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ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』にみられる司祭の罪

1.『田舎司祭の日記』について
『田舎司祭の日記』は1951年にフランスが制作国として撮られ、ジャンルとしてはドラマ映画となります。ヴェネツィア国際映画祭でのグランプリや、ルイデルック賞など、数多くの賞を受賞しました。
 原作はフランスの作家ジョルジュ・ベルナノスによる『国の司祭の日記』(1951)です。彼はカトリック教徒で「カトリックの宗教観の体現」が特徴の一つとして挙げられるブレッソンと宗教的価値観が通じます。

2.『田舎司祭の日記』の映画史的達成とその背景
 これは『田舎司祭の日記』に対して少し理解を深めるための項目として本題に入る前に話しておきたいことです。
 『田舎司祭の日記』を観た時「なるほどこういう話なのね、納得」と手を打つより首を傾げてしまう人が多いと思います。これは私達があまりにカトリックに馴染みがないからというのが大きいでしょう。『沈黙』の作者・遠藤周作なんかは講演会で

日本ではキリスト教をテーマにした映画など、観客からまったく無視されます。当然でありましょう。どうしたって、アーメンものというのは、日本人にとって距離感があるし、煙たくもあるんですね。
(『波』2016年11月号 講演「宗教と文学の谷間で」より引用)

と、はっきり述べています。そんなキリスト教圏外と馴染みのない『田舎司祭の日記』ですが、この作品に対して文芸界にいるたくさんの大御所が絶賛しました。
 私達にピンとこないこの作品がなぜそんなにも評価が高いのか、それは『田舎司祭の日記』が公開された当時のフランス映画界の背景もありますし、同作品が(小説を原作として映画化した作品の総称である)文芸映画として今までに見られなかった試みをしたからです。どのような試みであったか、また、当時のフランス映画界の特有性についてフランス文学者・野崎歓の論文『文芸映画の彼方へ』にわかりやすく書かれていました。
論文の要所をかいつまんで私なりに柔らかく書き換えたいと思います。第一に『田舎司祭の日記』が封切りされた1951年の背景について説明します。戦後のフランスでは「文芸映画論」というものが重要でした。小説と映画の関係性について、当時の映画人達の主張は「小説と映画は別物である」「小説こそ映画の土台である」「狭い意味での文芸映画に限って、小説と映画は互助的である」という三つに分かれます。はっきり派閥ができてしまう程に白熱した議論が若い世代の中で繰り広げられましたが、そもそも文芸映画がフランスでこんなにも熱い話題だったのは戦後のフランス映画作品が小説を原作にしたものがとても多かったからです。   
 アメリカ映画と比べてみると物語に対するアイデアが少ないフランス映画は、創造力が未達であり表現の幅においてフランス映画は同国の小説に劣っているのではないか、と考えられ、一定数の評論家達に軽く見られていました。この意見を持つ人々は親米派と呼ばれていたそうです。一方で、かの有名なアンドレバザンは小説原作の映画に対して割と肯定的で、映画の歴史は小説と比べるとどうしても浅いため、素晴らしい作品の力を借りるのは芸術の進化の過程として当然じゃないかと述べていたそうです。文芸映画論であったり親米派の考えであったり様々な主張が飛び交う中、突如『田舎司祭の日記』が公開されました。すると激戦を繰り広げていた親米派、アンドレバザン、映画評論家達は銃を捨て、こぞってこの作品を絶賛したのです。野崎歓の論文を通してバザンの考えを借りるならば『田舎司祭の日記』は初めて小説と映画の相乗効果を発揮した作品でした。ベルナノスの小説とブレッソンの映画はそれぞれ独立してぶつかり合う中で新たな意味を生み出すことを達成したと言われています。原作を深いレベルで理解し、ベルナノスの小説に台詞用に新たな言葉を付け足すことはせず、忠実にブレッソン自身の方法で映像に残しました。バザンは、映画による小説の世俗的なドラマ化に抗うための闘いと、真にリアルな映画表現を求めての試みとを『田舎司祭の日記』のうちに見出したのでした。
こればっかりは当時の他のフランス文芸映画作品を数多く観賞し、ベルナノスの小説を読み込んでから比較しないと体感として素晴らしさが理解できませんが『田舎司祭の日記』が映画史として記念碑的な作品であることを伝えられたかと思います。以上が『田舎司祭の日記』の映画史的達成とその背景の話でした。

