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誰が為の「休日」

 これはアン王女が大人の女性へと変化していく成長の物語である。
 物語の序盤に国際交流のためアンが各国の貴族と握手を交わす。取り澄ました顔で一見落ち着いているように見える彼女、ところが急にカメラは足元を映し出した。式の堅苦しさのためかハイヒールを脱ぎだしたのだ。脱ぐだけでは飽き足らず、右足のつま先と甲を使ってもう片方の足を掻き出すアン。冒頭6分程でもうすでにアンのおてんばな人柄が表れていて、かつ映画を鑑賞する人々が驚きと共にこの王女に親しみをもつような演出となっている。
場面は変わり、寝室での様子。お手伝い役のビアバーグ伯爵夫人に愚痴をこぼす中で、気になる二つのセリフがある。まず「私の持っているものはどれも嫌いよ下着も」本人曰く“時代遅れの”ネグリジェに身を包みながら拗ねるが、口調からして本当に嫌いなわけではないらしい。ただ幼い頃からずっと同じような品に囲まれた閉鎖的な環境で育ったため、新しい物が欲しかっただけのようである。それをうまく言えずに、または自分自身でもよくわかっていないためか駄々をこねてしまうところが子供っぽさを強調していた。そしてもう一つ「何も着ないで寝る人がいるって知ってた?」。いたずらっぽく笑っているところからあながち夫人を困惑させたかったに違いないが、根底にはちょっとした冒険心のような憧れもあったのだろう「存じ上げません」の一言で丸め込まれてしまった後に何も言わず髪をいじっていた。この「何も着ないで寝る人」は永遠のセックスシンボルであるマリリンモンローを指しているのだろう。映画が製作された1953年、香水を傍らに裸でベッドに横たわるマリリンの写真をModern Screen誌が公開し話題となったからである。二つのセリフをあっさり否定されたアンは、この後スケジュール確認している間に感情を爆発させてしまう。窮屈なハイヒールを嫌がり、口を尖らせて幼稚な文句を言いつつ大人の女性にあこがれる。序盤は正に年相応かそれ以上に未熟な一人の女の子である。
その後こっそり街に出てこられたものの医者に打たれた安定剤が効き始め、たまたま通りかかったブラッドレーに拾われる。その時、彼がどんな男なのかを表す演出もなされていた。帰宅用に捕まえたタクシーの運転手は訛りが強くくたびれたジャケットをきていたために田舎からそのまま出てきたような印象をうけたが、それとは対照的にブラッドレーは整った髪でこれといった癖もないような洗練された外見をしており、一目見て都会に慣れた男性であることがわかる。次の朝、遅れて登社したブラッドレーは上司にアン王女の写真付き記事を渡される。家で寝ている女性と写真を見比べるための視線の動きに合わせて探るような音楽が流れていた。音がだんだんと大きくなっていくのはきっと記者である彼の期待と観客の胸騒ぎに比例させるためであろう。その理由に確実に王女だとわかると一瞬にして音楽が大きくなり次第に気品のある穏やかな旋律となっていった。起こされてしまったアンは自身がパジャマを着ていることに気付いて喜びを隠せず、静かな笑顔になる。どんな状況にあっても表情を隠せないところは子供のような純粋さの表れだろう。
アンが確実に大人の女性へと近づくのは物語の中盤である。街の美容院から出てきたショートカットの女性を目で追いかけ、躊躇することなく店内へと乗り込んでいく。「どのあたりまで切る?」と、聞かれた彼女は顔を上げて視線を定めたまま希望を伝える。はっきりと希望を人に伝えたのはこれが初めてではないだろうか。特に女性にとって髪は重要な意味をなしている。日本だけでなくアメリカにおいても「A girl’s hair is her life(髪は女の命)」と考えられているため、ここにおいて髪を切るという行為は今までの自分をリセットするような意味を込められているといっても過言ではないだろう。決心を裏打ちするようにショートカットになってからはシャツの袖をまくり、一番上のボタンをはずしていた。何のルールにも縛られず自由になれたことを楽しんでいたに違いない。
ローマの観光を楽しんで、お互いに隠し事をしながらも絆を深め合ったブラッドレーとアンだがそれぞれの理由のために別れなければならなかった。
終盤に二人がどのように変わったかが映し出されていたが、特に目覚ましい変わりようはアン王女のほうである。宮殿に戻ってきた彼女は寝室で現代風のガウンを纏い使用人を寝る前に下がらせて、赤子をあやすようなミルクを断った。もうすっかり成熟したために簡単に表情を変えることもしない。最後の記者会見では序盤と打って変わり落ち着いたデザインのドレスを着こなしていた。
記者団の中にブラッドレーを見つけたアンだが、他の記者から国家関係について質問をされたときブラッドレーの方を向いて「守られるでしょう、個人の関係が守られるのと同様に」と発言したことから、彼が自分を結果的に騙していたことは関係なく愛していたのだとわかる。
最後に二人は握手を交わすが目をしっかり合わせていたために未練も後ろめたさも感じられなかった。
一体『ローマの休日』は“誰の”休日なのか。初めこそ考えもしなかったが、映画を観終わった後に気付いた。アンやブラッドレーのではなく“王女と記者の”休日である。