すき

主に映画について語る人。芸術全般を愛しています。

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記事一覧

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映画「トワイライト」シリーズのクソ漫画です。

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3年前
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芸術と法はどうあるべきか、一考察

表現の自由における自己防衛   はじめに 「芸術家の世界観(個性)を守る仕組み」を私は次のように考案した。 「国立や県立、市立美術館など人目に触れる機会が極端に多い場…

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3年前
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歌舞伎《女殺油地獄》における、十五代目片岡仁左衛門のガラとニン

1.このテーマを選択した理由と仮説・目標  このテーマに興味を持ったきっかけは十五代片岡仁左衛門演じる『女殺油地獄』を観賞したことだ。歌舞伎の演目において、どん…

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3年前
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誰が為の「休日」

 これはアン王女が大人の女性へと変化していく成長の物語である。  物語の序盤に国際交流のためアンが各国の貴族と握手を交わす。取り澄ました顔で一見落ち着いているよ…

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3年前
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音楽理論を、まとめる

 音楽という言葉、musicは「ギリシア神話の太陽神アポロンに仕える女神ムーサが支配している芸能や技術」といった意味が元となっている。つまり「ムーサ(Mousa)」がギリシ…

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3年前
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宝塚『モン・パリ』成功の社会的背景

1927年(昭和2年)の9月、宝塚で日本初のレビュー『モン・パリ』が上演された。演出家であり、オペラ歌手の岸田辰彌がパリを視察し、そこで得た感動や衝撃をモチベーション…

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3年前
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画家それぞれによる《ヴィーナスの誕生》

1.基本情報 今回のnoteでは繊細な耽美さを湛えた、サンドロ・ボッティチェリによる『ヴィーナスの誕生』を取り扱うことにした。制作年は1485年頃、フィレンツェ・ウフィ…

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3年前
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ドルチの悲しみと青 ~《悲しみの聖母》《悔い改めたマグダラのマリア》《シエナの聖カタリナ》~

1.揉み手をする女 闇に一人の女性が浮かび上がっている。縦長の楕円の中心で手を揉むようにして祈っている女性は目を伏せていて、一目で感情を悟ることは難しい。若干ビロ…

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3年前
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ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』にみられる司祭の罪

1.『田舎司祭の日記』について 『田舎司祭の日記』は1951年にフランスが制作国として撮られ、ジャンルとしてはドラマ映画となります。ヴェネツィア国際映画祭でのグラン…

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3年前
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ヒッチコックの作家性と彼が目指していたもの

 数週間前の私は「主に20世紀前半に活躍した映画作家を取り上げよ」との課題に尻込みしていた。20世紀後半から現在にかけての映画作品に親しんでいる自分にとって20世紀前…

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3年前
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アリ・アスター監督『ミッドサマー』とシェイクスピア

 「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」チャーリー・チャップリンが遺した言葉である。はじめ聞いた時は理解ができなかったし、しようとも思わなかった。…

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3年前
4

フェルメール作品の【女】三作における絵画的見方

 フェルメールの《水差しを持つ女》と《真珠の首飾りの女》、《天秤を持つ女》。この三作品にそれぞれ意味を持たされているか、を私なりに考えてみました。答えとしては「…

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3年前
1

パブリックアートとしての岡本太郎『明日の神話』

 禍々しい。圧倒されてしまう迫力と大きさをこの画面から感じる。岡本太郎『明日の神話』だ。同作品は1968年からたった1年間で完成しアクリル系の塗料から描かれる。 縦…

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3年前
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芸術と法はどうあるべきか、一考察

芸術と法はどうあるべきか、一考察

表現の自由における自己防衛
 
はじめに
「芸術家の世界観(個性)を守る仕組み」を私は次のように考案した。
「国立や県立、市立美術館など人目に触れる機会が極端に多い場所で展覧会を開く場合は、鑑賞者のクレーム内容や件数によっては展示会を中止しなくてはならない。賛否両論が分かれるグレーゾーンならその度にゾーニングやレーティングにかける。そしてそのような意見を受け付けず、アナーキーな作品も展示可能なパブ

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歌舞伎《女殺油地獄》における、十五代目片岡仁左衛門のガラとニン

歌舞伎《女殺油地獄》における、十五代目片岡仁左衛門のガラとニン

1.このテーマを選択した理由と仮説・目標
 このテーマに興味を持ったきっかけは十五代片岡仁左衛門演じる『女殺油地獄』を観賞したことだ。歌舞伎の演目において、どんな時代物や世話物でも「人情・仁義」の印象が強かった私には、人として救いようのない程性根が腐った河内屋与兵衛が主人公に置かれていること自体が衝撃だった。その上、ストーリーもどんどん暗くなっていくばかりでどの側面から見ても幸せになった者はいない

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誰が為の「休日」

誰が為の「休日」

 これはアン王女が大人の女性へと変化していく成長の物語である。
 物語の序盤に国際交流のためアンが各国の貴族と握手を交わす。取り澄ました顔で一見落ち着いているように見える彼女、ところが急にカメラは足元を映し出した。式の堅苦しさのためかハイヒールを脱ぎだしたのだ。脱ぐだけでは飽き足らず、右足のつま先と甲を使ってもう片方の足を掻き出すアン。冒頭6分程でもうすでにアンのおてんばな人柄が表れていて、かつ映

