

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