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ドルチの悲しみと青 ~《悲しみの聖母》《悔い改めたマグダラのマリア》《シエナの聖カタリナ》~

1.揉み手をする女
闇に一人の女性が浮かび上がっている。縦長の楕円の中心で手を揉むようにして祈っている女性は目を伏せていて、一目で感情を悟ることは難しい。若干ビロードのような、ややしっかりした素材の鮮烈な青い布を纏っており、頭までその布が覆っている。よく見てみるとその下に柔らかそうな黄色の布を身につけている。直接見える体の部位は、右下を向いた顔と祈る手だけで、他には毛の一本すら見えない。
はじめにこの絵を見た時に記憶に残る色は黒と青、そして黄色だろう。黒地の背景と布の間、彼女の頭には控えめな黄色の後光がさしているのだ。無駄を徹底的に削ぎ落としたかのような少ない情報量なのに、思わず目を止めてしまう繊細さをも秘めている。それは青に囲まれた彼女の表情と肌、所作にあるだろう。わかりやすい感情表現、例えば笑顔、涙、眉間のシワそういったものがないのに彼女からは悲しみの底にいるような寂しさがにじみ出ている。やや下がった口角や伏せられた目、薄く開いたまぶたから覗く冷たく黒い瞳と落ち窪んだ目の下、それら全部が小さな顔に集められているからそう見えるのだろう。整った細い鼻は頼りなげでもある。また悲しみ、寂しさと同時に誇り高さと強さをも感じられる。彼女は二十代なのだろうか、シワもなければシミもない。その若さで老生した落ち着きを持っており、周りに支えられなくとも一人で悲しみを抱えられるような強さが垣間見える。じっくり顔を見つめているとその色の混ぜ方にも驚いてしまうだろう。現在は図版で鑑賞をしているため、実際にオリジナルを目の前にしたら色味への認識に誤差が生まれるかもしれない。それでも美しいことに変わりはないと確信を持てるほどに何回も丁寧に塗り重ねた跡がある。
例えば、額あたりの肌の下に潜む静脈や影を作るための柔らかな緑色、生気をなくさないようにそっと頬に忍ばされた紅色、遠目から見ればわかりにくいが、近くで観察すると上品なゴールドのアイシャドーをつけたかのような深い色のまぶた。油で薄く溶いた絵具を何度も乗せないとこの透明感は出ない。無表情気味の彼女を「人らしく」見せるためにいわゆるメイクをしているわけだが、決してそれが派手にはならずむしろ遠目から見てしまえば霞のようにメイクの存在感が失せ、冷えた美しさだけが姿を表すのだ。色で人は引き寄せられ、近づいてやっと彼女が息をしていることに気づくのである。またこの絵を見る上で絶対に外せないのは手だ。祈りの手というものは特に形式が定まっていないが、両手を揉むようにしたこの形はそのまま「揉み手」と呼ばれる。清潔に切られた爪と柔らかな肌、細い指でそっと揉み手をする上品な所作が彼女の美しさを際立たせている。
 全体に引き算がとても上手い絵画だ、といった印象を受けた。さて、この衝撃的な絵画はいつ描かれて、親は誰なのだろうか。

2.カルロ・ドルチ
この作品の基本情報をまず確認しよう。カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》(資料①)1655年、油彩、カンヴァス、67×82.5cm、国立西洋美術館に所蔵されている。【資料①】

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本館2階の壁面の片隅に置かれているものの、《悲しみの聖母》を目にすると人々は足を止めてしまう。と、どの記事を読んでも書いてあるため一際存在感が強いことが伝わってくる。
 現代に生きる人の感性をもくすぐってしまうこの絵はカルロ・ドルチが39歳の時に制作したものである。彼の伝記を初めて書いたF.バルディヌッチ[イタリアの美術史家/Filippo Baldinucci(1625‐96)]によるとドルチは敬虔なキリスト教徒で、彼の大規模な宗教的作品と聖人たちの小規模な半身像は当時でも人気があったそうだ。特にこのマリアが手を組んで祈る構図は16、17世紀あたりにヒットしたものである。長年、この美しい聖母のモデルはベルチの妻、テレサ・ブチェレッリだと信じられていたが、既にある彼女の肖像画と比較すると疑問がのこると云われている。
バロック全盛期に活躍した彼は「片足を描くのに1週間かかる」と評されるほど寡作だったそう。数が多くはない彼の遺された絵画と《悲しみの聖母》を比較して、同作品ではどのような工夫がなされているのか見ていこうと思う。