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音楽理論を、まとめる

音楽理論を、まとめる

 音楽という言葉、musicは「ギリシア神話の太陽神アポロンに仕える女神ムーサが支配している芸能や技術」といった意味が元となっている。つまり「ムーサ(Mousa)」がギリシア語で「ムーシケー」になりラテン語の「ムシカ(Musica)」へと繋がって、今日私たちが普段使う単語「ムジク(music)」に至ったのだ。ギリシア神話において女神ムーサは、全能の神ゼウスとティタン族に属するムネモシュネとの娘達で

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宝塚『モン・パリ』成功の社会的背景

宝塚『モン・パリ』成功の社会的背景

1927年(昭和2年)の9月、宝塚で日本初のレビュー『モン・パリ』が上演された。演出家であり、オペラ歌手の岸田辰彌がパリを視察し、そこで得た感動や衝撃をモチベーションにしてできたこの作品は大きな反響を得た。1927年あたりといえば2年前にやっと日本にラジオ放送が始まった程度で、ジャズもシャンソンも馴染みがあるはずもない。しかしそれらを取り入れていながら、ラインダンスや大階段を初めて登場させた『モン

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画家それぞれによる《ヴィーナスの誕生》

画家それぞれによる《ヴィーナスの誕生》

1.基本情報
今回のnoteでは繊細な耽美さを湛えた、サンドロ・ボッティチェリによる『ヴィーナスの誕生』を取り扱うことにした。制作年は1485年頃、フィレンツェ・ウフィツィ美術館に所蔵されている。
本文中ではギリシャ神話原本にのっとってアプロディテとしたが、作品名は学術書に準じて『ヴィーナスの誕生』とする。

2.ディスクリプション
うら若き一人の少女が穢れのない眼をこちらに投げかけてきた。彼女は

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ドルチの悲しみと青
~《悲しみの聖母》《悔い改めたマグダラのマリア》《シエナの聖カタリナ》~

ドルチの悲しみと青 ~《悲しみの聖母》《悔い改めたマグダラのマリア》《シエナの聖カタリナ》~

1.揉み手をする女
闇に一人の女性が浮かび上がっている。縦長の楕円の中心で手を揉むようにして祈っている女性は目を伏せていて、一目で感情を悟ることは難しい。若干ビロードのような、ややしっかりした素材の鮮烈な青い布を纏っており、頭までその布が覆っている。よく見てみるとその下に柔らかそうな黄色の布を身につけている。直接見える体の部位は、右下を向いた顔と祈る手だけで、他には毛の一本すら見えない。
はじめに

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ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』にみられる司祭の罪

ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』にみられる司祭の罪

1.『田舎司祭の日記』について
『田舎司祭の日記』は1951年にフランスが制作国として撮られ、ジャンルとしてはドラマ映画となります。ヴェネツィア国際映画祭でのグランプリや、ルイデルック賞など、数多くの賞を受賞しました。
 原作はフランスの作家ジョルジュ・ベルナノスによる『国の司祭の日記』(1951)です。彼はカトリック教徒で「カトリックの宗教観の体現」が特徴の一つとして挙げられるブレッソンと宗教的

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ヒッチコックの作家性と彼が目指していたもの

ヒッチコックの作家性と彼が目指していたもの

 数週間前の私は「主に20世紀前半に活躍した映画作家を取り上げよ」との課題に尻込みしていた。20世紀後半から現在にかけての映画作品に親しんでいる自分にとって20世紀前半に制作された映画は退屈でテンポの遅い、観ているこちらにも情熱と知性を求められるような面倒くさいものだったからだ。ただ自信をもって「映画が好き」と言えるようになるためには彼らを避けては通れまい。とりあえず家にDVDのあったヒッチコック

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アリ・アスター監督『ミッドサマー』とシェイクスピア

アリ・アスター監督『ミッドサマー』とシェイクスピア

 「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」チャーリー・チャップリンが遺した言葉である。はじめ聞いた時は理解ができなかったし、しようとも思わなかった。だが、シェイクスピアの演劇を学ぶうちは「悲劇」と「喜劇」という単語からは逃れられないことに気付いた。彼の作品の幕引きは必ず凄惨か幸福であるからだ。
 人に一時的なトラウマを植え付ける悲劇と笑顔に変える喜劇の間には深い溝があるように思えるが、

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フェルメール作品の【女】三作における絵画的見方

フェルメール作品の【女】三作における絵画的見方

 フェルメールの《水差しを持つ女》と《真珠の首飾りの女》、《天秤を持つ女》。この三作品にそれぞれ意味を持たされているか、を私なりに考えてみました。答えとしては「意味を持たされているものもあれば、ただ唯美主義的にありのままを受け入れ、楽しむべき作品もある」というものです。
 なぜその結論に至ったのか一作品ずつ述べたいと思います。
まずは《水差しを持つ女》。

一見、朝に身支度を始める女性の何気のない

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パブリックアートとしての岡本太郎『明日の神話』

パブリックアートとしての岡本太郎『明日の神話』



 禍々しい。圧倒されてしまう迫力と大きさをこの画面から感じる。岡本太郎『明日の神話』だ。同作品は1968年からたった1年間で完成しアクリル系の塗料から描かれる。
縦5メートル横30メートルという極端に横長のキャンバスの中心にはデフォルト化された骸骨が焼かれていて、火の動きから予想するに人だったものは熱さに苦しみ逃げ惑うようにしている。こちらからみて左上からは目を剥いた、白い生き物といっていいの

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