9月上旬に触れた本たち。
秋めいてくると、図書館に行くのも楽しくなってきますね。
今日は八重洲ブックセンター閉店のニュースにドキッとしてしまいましたが、開発による移転とのことでホッとしました。
わたしは電子書籍と、本との併読派です。
ただ、どちらかと言えば本で読む方が目が疲れなくてすむのと、脳内に内容が入ってきやすいので8割は本で読んでいます。
そして漫画は見開きの迫力は、紙ならではの手法なんだな。。。と思っています。
なので、紙の本がなくなるのは、おやつをとりあげられるくらい生きる希望を奪われるのと同意義かと思っています。
ではでは、最近読んだ本や触れている本たちはこちらです😊
森家の次女、杏奴の父鴎外の回想。
森家の間取りをこと細やかに書き記しており、資料的にも貴重だと思う。
茉莉の文学的な回想録も、ドキュメンタリーのようなまざまざと父との思い出の光景が浮かぶ杏奴の文章もどちらも好き。
杏奴は父の臨終の時は、いよいよここ数日以内に。。。という時に母親のはからいで、別の家に泊まっており、女学校でその死を知った。
本著は鴎外の最後の一年を、子供からの目線で綴っている。
どんどん弱っている身体をおして、子供たちとの時間を大切にし、彼らの我儘ともとれる要望を最後まできいていた鴎外。
子供全員が父親に対して深い愛情と尊敬、思慕を持っていることから、家庭人としての鴎外はすこぶる優しく愛情に溢れた賢人だった。
しかし、「公」の顔での鴎外は、かなり激しく尖っていた。
上野の博物館内でその顔を杏奴にうっかり見られてしまい、なんともいえない恥じらいの表情を浮かべた人間くさい鴎外のシーンが本著で登場するのだが、この場面は強烈にわたしの脳内に刻まれてしまった。
鴎外に愛された森家の長女にして「わたしはパッパとの思い出といっしょに一生生きていく」と言い放った永遠の少女、茉莉のエッセイ。久しぶりに再読。
鴎外は嫌味なくらいドイツかぶれだった。当時は西欧マンセーの時代だったし、たしかに風貌性質もドイツ人によく似ている。
茉莉が、お嫁に行くまでの1年間、鴎外は少しづつ茉莉から距離をとり、子離れをしてゆく。それが茉莉ははがゆかった。よそよそしい父を恨んだ。
そんな中、鴎外から手紙がとどく。そこには博物館の裏で摘んだ白い菫の押し花がそえられていた。。。
このロマンシチズムにじわっときてしまった。
父からの手紙は空襲で焼かれてしまい、茉莉も自分の不注意を悔やんでならない、と記している。
戦争はこういう家族の秘めた思い出も非情にも消し去ってしまうのだなと思った。
鴎外は二度従軍しているが、茉莉のエッセイを読んでいると、この二人には戦争は似合わない。
森茉莉の日常をしれるこの本もファン一読の価値あり。
⬇️
今読んでいる本です。
⬇️こちらは作者がゴッホを追ったエッセイ。一緒に図書館から借りました。
Kindleunlimitedにて。
むしゃくしゃしている時に夜中によみ、大爆笑‼️
そう。。。そう‼️40代になると、いくら洗っても顔が茶色になるわ、パンツの面積は広くなるわ、染めてもすぐに山姥白髪になるわ、冬に素足は自殺行為だわ、歯間は広くなって楊枝使いたくなるわ、そうそうそう‼️と膝頭を打ってしまった🤣
作者同様、わたしも老害の芸能人が幅をきかせているテレビのバラエティはプレイバック昭和かよ、と突っ込みつつ、まず見なくなっている。主人は毎週日曜日に○ンデーモーニングをつけるが、すぐにチャンネルを代えて反発する。
ふんぞりかえった芸能人や政治家に大金が入っているだけでもムカつく思いである。社会の構成員は大多数が一般人なのに、一月15万で頑張っている人がそれはたくさんいるのに対し、奴らは一回の飲食代で15万を飛ばしてゆくような生活である。政治家の場合、それは国民の血税である。
国民が血気して革命とか日本で起こったら面白いだろうな。。。金持ちは亡命するかな。。。と不穏なことを思ったりもするのだが、そんな自分の日本の社会ってクソやねん、という気持ちを呼び起こしてくれた本だった。
年をとっていいことは、本心に近いところまで従って過ごせれることだと思う。
作者がうっかりサブちゃんのコンサートに行ってしまったとき、周囲はさながらデンデラ状態で、「与作」や「まつり」をきいて感涙しこのために生きているといっていいくらいフィーバーしている大先輩方の勇姿に一種の感動を覚えてサブちゃんの長生きを願ったくだりが一番ウケた🤣
山田五郎のYouTube「大人の教養講座」のファンである。
