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画家それぞれによる《ヴィーナスの誕生》

1.基本情報
今回のnoteでは繊細な耽美さを湛えた、サンドロ・ボッティチェリによる『ヴィーナスの誕生』を取り扱うことにした。制作年は1485年頃、フィレンツェ・ウフィツィ美術館に所蔵されている。
本文中ではギリシャ神話原本にのっとってアプロディテとしたが、作品名は学術書に準じて『ヴィーナスの誕生』とする。

2.ディスクリプション
うら若き一人の少女が穢れのない眼をこちらに投げかけてきた。彼女は膝までに伸びた黄金色の髪を使って左手で陰部を覆い、右手は胸元に添えている。少女からみて右側にはそれぞれ翼を持った男性と女性が抱き合って宙に浮かんでおり、もう片側には少女に大きくやわらかな布をかけようと腕を伸ばした女性がいる。背景にはくすんだ色の海と直線的な木々が並んでいた。
『ヴィーナスの誕生』と聞いて真っ先に頭に浮かぶのがボッティチェリの絵画だろう。アトリビュートであるホタテ貝に乗ったアプロディテが中心におり、画面左側に風の神ゼフィロスと花と春のニンフ・クロリスが彼女に息を吹きかけて岸辺に上陸させている。右側のニンフは赤いローブをかけようとしている所だ。ローブを拡大してみてみると花が刺繍されており、これほど誕生を祝福するのにふさわしい物はない。アプロディテと比べると若干陰になっており、美しさも劣っているため彼女に仕える役柄なのがはっきりわかる。心底喜んでいるのだろう、口元が微かにほころんでいる。一説では、ニンフの後ろにあるのは黄金に輝くリンゴの果樹園だといわれている。もしその説が本当なら、パリスの審判で選ばれたアプロディテだからこそ得られた輝かしいアトリビュートだ。西風を運ぶゼフィロスと柔らかなため息とともに桃色の薔薇をこぼすクロリスが抱き合っていることから、これは春一番だと考えていいだろう。春一番の強い風によって海で生まれたアプロディテが運ばれていき地上に歓迎されるのだ。後々の、性的ないしは肉体的魅力に溢れて描かれるアプロディテと比べると乙女と言った方がしっくりくるような実に清純で肉付きも薄く、恥じらいのある表現だ。アレスもヘパイストスのこともまだ知らない女性は表情も柔らかく頬を赤らめて視線を逸らしている。彼女の体は首が長ければ肩もやたら落ちていて、考えれば不自然なポージングだ。しかしあえてボッティチェリはデッサンを崩したのだろう。もしリアリズムを追求した体つきに描いたとしたら、淡い色で幸福感に満ち溢れた雰囲気が無くなってしまうのではないか。体の角張りを消して線を細くしたことで幻想的な優美さを保っている。
 

↓ボッティチェリ画『ヴィーナスの誕生』1485年頃 フィレンツェ・ウフィツィ美術館

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画像引用元 GoogleArt&Culture より(https://artsandculture.google.com/asset/the-birth-of-venus-sandro-botticelli/MQEeq50LABEBVg?hl=ja)

3.参考文献リスト
① ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、出版:1984年
② 阿刀田高『私のギリシア神話』、集英社文庫、出版:2002年
③ J・J・ポリット『ギリシャ美術史』、星雲社、出版:2003年
④ 朝日新聞日曜版「世界 名画の旅」取材班『世界 名画の旅2』
朝日新聞社、出版:1986年
⑤Webサイト GoogleArt&Culture(https://artsandculture.google.com/?hl=ja)

4.作品に対するアプローチ
(1)ギリシャ神話におけるアプロディテの誕生とボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を見直し、どのような解釈がなされているのかを考察する。

 そのためにはまずアプロディテ自身についてよく知らなくてはならない。アプロディテは言わずと知れた、オリンポス十二神の愛と美の女神である。彼女の出自は他の主だったギリシャ神とは少し異なっている。大体の神々が最高神ゼウスの兄弟か子孫なのに対しアプロディテは、クロノスが大鎌で切り落とした父ウラノスの性器を海に投げ込み、流れ出た精液から出現した泡によって生まれた。他の神々が生物的な交わりによって生まれたのに、なぜかアプロディテは事故のような誕生の仕方である。
そのことから、彼女はウラノスの精液だけで誕生したとは言い切れない。全ての命の起源である海とウラノスが交わってアプロディテが生まれたのだ。系図でいえばアプロディテはゼウスの祖父ウラノスが父のため、ゼウスにとって父方の叔母にあたる。
古代から「美形の女性で、かつ愛と美の女神」という伝承は各地にあったのだろうが、それがアプロディテという形にまとまったのは結構後なのではないだろうか。キプロス島というギリシャ本土から離れた土地で誕生した説が有力であるし、ギリシャ神話関連の書籍を読んでもアプロディテに関するエピソードはまちまちな事が多い。その事実を踏まえてみると、誕生も後から付け足したといっても違和感がないような形に思える。
 ボッティチェリのアプロディテはその点原作に沿っているといっていいかもしれない。そもそも男女の交わりによって生まれたわけではないので赤子の姿は想像できないし、絵画の中でのホタテ貝は女性が一人寝そべるのにぴったりなサイズ感だからである。ただ男性器が海に投げ入れられる、という世辞にも美しいとはいえず愛もない彼女の悲しい誕生を描いたにしては少々美化しすぎでは、とも思う。きっとボッティチェリはできるだけ輝かしく祝ってあげたのだろう。アトリビュートのスケールは原作に沿いつつ華やかで麗しい画面に仕上げる、この解釈が反映された作品が後の「ヴィーナスの誕生」をテーマとした絵画のお手本となった。