3.《悔い改めたマグダラのマリア》と《シエナの聖カタリナ》
目に涙を溜めて仰ぎ見る女性。不穏な群青の空とくすんだ色の髑髏、油を入れるような小さな容器が左下に小さく置いてある。彼女は赤い布を羽織っており、その下にネックが丸く切り取られた黒いタンクトップのようなものを着ているのが見えた。豊かな栗色の長い髪を下ろし、この女性も揉み手をしている。彼女の顔は絶望に満ちており、口もやや開き気味で眉は下がっている。この絵で目立つのはその瞳である。他がマットな質感であることに対して涙をたたえた瞳だけが輝き、思わず視線がそこに引き寄せられる。この絵をドルチがいつ描いたのかはわかっていない。タイトルは《The Penitent Magdalen》、日本語に直すとするならば《悔い改めたマグダラのマリア》(資料②)だろうか。20×25.5inつまり50.8×64.7cmのキャンバスに油彩で描かれたものだ。ウェレスレー大学のデイビス美術館に所蔵されている。 【資料②】

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同主題は17世紀のヨーロッパで頻繁に取り上げられたものだが、ドルチは特に細部にこだわって制作したため高い評価を得た。彼女のそばに置かれた髑髏は死のシンボル、アラバスター瓶はマグダラのマリアがイエスの体に香油を塗った場面があることからキリスト教への献身のシンボルとされている。
 また、もう一つ別の作品を見てみる。これは《悲しみの聖母》と共通点の多い構図だ。水色で塗りつぶされた背景の中いばらの冠を被った女性が目を伏せがちにし、涙を流している。黒い布を頭から被り、中には白い薄布を身につけている。修道院を舞台にした映画によく出てくるシスターの服装だ。光を反射させない黒布と違ってその下の白布は真珠のような控えめな光沢を秘めており、彼女のつやつやとしたハリのある肌と近しい感触を覚える。この作品も情報量が少なく、記憶に残るのは女性の顔の美しさだろう。まぶたのささやかな輝きと少しだけ開いた桃色の唇、悩ましげな眉、特に白い頬に一粒流れる涙が女性を忘れがたいものにしている。繊細な表情と対比になるような無情にも鋭い冠も一度見たら強く記憶に残るだろう。タイトルは《St.Catherine of Siena》、《シエナの聖カタリナ》。(資料③)1665年に制作されたもので181×244cmとサイズ表記が国立西洋美術館にはあったが、ドルチの作品群の特徴に「小規模な聖人の肖像画」があげられるため誤表記で正しい単位はmmだと考えることとする。そのキャンバスに油彩で描かれたこの絵はダルウィッチピクチャーギャラリー所蔵作品だ。【資料③】

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シエナの聖カタリナは14世紀に実在したキリスト教徒であり、非常に献身的な人であったと伝えられている。彼女は夢の中でキリストに金かいばらの冠、どちらを選ぶか提案されていばらを選んだという逸話を持っているためカタリナを描かれる際はアトリビュートとしていばらが使われる。
この二作を比較対象に選んだのには理由がある。どれも悲しむ女性を主題の一つとしていることと印象的な青が使われていることだ。はじめ彼女たちの悲しみがどのように表現され、《悲しみの聖母》とは何が違うのかを私なりに述べて、次に彼の使う青色について説明したいと思う。

4.彼女達の悲しみと涙
ここにいる三人の女性はそれぞれ異なる背景を持っている。例えばマグダラのマリアは元々娼婦で、イエスと出会うことによってその罪深さを自認し神に赦しを請う。涙をいっぱいに溜めている彼女はまさに天の救いを求めているその最中だろう。自身に対する哀れみと懇願を持ち合わせた瞬間だ。聖カタリナは実在の人物であったこともあって涙の理由を理解しえない。しいて予想するならば人間の苦しみに触れ、同情と慈愛から出るものだろう。現世に対しての悲しさと愛情からこのような表情を見せていると想像した。ドルチも実際に酷く悩んだのではないだろうか。14世紀の人物、会ったこともない人物の心情を考えて具体的な形にするのはとてつもなく難しいことである。だからこそマグダラのマリアや聖母マリアのように揉み手をさせることもせず、涙をためた目を描くこともない。ただ虚で神聖な表情のポイントとして涙を一粒置くのが最適解だと判断したのではないか。
実在の人物ですらこのようにわかりやすい「悲しみ」が描かれているのに《悲しみの聖母》ではそれが見られない。レポートの冒頭でも述べたが彼女は人の表情を形作る目、唇の情報を与えてくれないのだ。ただ、蝋人形のように白く浮かぶだけだ。それでもタイトルにつけられるように悲しさ、悲哀が伝わるのはドルチの技術力の高さによるものだろう。顔を背け、暗闇に佇み光のない目をして唇を締めた彼女は崇高な悲しみの中にいる。《シエナの聖カタリナ》の方が制作年は後になるが、彼はここで難解で高度な表情を描くのに成功しているのだ。それだけでなく聖人や悔い改めた人、つまり「人間」から逸脱できてない人物との差別化がここで計られている。

