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vs.常識 22.2.11

昨日のnoteで、『孫』の歌詞をもじって引用したが、

後になって
(これって、うち的に適切だったかな……)
と、少し気になった。

1994年に制作され大ヒットした『孫』だが、あらためて説明すると、祖父の立場から孫の可愛さを延々と語る――ただそれだけの演歌である。

歌詞を読む限りでは自分の子供に対しては、あまり親らしいことをしてこなかった年配の男が、子供にではなく孫に愛情を注いでいるようにも読み取れる。
ヒットにつながったのは、歌唱力はもちろんのこと、その歌詞に共感した人が多かったものと思われる。
ただ
「孫がいる人たち」に限られるが。

ご存知の通り世の中には、孫どころか子供もいない人たちも多く存在する。
その人々にとっては、この曲の歌詞を自分事として理解するのは難しい。
僕自身も久しぶりに某チューブでこの曲を聴いて、「あーそうなのね」という感想しか浮かばなかった。
いや、正直なところ、冒頭の「じーちゃんっ、ばーちゃんっ」という、歌手の本物の孫の声に、まるで他人の家庭のアルバムを見せられているようで少しイラッとした。
自分の孫を可愛がるのは一向に構わないが、「それが世の共通の幸せ」とばかりに歌い上げるのは少し首をかしげるところ。
数年前健康診断に行った時、僕が独身と知った年配の男性医師から、「誰でもいいから相手を見つけて早く結婚しろ」と説教されたが、その時に内心抱いたモヤモヤによく似ている。

ただ、僕はいちいち反論せず、黙って医師のお説を聞いて(聞き流して)いた。
ここでどうのこうの言っても理解してもらえないだろうし、通りすがりの御仁にわざわざカミングアウトする必要もない。

20代から30代にかけて、結婚相談所・結婚式場からひっきりなしに電話やダイレクトメールが届いて、40代やっとそれがなくなったと思ったら、50代に入って介護保険のパンフレットがぽつぽつと送られてくる。

世の中の「常識」なるものは、なかなかにやっかいで、ややこしく、面倒である。



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