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[新人口論]人類の数え方:"人類"には人間以外も含まれるかもって話

人を見た目で判断してはいけないという。ならばその”数”はどうだろうか。

<狭義の人口>

日本では現在、人口減少が起きている。ここでいう人口が狭い意味での”人口”。単純に人の頭数を表す量のこと

<広義の人口:人類口という考え方>

人類口:これは人類が発展した量であると同時に疎外される量でもある。

ここで、適温環境下における原始状態の人間が1年間で消費するエネルギーを”1(E/P)(Energy/Person)”とする。言い換えれば、ある人物単体を1年間生かすのに必要な熱量の平均が1E/Pである。大体の人間は体格の違いから0.2~3E/Pに収まると考えてよい。動物に例えるなら子犬~シマウマ程度であろうか。そこにインフラ設備や高い文化性を加味すると、場合によっては1人口あたりの人類口が100,200を超えることも全くない話ではない。

【定義】
人類口(P)=(全ての人為的なエネルギー消費E)/(1E/P)
【人為的なエネルギー消費の分類】
1)我々の身体的健康を維持するのに必要な食事
2)
我々の"文化的な生活"に不可欠なモノ{住居、衣類、電子機器、嗜好品など}の製造、運搬、開発にかかるエネルギー
3)
我々の文化を形作るモノ{教育、文学、科学、制度、法令、政治}などの活動、研究、開発、普及にかかるエネルギー

”人類”は現在、地球を常時照らす太陽光に加えて、地球を耕して掘り起こされた約1~3億年前に植物体に固定された太陽エネルギーを貪り食って生きている。そしてかつては「家畜」を家族として愛していたように、「機械や制度」を生活の糧として頼り、愛し、給仕している。

わかりやすく言い換えると、人が人であるために情報論理武装、電子機器武装は避けられず、我々はすでに大きな外部回路に繋がれた一部であり、文明化が進むほど相対的自己領域は縮小していく。しかし絶対的自己領域の大きさは永遠に一または全である。


<人類口を理解するとわかること>

以下の社会問題が必然的で合理的な現象であることがわかる。

1)少子高齢化と人口減少:労働の大部分が機械化するのなら、環境負荷を考えると人口は少ないに越したことはない。

2)人口減少による経済規模の縮小:人類口の考え方に基づいて、機械に”人権”や”尊厳”を与えれば、ただちに解消される。
機械(環境)に金を払えるならば、ではあるが、不可能だというのなら不当労働行為も甚だしい。

3)第一次産業従事者の減少:ハイテク化、機械化、大規模管理のための施設管理が進んでいる中で、就業人口で考えること自体に不足がある。

4)聖人君子の減少、愚衆化:データ化による数値管理、立憲制による法令管理により、聖人君子の社会的な必要性は減少する。自由を尊重する現代ではこれは僥倖。人格の効果は家族や友人の狭い範囲に留まるため、仮にいたとしても知れ渡ることは少ない。


<総論・注意点>

貧しい国や時代において先人たちは、どうすれば快い「口減らし」ができるかに頭を悩ませたという。”人類の機械化”が進んだ現代においても、そのなごりともいえる「環境問題」がよく取り上げられる。

いくら技術が発展したとしても生物としての”環境容量””環境収容力”には限界があり、それを見誤らないためにも過剰ともいえる対策が必要なのだろう。その意味で、人類は今も昔も根本的には何も変わっていないのだと、どこか安心させられる。


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