破壊的なセンス(ヘタウマ)を突っ走り続けるルソー。。。
ルソーのやたらと小さい犬とか、浮いた人間が見えるかな、と思って開いたら、やっぱり掲載されており「五郎さん、わかってらっしゃる。。。」と惚れてしまった。
画家やクリエイターがみんなルソーみたいな「オレって天才じゃん」みたいな天然性を持っていたら、どんなに平和だろう。
笑えるへんな絵がたくさん出てくるので、落ち込んでいる時にオススメ。
ただ、本著に収められているエゴン・シーレの「座る少女」はへんではなくて、とてもうまいと思った‼️
うまいよ、この方。完成度高すぎ。震
なぜに埋もれていたのか。画壇から一線を引いていたからだろうか。
植物も文句なしにうまいが、特に「鳥」全般がめちゃくちゃうまい。
鳥に関しては北斎を超えている。
このうまさは天性のものかと思う。鏑木清方も省亭のファンだった。
遊びも粋で妾がいて、別宅へも会社勤めのように勤勉に通うって。。。羨ましい限り。。。(そこかい)
江戸っ子の風流人が堅苦しい画壇を嫌うのは自然の流れかと思う。
遊んで飲んで風呂に入ってピチピチの好きな絵を描いていたら、そりゃあ、殺伐とした大義名分を掲げる明治の画壇なんてつまらなく感じるだろうなあ。
この絵師は、もっと有名になってほしい。
自由な生き方をした歴史に埋もれた絵師はたくさんいるのだと思うともどかしく感じる。
両方読みましたが、巴水の画集なら下の方をオススメします。
浅草の昔からある紙屋さんでも巴水の絵葉書が売られていた。
どの絵葉書よりも、一番美しかった。
ピッタリと見事に対象物がおさまった、見るものが最も心地よく安心感を覚える空間の捉え方。摺師による何十行程もの高度な色の重ね。
その結晶が浮世絵。
わたしは江戸時代の浮世絵より、明治大正の浮世絵が好きだ。
江戸の残り香を漂わせつつも、ガス灯や鳶姿の紳士、洋傘と和装の奥様、学生服の後ろ姿が小さくみえると、何処か安堵してしまう。
「馬込の月」や「芝増上寺」は代表作だけれど、同じくらい「旅みやげ」や「ながれのくるわ」「大森海岸」や「大宮見沼川の蛍」も見惚れる。
カッコつけて巴水ブルーとか言いたい。
「蒲生之月」の闇色のインクがあればいいなあ。本当に綺麗。
資料で明治期はどれだけ夜暗かったかを検索していたら、小林清親の版画が紹介されていた。
「新橋ステイション」や「日本橋夜」は光線画家として清親を有名たらしめた。
しかし。。。
別冊太陽をみると。。。
他の光線画や浮世絵を見ると。。。
あくまで一個人の感想だが、そこまでうまい画家とはわたしは思わないのだった。ごめん清親。清親推しの方。
この絵師は新しい浮世絵より、ポンチ絵や水彩画の方がよっぽど味があっていいものを描くと思う。何度もごめん、清親。
しかし仕事量が多い。
きっとめっちゃ情熱家で周囲も彼のバイタリティと熱量に打たれて感化されたのではあるまいか。
清親が生きた時代は、浮世絵文化が急速に衰退してゆく時期であった。
西洋の印刷技術が導入され、高度な技術を持つ版画師、摺師が一気にいなくなったらしい。
斜陽産業の中で生涯奮闘し続けた清親の絵師魂はドラマチックで震えるものがある。
一葉を愛する著者によって書かれた良書。
この一冊で一葉の生き様や、軌跡を網羅できる。
一葉の生涯と彼女が暮らした明治東京の四季のうつろいや歳時記を愛ある文章で綴っている。
各項目もわかりやすくまとまっており、読みやすい。それでいて胸を打つ。
買ってよかったと思えた一冊。
(Amazonでは現在古本扱いで値段が3倍につり上がっているので図書館で借りることをオススメします。)
春に購入して以来未読だったものをちょこちょこと開いている。
野原、街中、山、川辺エリア別に東京の在来種の草花を紹介。
近代のマンガを描く上でも役立つと思う。
昔の文学を読むと、とにかくみなさん、草木花好きなんですね‼️と突っ込みたいくらい庭に花や樹木を植えている。(小説の舞台が一軒家の場合、高い確率で庭の描写がある)
本著は茎や葉、花の特徴を写真とともに説明されているのに加えて、江戸以前のその草花にまつわる言い伝えも添えられた充実した一冊。
自分のような自然に無知な人間が東京下町散歩をしているとき、この雑草なんていうん❓というシーンが多いのでリュックに忍ばせたい。
174ページでそこまで重くない紙を使用しているところもありがたい。
以上です。
長文駄文失礼しました😊💦
本って本当にいいものですね‼️