(2)「ヴィーナスの誕生」をテーマとした他作品をディスクリプションすることでボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』の特徴を捉える。

ここでは比較対象としてアレクサンドル・カバネル画『ヴィーナスの誕生』(1863年頃 オルセー美術館所蔵)とアンリ・ピエール・ピクー画『ヴィーナス』(1824年頃所蔵先不明)を挙げたいと思う。


アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』
次は同じ題材なのに、ボッティチェリが描いた作品とは真逆な印象を受ける絵画である。アトリビュートは五人のエロスしかいない。真珠色の輝かしい肌を惜しげもなく太陽の下に晒しまどろんでいるような表情で体を伸ばしている。ブロンドの長い髪は海に浸かり、細かく波打つのだ。ボッティチェリのアプロディテは未熟さの残った女性なのに対してカバネルのアプロディテはもうすっかり成熟し、古典的な羞恥のポーズをとるわけでもなくただのびのびと肉体美をさらけ出す。本来、絵画において重要であるはずの顔や視線の方向がはっきりさせないまま観る者の目を肢体に惹きつける努力がなされている。エロス一人一人の表情も面白い。生まれたアプロディテを発見した者、まどろんでいるような彼女の顔を覗き込み起こすような手の動きをする者、貝でできた笛を吹いて祝福する者などがいる。もしエロスがもう少し青年に近い見た目をしていたら全体の印象が変わってしまっただろう。きっとアプロディテのつま先がそっている理由が単なる眠気から来る伸びの体勢ではなくエクスタシーによるものだと無意識に受け取ってしまうかもしれない。その点においては実に絶妙で便利な年齢に思う。そしてこの作品の素晴らしいと感じる所は、圧倒的な画力である。躍動感にあふれた劇的な絵ではない、陳腐な表現だがまるで今にも動き出しそうだ。ボッティチェリと比べると波の描き方や肌の質感は格段に上手い。肉体を目立たせるために足首を細く扇の要部分のように細くしている。こんなにも艶やかな絵なのに決して下品にみせないところがやはりカバネルの実力だろう。
決して原本の通りに描いたわけではない。しかし、もし実際に愛と美の女神アプロディテがいたとしたなら装飾品や他の神々を邪魔に感じてしまうと思うのだ。ヌードの法則と同じように本人単体で全てが完成されているのだから、アトリビュートを一つに絞って一柱だけが画面の中にいるカバネルのアプロディテはとても論理的かつ忠実に描かれていると思う。

↓アレクサンドル・カバネル画『ヴィーナスの誕生』1863年頃 オルセー美術館

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画像引用元 GoogleArt&Culture より(https://artsandculture.google.com/asset/the-birth-of-venus/awEIYqoUcAJ6TA?hl=ja)
アンリ・ピエール・ピクー『ヴィーナス』
 最後はカバネルと同時代に生きた画家、ピクーによるアプロディテだ。原本に基づいて、かつリアリズムをもって描くという意味においては今回の作品の中で一番しっくりくる形だろう。昔話の一寸法師のように巨大なホタテ貝の貝殻を船として上陸したのだ。ホタテ貝の貝殻が非常に繊細な線で構成されているために説得力のある絵画にみえる。ボッティチェリやカバネルのアプロディテと比べて清純さがあまりなく実際に美しいが、ポージングも自分が綺麗なのを自身で熟知しているようにみえる。指先の表現と光の当たり方が神秘的な雰囲気を醸し出して、豊かな髪が官能的なため対比がよりアプロディテらしいように思う。奥の海を暗くすることでより肢体の白さが映えていた。

↓アンリ・ピエール・ピクー画『ヴィーナス』1824年頃

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画像引用元 個人サイトより(http://lohasstyle.jugem.jp/?eid=159)

まとめ
ボッティチェリによる『ヴィーナスの誕生』は原本から大きく外すことなく自身の解釈をも取り入れた、癖のない絵画であることがわかった。その「癖のない」というのも彼の作品があまりにも知られたために同テーマの全てにおいて基準となったことに起因する。他作品と比較すると実に二次元的で15世紀の絵画的な特徴が如実に表れており、奥行きがないゆえに現実から離れた「神話らしさ」が伝わる。またボッティチェリは美女シモネッタをモデルにしたため、彼の好みや思想が透けて見えて興味深かった。