3.私が興味を持った主題について
  ブレッソンのシネマトグラフは内面的な主題が多く、『フランス映画史の誘惑』では次のように書かれていました。
  
    むだな要素を徹底的にそぎおとす禁欲的な画面作り、日常生活のディテールの執拗な凝視、観客の生理に食いこむような誇張された音の演出などのスタイル上の特徴のほか、神の恩寵を重視するジャンセニスム的な厳しいキリスト教信仰、運命と人間の自由意志の葛藤、罪と罰、善意と悪意、監禁状態と自由など、ここにはブレッソンの映画のおもな主題を見出すことができるのです。
(中条省平 著『フランス映画史の誘惑』150頁13行目より)

この一文は『罪の天使たち』について書かれたものです。簡潔でヒントを得やすかったのでここから『田舎司祭の日記』を解くための問いを見つけました。彼の作品に出てくる人々は、常に何かと戦って苦しんでいるように見えます。『田舎司祭の日記』を観た時も「なぜこの人はこんなにひどい目にあうのだろう」とか「なにが辛くてこんなに苦しんでいるのだろう」と不思議でした。その疑問を解決するためにもブレッソンの主題といわれているワードの中から「罪と罰」をテーマに考えることにしました。
 ここで一つ問題が生じます。ブレッソンが撮った『田舎司祭の日記』であるとはいえ原作がすでにあるのだから、この作品を観て感じられた「罪と罰」は彼が伝えたかったものではなく原作者が伝えたかった「罪と罰」なのではないか、というものです。実際に『彼自身によるロベール・ブレッソン』の中で彼は原作者の思想を無傷で再現したい、と説明しています。けれどもブレッソンは同じインタビュー内(p.61)でこの小説を映画化する際に自身の鋳型をこしらえたとも語っていました。また小説と映画は全くの別物で、小説は物語を語り、映画は田舎も都市も室内も描写しない、我々はそこにいるからだとも述べています。原作を読み解き、彼自身の形に忠実になぞらえた作品なので映画『田舎司祭の日記』を観て感じとった「罪と罰」はブレッソンが伝えたかったことでもあると解釈しました。
 以上を前提にしてこれから『田舎司祭の日記』を観て考えた私なりの「罪と罰」を考察したいと思います。

4.アンブリコートの司祭が犯した罪とは
 彼が犯した罪は「イエスとの同一化」と「信仰心ではなく暴走した自意識が作り出した傲慢さ」です。この二つは後に繋がりますが、かみ砕いて説明するのに二つに分けました。注意としてキリスト教は色んな宗派があります。イエス自身を拝むところもあればイエスは神の子であるからイエスを拝むわけではないといったところもあります。けれどもカトリック教徒の多くがイエスは神の一部だと考えているので、これから私が使うイエス、神という言葉はほぼ同じものと思って下さい。
まず「イエスとの同一化」について。どこのシーンからそう思ったのかまたなぜそれが罪となるのかを述べていきたいと思います。
 3分20秒あたりで早速持病に胃の痛みがあることを、特に坂を上ると痛むことをナレーションで告白します。続く53秒で彼の偏った食生活、パンとワインしか摂らないこと、また肉も野菜も食べないのにこの食事のおかげで気力が満ち、頭もさえると言っていました。パンとワインはキリスト教では聖餐といって、パンならイエスの肉ワインは血といったようにそれぞれイエスの体の一部を表しています。マタイによる福音書に「主の晩餐」としてイエス自身が弟子たちにそう言ってパンとワインを分け与える場面があります。
  
  26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、
弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
27 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
               (新共同訳『聖書』マタイによる福音書26章,26~28節)

聖餐は祝福を意味し、儀式のときに行うもので、ラフに飲み食いするイメージはありません。いくら聖職者とはいえ毎日のように取り入れるのは珍しいでしょう。ここで彼は祝福を受けたいのではなくイエスの体を毎日摂取することでイエスと自分を同一化させたいのではないかと仮説を立てました。また胃の痛みについて、イエスは十字架にかけられたときに兵士たちに左わき腹を槍でつつかれます。刺し傷から血と水が出てきたとヨハネによる福音書19章に書かれているのですが、これは人体の部位でいうと胃にあたるのではないかと想像しています。【資料】

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内臓の位置。左わき腹から槍で突き刺したなら胃にたどり着くのでは。
引用元(http://www.iwasaki-shinkyu-seitai.com/814638904)