5.ドルチの青
絵画の青、と聞くと自然にフェルメールやシャガールが浮かぶだろう。彼らが操る青は幻想的で、技法としても効果的であるから直接的に代表として結び付けられる。ドルチがそこまでポピュラーな画家でないことや寡作なのもあるが、あまりドルチの青が取り上げられるというのは聞いたことがない。けれども今回挙げた三作品、特に《悲しみの聖母》は「青」を非常に効果的に使っていると感じた。
まず絵画においての青が持つ象徴性と効果について。青は空を連想させるため、血のような赤布とともにマントとして聖母マリアのアトリビュートに使われる。そこには「天の真実」といった意味が込められているのだ。現代でもコバルトブルーやウルトラマリンが高価なように、青い絵具というものは金と同じくらいの価値があったためその希少なものを宗教画でふんだんに使うことによって作品の壮麗さを高めていた。《悲しみの聖母》でももったいぶることなくラピスラズリが使われている。濃く深い青が黒く塗りつぶされた背景の中心に堂々と置かれ、この青の補色となる橙がかかった黄色が挟まれることで安定感が生まれる。もし挿し色がなかったら少し圧迫感のある作品になっていただろう。安定感という点では《シエナの聖カタリナ》も素晴らしい。こちらは逆に布がはっきりとした黒であるため、どぎつい色調にならないように柔らかな青を背景に使っている。洋名でいえばこの青はヘブンリーブルーというのだろうか。天の如き青とは正に主題にぴったりな選択だと思う。《悔い改めたマグダラのマリア》では今にも雨が降り出しそうな曇天を暗い青で表現している。画面の中で一番彩度が低い部分に近い色を洋名でいうとブルーサファイアだろう。落ち着いた栗色の髪と見事に調和が取れていて、自分で混ぜて作った色ではなくまるで元々選ばれたパレットから色を取ったかのような完成度だ。特徴的な一つの青を使うのではなく様々なニュアンスを持った青を状況や主題によって変えるドルチの器用さを発見することができた。


6.まとめ
全くと言っていいほど西洋美術に知識がないままテーマを選んだため、今でもこのような内容でいいのか不安だがあまり文献や論文のないカルロ・ドルチだからこそ好きに色々考察できたのだと思う。《悲しみの聖母》はGoogle Artで国立西洋美術館の所蔵品を眺めていたら一目で恋に落ちた作品だった。トロンプルイユに近しい技法といっていいのか、荘厳な金縁の中心が丸くくり抜かれているのかと思ってしまった。まるで聖母マリアが閉じ込められているかのように感じてしまってじっくり見つめていると様々なことに気づかされる。これはこの作品が実際に近づいて持念仏のように礼拝する対象として制作されたからだと推測した。
神聖な雰囲気から人を惹きつけ、近づくと意外にも人間らしい部分をも持っている。悲しみの中にあるのに決してわかりやすく表現をしない。何度見ても飽きない作品なのではないだろうか。また、発表で「なぜ《悲しみの聖母》だけ中規模なのか」との問いに予想として「デザイン性と配色、キャンバスのサイズを組み合わせた際に考えられる最適解である」と答えたいと思う。
ドルチの作品群に触れたのは今回が初めてであったが、彼の生涯の中でも《悲しみの聖母》は最高傑作である。


画像引用元
資料①~③
Google Art&Culture(https://artsandculture.google.com/?hl=ja)

参考資料
(1)国立西洋美術館 カルロ・ドルチ
 (http://collection.nmwa.go.jp/P.1998-0002.html)
(2)南京大学集中講義 第五回03月17日 講師・三浦篤
『美術と「色」』(http://www.lap.c.u-tokyo.ac.jp/ja/nanjing_lectures/color/160317/)
(3)いろずかん 色の名前[青系]( http://iroempitsu.net/zukan/name-i07.htm)