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芸術と法はどうあるべきか、一考察


表現の自由における自己防衛
 
はじめに
「芸術家の世界観(個性)を守る仕組み」を私は次のように考案した。
「国立や県立、市立美術館など人目に触れる機会が極端に多い場所で展覧会を開く場合は、鑑賞者のクレーム内容や件数によっては展示会を中止しなくてはならない。賛否両論が分かれるグレーゾーンならその度にゾーニングやレーティングにかける。そしてそのような意見を受け付けず、アナーキーな作品も展示可能なパブリック性の高い美術館も新しく作る」といったものである。

芸術家と国がどうあるべきか
 現在日本での芸術創作環境は平成13年12月7日に公布された「文化芸術振興基本法」 の前文にある「我が国の文化芸術の振興を図るためには,文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ,文化芸術を国民の身近なものとし,それを尊重し大切にするよう包括的に施策を推進していくことが不可欠である」と、一章の二条に書かれた「1.文化芸術の振興に当たっては,文化芸術活動を行う者の創造性が十分に尊重されるとともに,その地位の向上が図られ,その能力が十分に発揮されるよう考慮されなければならない」「4.文化芸術の振興に当たっては,多様な文化芸術の保護及び発展が図られなければならない」から割に保護され重宝されている。
 だが、発表の場では様々な議論や規制が飛び交っていた。1949~1965年に開催され政府・管理者のクリアランス目的で中止となった「読売アンデパンダン展」(『現代アート事典』より)や自身の性器を3Ⅾプリントし、頒布したとして裁判が起きたろくでなし子など芸術表現で許される幅は広いとはいえず、その不自由さを危惧した意見があると雑誌のAERAにも次のような記事が載っていた。

   「【集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護】
  第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
  2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

   (中略)
  題して「表現の不自由展」。
   (中略)
同展実行委員会共同代表の一人、岡本有佳(52)は言う。
「知らないうちに表現の自由が次々と侵害されていて、それを可視化したいと思いました。大勢の人が来てくださったのは、『変だ』と感じている人がそれだけ多いということでしょう」
  岡本らがまとめた年表(27ページ左)を見ると、「消された」作品がここ数年で激増しているのがわかる。警察が介入した例もあるが、多くは美術館などが抗議や嫌がらせにおびえて「自主的に」取りやめているのだ。」

このように政府や警察などの公的な機関が芸術を検閲すべきではない。それは憲法21条2項に「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」と定められているからだ。では、一体誰がいきすぎた芸術を規制するのか。それは「文化芸術振興基本法」の第2条7項「文化芸術の振興に当たっては,文化芸術活動を行う者その他広く国民の意見が反映されるよう十分配慮されなければならない。」が答えだろう。公共機関を中心にさせるのではなく、国民が意見や要望を自由に発言できる機会を作ることが国の課題だと考える。そして人々の批判をくみとるのは大事なことだが、ゲーム業界のようにレーティングやゾーニングで鑑賞者に自主的に判断できる制限を設けることも重要だ。これはもし裁判や審議が行われた時に芸術家自身の防衛策として必要なことである。
ただ大方の人が何を言っても、芸術の振興のためには理解されにくい芸術をも絶えず発表する場を作るべきだろう。またその場から新しい芸術が生まれる可能性が大いにあるため、パブリック性の高い物が望ましい。

まとめ
 2012~2013年に森美術館で開催され、抗議をうけた『会田誠展:天才でごめんなさい』に関するインタビューで当人の会田誠氏はこれまでどのような規制を受けて来たかというインタビュアーの質問に対しこのように語っている。
 
  「美術館での規制と、ギャラリーでの自由
(中略)
会田:少し説明しますと、僕のような美術家の発表の場は、美術館ではなくギャラリーがホームグラウンドなんです。最初に作ったものはまずギャラリーで見せるということが普通なんですが、ギャラリーでは、今まで作ったものをオーナーやスタッフに、「これは見せられません」と断られたことは1度もないのです。

なので、実をいうと僕の表現の自由はだいたいいつも守られていて、満足しています。基本的には美術界は住み心地の良いところだと思っています。」

今の日本は度々議論が巻き起こるものの、バランスの取れた表現の自由を備えている。芸術と法のより良い関係性を追求するならば公共機関の介入を食い止める新しい法律と芸術家達の自己防衛が必要不可欠である。
芸術とは制度や規制があって生まれるのではなく、議論の種となる新しい芸術から規制と制度が誕生するため、体制側の視点で先回りすることは未来を閉ざすようなものである。そして「法と表現の自由」は永遠に結論のないテーマであるため、問題が起きる度に向き合わなければいけないのだ。

文化庁HPより
文化芸術振興基本法(平成十三年法律第百四十八号)(平成十三年十二月七日公布)
(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/shokan_horei/kihon/geijutsu_shinko/kihonho.html)

朝日新聞データベースより 雑誌AERA 2015年09月28日
『表現の不自由 抗議におびえ自主的に「消された」作品が急増 私は憲法を掲げて闘う』(http://database.asahi.com.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp/library2/main/top.php)

ARTLOGbetaより
『エロや政治的表現で度々抗議を受けている会田誠。美術業界は自由? | 表現の不自由時代 03』会田誠インタビュー(http://www.artlogue.org/node/4174)


【参考HP】
①読売新聞データベース ヨミダス歴史館
(https://database-yomiuri-co-jp.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp/rekishikan/ )
②美術新報
(https://japanknowledge-com.hawking1.agulin.aoyama.ac.jp/lib/shelf/bijutsushinpo/)