イエスが磔刑の時に受けた傷が信者に現れることを聖痕といいますがこの司祭の痛みも聖痕を連想させます。坂を上ると自転車を使っても痛むという言葉もイエスが十字架を背負ってゴルゴタの丘に登る場面を思い浮かばせられました。
 またストーリーが進んでいくと6分くらいにトルシーの司祭が現れます。アンブリコートの司祭の先輩にあたる人です。聖書のみを信じて個人の信者がそれぞれ独立しているプロテスタントと違ってカトリックはローマ法王をトップに据えたピラミッドのような社会構造をしています。その先輩がアンブリコ-トの司祭がもつ脆さを心配してか助言を残しますが彼は従わずにそのまま自分なりの方法で地区の人と関わろうとします。終盤でアンブリコートの司祭の友人が言うように彼の性格は難しく、繊細で気弱そうな外見でありながらも先輩にもはっきり「違います」と言えるような頑なさを持ち合わせています。
また自分を含めた人に対する支配権は神やイエスではなく自分の元にあるべきだと考えているのか51分40秒で悔い改める伯爵夫人を祝福する時に満ち足りた表情をし、壮大な音楽が流れ、後に「奇妙な心地よさがあった」と語ります。旧約聖書の教えによれば人間はあくまで創造物を管理するために作られたもので、その管理者としての人間をまとめるのは神だとされています。動物や植物などの存在が人間にはなれないように人間も神にはなれないので、ここでの彼は司祭としては若干道理に外れた感情をもったことがわかります。プライドが高く自分が正しいと思ったら突き進んでしまう所は『罪の天使たち』のアンヌ・マリーとよく似ていますね。彼女にも共通しますがここでの彼は信仰心によって行動をしていたのではなく膨らんだ自意識で自分を満足させるために行動をしているとみなしました。
 では「暴走した自意識が作り出した傲慢さ」によって「イエスとの同一化」をしようとするのがなぜ罪に当たるのか。聖書で書かれていることに当てはめるとするならば「バベルの塔」と「モーセの十戒」にあたります。彼は神に近づこうとした人々が神の怒りにふれ、その傲慢さを罰せられたバベルの塔の話を教訓にせず、キリスト教の最低ルールでもある十戒の一番目「主が唯一の神であること」に違反してしまいます。
 以上がアンブリコートの司祭が犯した罪と言えるでしょう。

5.アンブリコートの司祭に与えられた罰とは
 続いて彼に与えられた罰は何であったのかを挙げていこうと思います。
これは因果応報的に彼が犯した罪と直結します。一言でいうならば「自分の傲慢さに心の底で気付きながらもどうしようもできない苦しみ」です。
 実は彼はストーリーの中で何度もその事実を突きつけられる場面にぶち当たります。パンとワインは君には悪く作用するからやめた方がいい、自分を健康だと錯覚するなとトーシーの司祭にも強く言われます。心と体の健康は深く関わるので、58分50秒では精神的にも不健康だと言われたようなものだと考えています。また胃の痛みも聖痕とは全く別物の不健康な食生活が祟ったガンであることが分かり、先輩司祭の助言を聞き入れなかったせいか地元の人との交流はことごとく失敗に終わり、自分が管理できたと満足した伯爵夫人は次の夜に亡くなってしまいます。罪の自覚があるから理想と現実がうまく一致せずに不満ばかり抱えて書いた日記を彼は黒くつぶしたり破り捨てたりもするのです。1時間09分では先輩司祭に「祈りが足りない考え過ぎだ」と彼の傲慢さを鋭く指摘されて思わず涙を流します。この作品内でクローズアップは何回か使われますが、47分39秒の伯爵夫人への助言シーンもそうであるように、この演出が適用されるのは彼が理屈の鎧から解かれて本心から言葉を吐いたタイミングだけです。
 ですから彼はきっと自分でも罪を犯している自責にかられ続けたのでしょう。特に大きい罰だと感じたのは1時間21分あたりの少女に介抱される場面です。自分をからかった残酷で無邪気な彼女にそこで神聖さを感じたわけです。新約聖書では子供はもとより神の国、つまり天国の存在だとされているので自分がどんなに人間とかけ離れたものになろうと理屈をこねても単純な優しさには勝てないことをここで強く学びます。
 以上が彼に与えられた罰でした。

6.最後に得た救い
 体も心もぼろぼろに壊れてしまった彼ですが、最後の最後に救いが用意されていました。罰を乗り越えたことによって傲慢さは消え、掃除婦や旧友と人間的で優しい会話を交わした後に息絶えます。まるで聖書のように他の人の言葉で語られた彼の最後の言葉は穏やかな笑みを浮かべて「すべては神のおぼしめしだ」(1時間54分)というものでした。ここで彼は支配権をすべて神に託し完全な信仰心を得られたことがわかります。全編にわたって司祭の無感情な顔とレベルの高いテクストが同時に映像に収まることで緊張感がありますが、先に映像の情報量が少なくなることで最後、緊張が解かれます。バザンによればこのラストシーンは「映像を気化させ、小説のテクストのみに場所を譲る」瞬間、「映像の昇天」が成就される瞬間だとされています。


7.ブレッソンはどのような映画作家か
 粘着質。何作か彼のシネマトグラフを観て、その度に『彼自身によるロベール・ブレッソン』と『シネマトグラフ覚書』を読み進めていくうちにその印象はどんどん強まりました。わざわざ自身の作品をシネマトグラフと呼ぶところに始まり、撮影された演劇の息を感じる「演出家」や、考えが合わないのか、「監督」(実現する者)をも好まず「配置家」(秩序の中に置く者)の表現を気に入っていたあたり言葉に対する異様なまでの執着も伺えます。それは自分に対してだけではなく周囲の人間の吐く言葉にも非常に神経質でインタビュー中何度もインタビュアーの使う表現に関して訂正を加えています。きっと彼は言葉が花にも銃にもなりえることを非常に深いレベルで理解しているのだと思います。ヴィアゼムスキーの『少女』でも、アンヌに花を与えようと必死に言葉を選ぶような彼が登場します。粘着のある性質は言葉に対してだけではなく俳優や演出にも及びます。アンヌの私生活を制限するような行動や『スリ』での手の持つ知性へのこだわり『抵抗』での録音など…簡単に言ってしまえば理論よりの完璧主義者なのでしょう。インタビュー録と『少女』が混ざり合うことで彼の人間性なども覗き見られましたが、きっと彼自身はそうありたくないけれど感情的でわがまま、まるで膨大な知識を持て余した幼い子のようです。
 ブレッソンの性格だけでなく作品群においても面白いことがあります。これは2000年代のハリウッド映画を見慣れた私だからそう感じるのかもしれませんが、「演技」を避けて平べったい感情表現と抑揚のない口調を望まれるブレッソン作品は、あまりの徹底ぶりに演技よりも不自然に見えてくるのです。映画と演劇を全くの別物だと捉え、映画自体を自立させたかった彼のシネマトグラフはアンドレバザンの言う理想の映画像「映画である事を意識させない」と真逆に向かっている印象を受けました。もちろんブレッソンとバザンの中にある理想の映画像はそれぞれ違うと思いますが、自然を意識しすぎて不自然になる現象は興味深いものでした。『スリ』についてレスクプレスから「つまりあなたの作品は肖像画なのですね?」と聞かれ「おそらく」と返しているのでもしかすると画家、写真家としても活躍していた彼から見た世界は顔も口も止まっている状態こそ「自然」なのかもしれません。画においての卓越したセンスはそのまま映像作品全体においての情報量のバランスにも応用されました。その結果として『田舎司祭の日記』は派閥など関係なしに絶賛されたのでしょう。完全なる才能への賛美だと受け取ります。
 粘着質で完璧主義、才能、特に情報の均衡を保つ才能に長けている、それが私の中でのロベール・ブレッソンという名の映画作家です。

【引用資料】
[1]2016年11月号『波』「宗教と文学の谷間で」
[2]中条省平 著『フランス映画史の誘惑』
  出版元:集英社 発行年:2003年1月22日
[3]新共同訳『聖書』
出版元:日本聖書協会 発行年:1988年

【参考資料】
[1]ミレーヌ・ブレッソン編/角井誠訳『彼自身によるロベール・ブレッソン』
出版元:法政大学出版局  発行年:2019年3月29日
[2]野崎歓 著「文芸映画の彼方へ」(映画を信じた男-アンドレ・バザン論IV)
  掲載元:一橋大学リポジトリ 掲載年:1998年12月25日
[3]新共同訳『聖書』
出版元:日本聖書協会   発行年:1988年
[4]IMDB(https://www.imdb.com/title/tt0042619/)